See you after school.  10:今は昔  前編








 理咲の父親・・鷹見氏は科学者であり、石油や原子力に代わる新エネルギーについて研究している人だった。ある研究所の研究員でありながら、基本的に一日の大半は自宅の書斎に引篭り研究を進めている。 それは理咲が生まれる前からの生活スタイルであり、数年後に最愛の妻が亡くなっても変わることはなかった。その結果、夫人亡き後は理咲が家の雑務すべてを担うことになったのである。
 理咲は幼いころから母親の家事手伝いをしていた。・・が、所詮『子どものお手伝い』程度である。夫人と同等の家事能力があるはずもなく、小学校にすら上がっていなかった理咲にとって母親が いない生活は試行錯誤の連続であった。
 それでも理咲は持ち前の我慢強さを発揮し、母親がいない寂しさを隠して雑務に励んだ。一方鷹見氏は理咲を手伝うことがない代わりに、理咲が料理に失敗しても、掃除の最中に花瓶を割っても怒ることはなかった。


 理咲は愛くるしい顔立ちに似合わず無表情であることが多い。それは今も昔も変わりなく、夫人が存命であったころからのことだったが、それでも当時は幼い子どもらしく もっと感情が面に出ていたし、特に鷹見家の2軒隣の大きな家に住む、理咲よりひとつ年上の男の子と一緒にいるときはよく笑い、よく怒っていた。
 くりっとした黒い眼が可愛らしいその男の子      増田 英雄は、鷹見家の近所で唯一理咲と同じ年頃の子どもだった。




 増田はある日、当時何の交流もなかった鷹見家を突然訪問してきた。そのきっかけは好奇心旺盛な小学校1年生であった増田少年が鷹見氏の新エネルギー研究に興味を持ったからである。
 増田とまったく面識がなかった上に母親を亡くしたばかりだった理咲が、突然の訪問に途方に暮れたことは言うまでもないだろう。一方鷹見氏も子どものあしらい方を心得ておらず、 その日から増田は頻繁に鷹見家を訪れるようになってしまった。
 それでも幼いながら理解力と記憶力に秀でていた増田は鷹見氏の研究を理解していたらしく、次第に鷹見氏との会話も増えた。その一方で人当たりの良い増田は理咲にも積極的に 話し掛け、笑顔で接した。
 子どもの順応能力は高い。
 初めは『父の客人』として増田を見ていた理咲も、その年の夏には『増田自身』と接するようになっていた。


 増田と理咲はよくふたりで遊んだ。
 理咲の方から増田家に出向くことはなく、いつも増田が鷹見家のチャイムを鳴らす。家にいることも少なくなかったが、ふたりは外にもよく出た・・・というか、 増田が理咲を連れ出すことが多かった。何度も近所の散策もしたし、児童会館で飽きるくらいプラネタリウムを観たし、小さな児童図書館にも大きな市立図書館にもよく行ったものだ。


 増田は理咲を妹のように可愛がっていた。
 高校生になった理咲が思い返すと、当時の増田も寂しかったのではないだろうかと思うくらい、ふたりは一緒にいた。
 増田の両親は夫婦で貿易会社を営んでいる。増田の家は何不自由ない裕福な家だったが、その代価か、増田の両親はあまり家にいなかった。代わりに増田家の 家事雑務をこなすのは朝と夕方だけ用事を済ませにくる通いの使用人。彼女は給与の分だけきっちりと働く女性だったが増田少年にはあまり関心を示さず、ほとんど口を 利いたことがないと当時の増田は理咲に語っている。
        つまり、増田は家族的な関わりに飢えていた、ということだ。
 「公共の福祉に反しない限り、人生は自由だ」と増田に言い聞かせていた彼の両親は息子を塾に縛りつけることもなく、本当に自由にさせていた。だから増田は本当に 時間が許す限り理咲や鷹見氏と日々を過ごしていた。


