See you after school. 06:変わり映えしない特別 タンッと小気味よい音が春の空に響いた。 その色は一日の中で一番澄んだ、青 生徒会に入ってから理咲の朝は早くなった。 細々とした仕事に追われる活動のせいで部活の練習に参加できないことが多くなったせいだ。 理咲が弓道部員でいられる時間は短い。 学園祭後に引退するケースが多い文化部に比べ、夏の大会後に引退する運動部の方が活動に参加できる時間が短いのは常である。 しかし、弓道部は群を抜いて引退が早かった。 2年の晩秋には次の学年に全てを託して去らなければならないのだ。 だからこそ理咲は引退するまで部活に打ち込もうと思っていた。深く短くを念頭に、力の限りを尽くそうと思っていた。上手くなることで 自分に基礎から叩き込んでくれた先輩へ恩返ししたいと思っていたし、新入生の勧誘だって指導だって苦手だと自覚しながらも頑張ろうと思っていた。 いや、思いは枯れていない。けれども一度引き受けてしまった以上、生徒会も疎かに出来ない・したくない理咲は部活動まで十分に手が回らなくなった。 つまり、胸の内と実際の行動が完全に一致しなくなったのである。 新入生勧誘は始まってから3日経ったが、それすら満足に手伝えていない。 弓道部仲間であり親友でもある麗華は「理咲がいると勧誘されてくる子が多いのよ!」と理咲の肩をバシバシ叩きながら笑ってくれたが、たかが1時間や30分程度で劇的に 変わるわけがない。麗華の心優しい慰めだと苦笑した。 勧誘の時期は校内を回って新入生に声をかけ見学に来ないか誘ったり、弓道場前にて活動内容を説明したりするので、絶対的な練習量が減ってしまう。 確かに模範演技を披露したりもするのだが、それはやはり無心に練習するのとは異なり鍛錬にはならない。 よって理咲の練習量は他の部員に比べて格段に落ちたのである。 このままではいけないと理咲は強く感じた。 葛藤と焦燥感に苛まれた末、出した結論が『少なくとも皆の足を引っ張らないようにする』ことであり、足りない練習量を補うために『朝練をする』ことだった。 時刻は朝6時。 弓道場には理咲以外に人影もなく、しんと静まり返った空気は冷たさを含む。 早起きは得意でないが、この身の引き締まるような雰囲気は好ましいと思うし、満ち足りた時間が過ごせると理咲は感じている。 本日の一投目は的の中心から右斜め45度上に拳一個半ほどの距離をおいて命中した。 的中なのだから問題はないのだが、『微妙なところだ』とは理咲の心中。 次はもっと集中しなければ。 足踏、胴作、弓構、打起、引分、会、離、残心。 矢が的に当たった音も聞こえぬほど一心に弓を引いた後、我に返って聞こえてきたのはパンパンという軽快な拍手の音だった。 別段驚きもしないし、姿を確認するまでもなく相手が誰であるかが解る。 「おはようございます。今日もお早いですね」 「おはよう。朝が早いのは君も同じだろう?」 音の発信源に顔を向けると、拍手をくれた彼・増田会長は眼を細めて愉快そうに的を見つめていた。 「相変わらず、見事な腕だな」 その低い声は感嘆の響きを多分に含んでおり、多少の距離を物ともせずにすんなりと理咲の耳へ届いた。 なぜ距離が遠いのかというと、彼はいつも決して弓道場に上がらずに柵で囲まれた側面から声を掛けてくるからだ。 危なくないようにとの配慮で離して設けられた柵越しの会話は距離がありすぎるので決して心地よいものではない。だが、 弓道場が無闇に進入してはならない、どれだけ神聖な場所であるかを彼はよく理解している。 「まだまだですよ」 射た矢は的の中心から拳半分外れていた。 あれだけ雑念を払ったつもりだったのにこの結果とは・・・・無意識の世界で自分は相当揺れ動いているのだろう。 増田の方に視線を巡らせると、今度は柵に片肘を付いて理咲を見ていた。 その服装は制服ではなく、黒のトレーニングウェア。 最初に会った日、理咲が何をしているのかと尋ねたら「ん?・・・体力落ちないように早朝ランニング。科学者も体力勝負なのは君も知っているだろう?」と言われた。 なんでも彼は高校入学時から毎朝5時半に起きて自宅から河川敷、学園の順に巡り、最後に軽くストレッチしてから自宅へと戻るのだという。 しかも余程ひどい大雨が降らないと休まないらしい。 話を聞いて理咲は感心し、そして呆れもした。 自分を律し、継続させていく意思の強さには敬意を。しかしその意思の堅さが自分の好きなことにしか発揮されず、 生徒会の雑務など必要なことに適応していないことには溜息を。 昔からこんな人だったかしら、と理咲は首を捻ったものだ。 「それより、いつまでも休憩していていいんですか?」 いつから見物していたか知らないが、これではランニングで温まった身体が冷え、最悪の場合風邪をひくだろう。 春の、しかも朝は寒いのだ。 「もう一回見たら行こうと思ってたんだが・・邪魔みたいだね。帰るよ」 苦笑いを浮かべる増田に「邪魔じゃありません」と言おうとして、しかし音にする瞬間に理咲は堪えた。 それではまるで帰ってほしくないと引き止めるようではないか。 そういうつもりで否定しようとしたのではないと言い訳をしつつ、そんな思考に至ること自体が彼を意識している証拠なのだと思い知らされる。 「お気をつけて」 意図せず寄った眉間の皺を見て、増田は何を思っただろう。 無愛想にも笑顔一つ見せない理咲に対し、彼はいつも一言残していくというのに。 「ありがとう、理咲。ではまた放課後に」 邪気のない笑みを残して踵を返した増田の広い背を、理咲はしばらくそのまま見つめていた。 顔を合わせるようになって、1ヶ月。 普段『副会長』としか呼ばない増田が、朝のこの瞬間だけは呼ぶ自分の名前。 まるであのころに還ったみたいに。 優しく、なんという穏やかな音色。 心の中に声を直接吹き込まれたような奇妙な感覚を覚えた理咲は、落ち着くために固く瞳を閉じた。 乱されてはいけない、誰にも、何にも。 そう決めたのは理咲自身なのだから。 理咲は甘く痺れる疼きを押さえ込み、再び的を見据えた。 そして今度は軽く瞼を閉じる。 イメージするのは水面だ。 漣立ち波紋広がる水面が凪ぐと、感じるのは己と弓矢、そして的のみ。 次第に輝きを増す陽の下で、辺り一帯に小気味よい音が響き渡る。 理咲が鷹のように鋭く見据えた的の中心には、一本の矢が鎮座していた。 |