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 妙に身体が重かった。
 前日いったい何をしていたのか思い出せないが、相当疲れているのだろう。
 遠くのほうで「起きろ」と聞こえる気もするが、無視だ、無     ・・






「いいかげん起きやがれ、ロイ!」


    起床ベルは鳴ってないぞ、ヒューズ・・・まだ寝かせろ・・」


「士官学校じゃねーんだから、起床ベルなんか鳴るわけねーだろ」


「なっ     !」




 ヒューズに叩き起こされる状況に加えて、士官学校の寮でないとしたら・・・・・ここは雨降らぬ砂漠の地だ。 戦地で寝ぼけるほど気を抜いていたつもりはなかったのだが、何もかもが狂っているらしい。
 ヒューズの台詞を聞いて、私は今までの眠気が嘘のように跳ね起きた。

















  美しい未来のために

















「よっ、駄々っ子ロイくん」


「・・・・・は?」




 跳ね起きた私の眼前に映る悪友の顔は、若々しさ溢れる学生の顔でも泥沼化する戦況に疲弊した青年の顔でもなかった。 髭面はありえんだろ、髭面は。
 しかし、あの頃よりもいくつか歳を重ねたこの顔を、私は知らないわけではなかった。
 ・・・こいつが永遠に歳をとらなくなったころの顔だ。




「なんだお前、歳とったなー。童顔は健在だけど。若いやつらに舐められてんじゃねーの?」


「相変わらず失礼なヤツだな・・・」




 その失礼極まりない発言に意識がはっきりとしてきた。
 ヒューズが死んでから、もう随分と月日が経つのだ。
 私は若いと言えない歳になった。最近視力も落ちてきている。
 それでも先ほど士官学校在籍中やら戦時中と勘違いしたのは、ヒューズが私の夢に一度として出てきたことがなかったからだ。 だから今、自分が夢の中にいるのだと思い至らなかった。・・・まぁ夢が夢の中で寝ていた状況から始まったこともないし、そもそも夢自体あまり見ないのだが。




「それでお前は人の夢の中で何をしているんだ? 私はまだそちらの世界に行くつもりはないぞ」




 とは冗談だが。もし迎えがヒューズだとしたら・・・だめだ、抵抗しても敵いそうにない。




「だーれがお迎えだなんて言ったよ。お前はまだ来んな」


「だから行くつもりはないと言っている! そうではなくて、なぜ今更私の夢に出てきたのか聞いているんだ」


「んだよ、せっかちなヤツめ。一緒にいてリザちゃん疲れるって言わない? 俺ぁ心底リザちゃんに同情するぜ」




 と言いながら豪快に笑うヤツがあるか、馬鹿者。
 己の夢ながら、こうも見事に故人を再生できるとは。能力ゆえなのか、これがヒューズ相手だからなのか。結論を導きだすのも億劫だ。
 そして、どうせ見るなら悪友の夢ではなく妻の夢を見たいと思ったことは言わないでおくに限る。揶揄われる以前に、自分で寒い。




「で、本題だったか。確かに時間がねぇな。だれかさんの眠りが浅すぎる所為だが」


「減らず口はもういい。話せ」


「いや、特に話すことあったわけじゃねーんだけどさ、話できる状態になったから最後に話でもしておこうかと思って」


「・・・“話ができる状態”?」


「俺の魂、そろそろマース・ヒューズの意識がなくなるんだわ。記憶が上書きされちまうっつーか」


「生まれ変わる、と?」


「そうそう。だから生きてるお前さんと話ができる」


「そう、か」




 肉体は滅び、繋ぎ役の精神も死によって消えるが、魂は永久に輪廻を繰り返すのか。どれたけ完璧な人体錬成の理論も上手くいかないのは特定の魂の召喚・定着ができない からであって、つまりそれは故人の魂はわれわれの予想を遥かに超えたところに存在するということ。
 となると、逆に肉体との結びつきが作られ始めた魂はこちらの世界に近くなり、睡眠中など、今の私のように意識がない状態の者への交信が可能になる、ということなのだろう。
 まぁどのみち夢の中で必死に理論立てて考えても意味のないことなのだがね。理論の正誤以前にヒューズの話自体が私の夢の産物なのだから。




