See you after school. 11:今は昔 後編 「増田くん、髪短いのにヘアピンなんて使うの?」 小首を傾げながら真面目に問う理咲の声を聞いた増田は脱力した。 増田の柔らかい黒髪は少年らしい短さで保たれており、前髪は眉にすら掛かっていない。ヘアピンが絶対必要ない髪型だろう。 だから、増田は理咲に何か言われるとしたら『何故使いもしないヘアピンを持ち歩いているのか』についてだと思っていた。 「使わないけど・・・でもそれ以外にも使い道があるんだよ・・」 『じゃーん』とでも効果音がつきそうなくらい自信たっぷりに出したのに、唯一の観客である理咲はヘアピンを何に使うのか理解していなかったのだ。 聡明なはずの理咲はときどきものすごく天然なボケを披露する。それまでの会話の流れからヘアピンに従来の働きを求めていないことくらい分かるだろうに、 根が真面目な理咲は、最終的に正統的なヘアピンの使い方しか思いつかなかったようだ。 「何に使うの?」 「うーん・・ま、見てて」 口で説明するよりも実際に見せたほうが分かりやすいと判断した増田はヘアピンを片手にラボの戸へ近づく。 錠前の鍵穴にヘアピンを突っ込んで引っ掻き回していると、15秒後くらいに「カチッ」と音を立てて鍵は外れてしまった。 「「開いた・・・・・」」 知識はあっても実践したことがなかった増田はそのあっけなさに驚き、正統的なヘアピンの使い方しか知らなかった理咲は魔法を使ったみたいに簡単に鍵を開けてしまった 増田に驚く。 増田と理咲のふたりがその驚きも冷めないまま戸の内側にすべり込むと増田の予想通り誰もいなくて、理咲は少しがっかりした。 もし鷹見氏がラボにいたら許可なく入ったことを怒られるだろうが、理咲は不器用な増田が魔法みたいに鍵を開けてしまったことをすぐに報告したかったのだ。 いるわけがないと解っているにも関わらず作業台の向こう側まで鷹見氏を探しに行った理咲は、増田の「あ!」という声で我に返った。 「これなんだろう・・? 前はなかったのに」 興奮を隠しきれない増田の前にはナゾの中型機械があって、ただでさえ狭いラボ内を圧迫していた。 ベッドほどの面積がある黒塗りの作業台、年季の入ったデスクトップパソコン、ガラス棚に並べられた瓶、用途不明の小型・中型・大型機械・・・・・・ 理科室と理科準備室とを合体させたようなそこは、しかしまだ理科室とは無縁の小学校低学年の子どもには見慣れない場所である。理咲にとってはおもちゃ箱、 増田にとっては宝箱も同然だった。だからこそ鷹見氏はどんなにお願いされてもふたりを一度しかラボ内に入れなかったし、その一度きりのときもふたりが中のものに手を触れないよう 常に眼を光らせていたのである。 自由にラボ内を見れず、ふたりは不満に思っていた。 しかしその考えが『鷹見氏が正しかったのだ』というものに変わるのは、この後のことである。 増田のところへ行こうとした理咲は作業台をぐるっと回ったところでその存在に気が付いた。 香水のミニボトルよりも2回りほど小さく、小さな子どもの手にもすっぽりと収まる大きさのそれは上部が細く尖った形をしている。 ガラス製の容器は透明で、中身の液体が透けて見えた。 (これ・・・・どうやって中のお水を入れたんだろう・・?) アンプルを初めて目にした理咲は、何よりもその形状に興味を持った。 薬液に異物を混入させないで保管するための容器であるアンプルには当たり前だが小さな穴ひとつない。 いろいろな角度から眺めてみても結局どうやって中身を入れたのか解らなかった理咲は、そうだ増田に聞いてみよう、と小さなそれを手に取った。 父親から、「ラボの中のものは絶対に触るな」と言われていたこと・・・ 注意すべきなのは容器ではなく、その中身であること・・・ そのとき理咲の頭の中は疑問でいっぱいで、手元が疎かになっていたことは想像に難くないだろう。 元気よく増田の方へ振り返った理咲の小さな手から、小さなアンプルは簡単に転がり落ちる。 多少勢いのついたアンプルが理咲の後方へと飛び、作業台の下あたりで砕け散った瞬間・・・ それまでの静寂を覆す轟音と共に、理咲の意識もろともすべてが 理咲が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。 しかし馴染んだ家のベッドではなく、無機質感が漂うパイプベッドだ。壁も、天井も、カーテンも、上掛けも、ベッドカバーも、枕カバーも、ベッド脇の棚も、 ベッドのパイプも白。ついでに窓から見える空も白かった。 