 見た目は怖いけれど、幼い子どもの疑問質問にきちんと応えてくれる鷹見氏。
 一緒にいるときに必要とされていることを実感しやすい、庇護するべき理咲。


 たとえ本物でなくても、父親的存在と妹的存在を見つけることができた増田は、それまでよりも生き生きとしていた。








 突撃訪問の次の年の夏、つまり理咲が小学校1年生の夏。
 夏休みに入って間もない7月の終わりの、よく晴れた日のことだった。
 部屋で読書をしていたらチャイムが鳴った。「どちらさまでしょうか」と確認を忘れずにしてから開けたドアの向こうにいたのは案の定増田だ。
 増田はいつも昼食後にやって来る。ごく稀に一緒に昼食をとることもあったが、基本スタイルは『午後から遊ぶ』だった。それを理咲も十分承知していたから、時間的に 客人は増田だろうと察していたが、他でもない増田から「僕だって分かってても確認しなきゃだめだよ」と言われていたために毎日確認しているのだ。


「お邪魔します。・・・・師匠は書斎?」
「ううん、今お出かけしてるの。夜には帰るって」
「そっか・・・」


 増田は昨日鷹見氏としたエネルギー総量についての会話を家に帰ってから思い返し、いくつか疑問を溜め込んでいた。そして「明日絶対に聞こう」とメモに整理まで しておいたのに、本日鷹見氏は不在だという。
 しかし落胆を隠しきれないでいる増田を見た理咲は、ひとつの可能性を提示した。「でも、どこに行くか聞いてないから・・・もしかしてラボにいるのかも」 と。


 『ラボ』というのは、町内の外れにある鷹見氏の実験施設だ。
 実験施設と言っても設備は中学校の理科室に毛の生えた程度のものであるが、民家に保管しておくには少々危険な器具や物質もある。中の広さは10畳ほどで耐火性に 優れた壁に覆われており、一見小屋のような建物。時折使用されるこのラボは滅多に外出しない鷹見氏が赴く、数少ない場所だった。


「じゃあラボに行ってみようか」
「うん」


 特別に一度だけ中に入れてもらったことがあるラボまでの道順は完璧である。
 直射日光避けの帽子を被り、戸締りを確認した理咲は、増田と肩を並べて夏の空へと踏み出した。








「ね・・・・本当にお父さんいないの?」


 白い外壁の小屋の前で理咲はポツリと呟く。
 つい2分前に着いたふたりを待っていたのは錠がおりたラボだった。


「あの鍵は外からじゃないと閉められないタイプのものだから、師匠が壁を通り抜ける能力がない限り、中にはいないと思う」


 と冗談を交えてながら増田が指差したのは錠前だ。今どきそんな錠前、牢屋にだって付いてないんじゃないだろうかと言いたくなるようなそれは、それでも侵入者から扉をがっちりとガードしていた。
 ひとりでは中にいながら鍵を掛けることはできない。仮にだれか協力者がいて鍵を掛けてくれるとしても、万が一緊急事態が発生したときに内側から開けられないのでは 危険すぎるだろう。だから、だれかに閉めてもらった説も可能性的には非常に低いのだ。


「それにさっき一周したときにエアコンのファンが動いてなかったし、戸を叩いても返事がなかった。いないんだよ」
「・・・・・・・うん・・」


 増田は次々と物的証拠を挙げていく。
 それと同時に、次第に理咲の表情が曇ってきた。
 ふたりの間にしばらく沈黙が落ちる。『これからどうしようか』と思案するための沈黙だったが、決して気分のよいものではない。
 結局、先に口を開いたのは増田のほうだった。


「・・・理咲、やっぱり中に入って確かめてみようか」


 意外な発言に、理咲は目をぱちくりさせる。
 今までの会話からして、『確かめる』とは『鷹見氏が本当にラボにいないのかどうかを確かめる』ということだろうと理解できる が、錠前の鍵もなければ壁を通り抜ける能力もない増田と理咲のふたりでどうやって確かめるのだろうか。
 賛成も反対もできないまま理咲が増田を凝視していると、ウェストポーチを探っていた増田がにっこりと笑いながら右手を理咲の目の前に出してくる。


「・・ぁ・・・・・・・」




 増田が右手に持っていたもの          それは、一本のヘアピンだった。













2007/8/23 up







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