「・・・・ヒューズ・・お前は本当にそれで・・・」




 いいのか、とは最後まで言えなかった。言えるはずがない。ヒューズがいいと思っているはずがないのだ。
 残酷なことを聞いた、と思った。自分は多幸を手にしておいて、親友に掛ける言葉がこれか。        なんとも情けないことだ。
 これがたとえ夢の話だとしても、記憶がすべて消え去ることに対して、あいつが同意するはずがない。もし私の身に起こるのだとしたら、私だとて嫌だ。できることなら拒否したい。 別の生ける者として新たな生を掴むことはありがたいことだとしても、今このロイ・マスタングという自我・自分が失せた状態を想像できない。それが『生まれ変わる』こと なのだとしても、死に対する本能的な恐怖が喚起されるだろう。それがもし、いつか、私も通らなければならない道だとしても。
 その恐怖にヒューズは臨んでいるというのか。
 そして恐怖の向こうには       あいつの妻と娘・・グレイシアとエリシアの記憶がある。己の命より大切にしたものの記憶を捨て去り、新しい己になりたいなどと ヒューズが考えるか。答えは     否、だろう。




「いや・・・すまない」


「いんや、お前さんの考えは分かるし、俺も同じ気持ちだった。でももういいんだ」


「いい・・とは? よくないだろう?」


「んー、俺の天使たちのことを忘れちまうのはよくねぇけど、ほら、今のまんまの存在じゃ俺は何もしてやれねーからさ。もっかい生まれ変わって、グレイシアとエリシアが・・・ お前さんとリザちゃんと他のやつらみんなが幸せに暮らしてる世界に関わっていきたいわけよ。・・・だけどグレイシアはヘビ嫌いだからなー、虫ってのもなんだしなー、 それだけは勘弁してほしいぜ」


「・・・呆れるほどポジティブだな」


「それが俺様だもんよ。マース・ヒューズは関係なく、俺の考え」


「あぁ、お前らしいよ」




 そうだな。こいつは生まれ変わってもきっとこんな感じだ。私より肝が据わっていて、前向きに強い。是非ともまたアメストリス人に生まれてきてほしいものだ。 そうしたらいつかまた逢える日が来るかもしれないのだから。




「お、そろそろ時間だ」


「短かったな。すまない」


「謝ることねぇよ。んじゃな、リザちゃんによろしく。それから、グレイシアとエリシアに『愛してるぜ』って伝えといてくれ」


「私の口からか? ・・・あまり気が進まんが、まぁ・・最後だから叶えてやろう」


「えっらそうに!」


「偉くなったぞ? お前より階級は上だ」


「助力できなくて悪かった。だかお前はやれば出来る子だと信じてたぞ!!」


「親みたいなこと言うな気色悪い!行くならとっとと行け!」


「ははははは。じゃあな、親友。長生きしろよ」


「お前も元気で」


「あぁ。また美しい未来でも語ろうぜ!」






































































































「マスタングさん、生まれますよー」


 甲高い声に、急激に意識が覚醒した。腰を下ろしていた椅子からずり落ちそうになったくらいだ。数回瞬きを繰り返し、ここが病院の廊下であったことを思い出す。 辺りは薄暗く、一部不自然に明るい。日が暮れているようだった。身体はだるく、寝汗が鬱陶しい。


「眼、覚めました?」
「ん・・・・・」


 そうだ。今日私は仕事もそこそこに司令部を飛び出し、ここへ来たのだった。それでなくとも今日は朝から緊張のし通しだったので、病院の長椅子に掛けて2時間後、 凭れてきた人の暖かさに安堵し、不覚にも眠ってしまったのだ。


「どのくらい寝ていた?」
「1時間くらい、でしょうか。とても幸せそうなお顔で熟睡してましたよ」
「・・・・・見てたの?」
「ずっとではありませんけど」


 私の隣で、リザはくすりと笑う。
 二人で薄暗い病院の中、手を絡めながら寄り添って長椅子に座っているなんて、滅多にない状況だ。
 もちろんこの胃の痛みも。


「安心して、私も少し微睡みました。・・・こういうのは緊張してだめですね。自分がそうであった方が楽」
「私はどちらでも胃が痛いがね」


 廊下は私たち以外だれも居らず、深とした病院らしい佇まいを見せている。天井の灯りは落ち、足元にある非常灯だけが唯一の光源だ。掛けている長椅子に背凭れはなく、 私は背を白い壁に預けたまま。座りっぱなしの尻も、硬い壁に凭れている背も、不自然に固まった首や肩も、すべてが悲鳴を上げている。しかし私はここを動く気になれず、 ただ時がくるのを待っていた。 時計を確認すると、病院へ駆けつけてから丁度3時間が経とうとしていた。リザの顔にも疲労の色が濃く浮かんでいる。それでも私たちは待ち続けるのだ。