しかし、理咲が着せられている服は淡いピンク色で、左腕に刺さっている点滴針は銀色、ゴム管は黒だ。 点滴の雫が落ちるさまをぼんやりと見つめていた理咲は、ようやくそこが病院であると悟ったのであった。 理咲が後から聞いた話になるが、理咲が落としたアンプルの中身は、実はニトログリセリンだったという。ダイナマイトの原料でもあるそれは小さな衝撃でも爆発しやすく、 原液は少量でも十分な威力を発揮するのだ。 アンプルの中身は衝撃感度を下げるために水を混ぜたものであった。が、しかし取り扱いが少し簡単になるだけであって爆発しなくなるわけではない。 なぜラボに入ったのか、なぜ考えなしにアンプルを手に取ったのか、なぜ落としたのか、などと後に理咲は鷹見氏に叱られることとなるが、病室に入ってきた鷹見氏は 何よりもまず先に、「助かってよかった」と言いながら理咲の頭を撫でた。 次に鷹見氏は、爆発によって意識を失った理咲をラボの外まで連れ出し、爆音を聞いて駆けつけた近隣住民に救急車と消防車の手配を頼んだのは増田だと話した。 理咲はきっと怪我や火傷を負ったであろう増田の容態やその後を尋ねたかったが、怖くて聞けなかった。怒っている鷹見氏に話しかけることも怖かったし、 何より増田の容態が悪いと聞くのが怖かった。全身に軽い切り傷と背中に重度の火傷を負い、切り傷は完治するが火傷の痕は一生残るだろうと医者に言われた理咲は、 もし増田が自分よりもひどい怪我や火傷だったらどうしようどうしようとばかり考え、アンプルを落とした自分自身を責めた。 増田は理咲が入院している間、一回も病室を訪れなかった。 夏休みも半分終わったころ、ようやく理咲は退院することができた。 感染症の恐れがあるということで、風呂以外の水場が夏の間中禁止されたことは悲しいと理咲は思う。 しかし理咲にとっては、あの日から一度も増田に会っていないことの方が悲しいことだった。 動けないくらいの重傷なのか、増田自身が会いたくないのか、増田の両親が反対しているのか 理咲の不安は募る。怖くて鷹見氏に確認していないのだ。 ぐるぐると思考に嵌りかけていたとき、家のチャイムが鳴った。 時刻は、午後1時。 理咲が階段を下りると玄関先にはもう鷹見氏がいて、ドアを開けたところだった。 ドアの向こうにいたのは増田だ。いつもより幾分青白い顔をした増田はドアを開けてくれた鷹見氏を見上げ、奥にいる理咲を見止め、それから思いっきり頭を下げた。 「すみませんでした!軽率な行動を取ったこと、理咲を危ない目に合わせたこと、謝って済む問題じゃないけど、本当にすみませんでした!!」 「・・・・・」 「師匠の研究を解ったつもりでいながら、一番の基本を解ってませんでした。師匠から子ども扱いされてた理由に気付かなくて、ずっと不満ばかり思ってました。 でも、今回のことで目が覚めました。・・・・師匠、僕に基本から教えてください!しちゃいけないことは絶対にしないし、たくさん勉強します。自分のせいで人が傷付く のはもう絶対嫌だから・・・師匠、お願いします!!」 ズボンを握り締める増田の手が震えていて、まるで泣いているようだった。 頭を下げ続ける増田を静かに見ていた鷹見氏は「両親の了承を得ているのか?」と一言だけ問い、増田が頷くと何も言わずにまた書斎へと戻っていった。 それは無言での肯定だ。増田はこの日から再び鷹見家に訪れるようになった。 爆発当時ガラス棚の近くにいた増田の怪我は火傷よりも切り傷が中心だった。それでも咄嗟に頭と顔を庇ったおかげか目に付きやすいところには怪我は なく、左上腕部と左脇腹あたりを中心に切り傷の痕が残るという。 それを聞いた理咲はまた落ち込んだが、増田は「男だから平気だよ」と笑った。 大半が焼失してしまったラボの再建について、金銭関係は鷹見氏と増田夫妻の間であっさりと話が付いてしまったと教えてくれたのも増田だ。 爆発事故の後も、理咲と増田の『友達兼兄妹』のような関係は変わらなかった。 しかし理咲が小学校4年生になる春、別れは突然訪れた。 増田夫妻の仕事の都合により増田は引っ越すことになったのである。増田だけ残ることもできず、理咲を連れて行くわけにもいかず、最後に増田は深々と頭を下げて 鷹見家を後にした。 離れた距離はまだ子どもだったふたりには遠すぎた。そして歳を重ねるごとに空白の時間は長くなり、成長したふたりをますます疎遠にする。 突然の別れから理咲がアメストリス学園高等部に入学するまでの6年間、ふたりは一度として会うことはなかった。 それもすべて、今となっては昔の話である。 |