「そういえば、何の夢を見ていたんです?」
「・・・・ん?」
「とても幸せそうでしたから」
「さぁ・・なんだったかな」


 ヒューズが出てきた気もするのだが、起こされ方がソフトでなかったので一気に飛んでしまった。いい夢だったと自分でも何となく思う。非常に惜しいことをした。


「いい夢だったと思うのだが、忘れてしまった」
「それは残念ですね」


 われわれ罪深き者は、見ても悪夢であることが多いのだから。


「だが余韻を楽しめばいいさ」


 返事に、リザが口を開きかけた瞬間だった。
 目の前の室内から泣き声が木霊してきた。それは世紀の出来事を告げる合図であり、おそらくありふれた状況であり、掛替えのないものであり、呆気ないものである。
 だが私もリザも、この瞬間を待ちわびていた。少なくとも私たちにとっては祝福すべき瞬間であり、感涙に値する瞬間だった。 事の関係者か、そうでないかによって人の感じ方が随分と変わるだけなのだ。


 新しい命が生まれた瞬間。


 私たちは絡めた手を固く握り締め合い、その瞬間を迎えた。











 病室で私とリザを迎えたのは、息子・ルークとその妻、そして生まれたばかりの赤児だった。ルークやラシェルが生まれたときもそうだったが、二人してぽろぽろと涙が 止まらず、年長者として少し恥ずかしく思いながらも自然に涙が引くのを待ち、顔を洗ってから病室へとやってきたのだ。そのときにはすでに母親も部屋に戻り、子を 迎えた後だった。
 赤児は父に抱かれ、母に頭を撫でられていた。私たちにとって、初めての孫。男でも女でも、丈夫な子に育ってくれればそれでよいと願う。
 固く手を握り合ったままリザと扉付近で佇んでいたら、それを見た息子夫婦は顔を見合わせて笑った。可笑しそうに「もっと中に入ればいいじゃないですか」と言われ、 「あなた方の孫です。抱いてあげてください」と赤児を渡された。
 おい、首も据わらん生まれたばかりの赤児をそう易々と扱うな!
 思わず叱咤しそうになり、大人しく寝ている赤児を泣かせるところだった。リザの手を離すのは少々心許なかったが、湯気の立つ赤児を片腕で抱く度胸がない私は 不本意にも両腕でしっかりと孫を受け取った。
       その小ささに反する、重み。それは庇護する者がいなければ生きることができない小さな存在ゆえの重みだ。
 健やかに眠る稚児の、屈託を知らない顔を見たら・・先程見た夢の内容を思い出した。知らず、呟きが漏れる。


「・・・・・・・・・ヒューズ・・」


 リザが怪訝そうな顔付きでこちらを見ているが、仕方ないことだろう。生まれたばかりの子に向かって「ヒューズ」はないだろうから。
 しかしこの一心に眠る顔がどうしてもヒューズに重なるのだ。安置室で見た最期の青白い顔ではなく、血色のよい顔が歪むくらい派手な笑顔・・夢で見た曇一つない笑顔だ。 こんな考えに至るのは、初めてあいつの夢を見た所為かもしれない。それでも、今はしかと閉じられている赤児の眼の色が若草色だと、私は確信を得ている。 息子譲りの黒に近い色素をもつ髪もヒューズみたいじゃないか。
 「また美しい未来を語ろう」と夢の中でヒューズは言った。それもあながち夢幻でなくなるのかもしれないと考えると、再び込み上げてくるものがある。 哀しいのでも、辛いのでもない。これはきっと・・嬉しいのだ。











「お前に美しい未来が訪れるように・・私たちは変わらず努力しよう」


 新しく生まれてきた世代がみな幸福であるために・・・・
      そのために私たちは生き、この国を変えてきたのだから。






 新たなに誓いを立てた私の頬には、一筋の雫が流れ落ちていた。

















fin.

















2007/7/11 up