C.C.は深々と溜息を吐いた。
 らしくない、という自覚はある。椅子の上で膝を抱えて座っている姿など、かつての自分が見たら目を疑うだろう。・・・いや、そういう脆さは元来C.C.の中に眠っていたけれど、それを態度に出すこ とはなかった。C.C.自身がそれを善しとしなかったのだ。
 その甘えを許容させた男を想って再度溜息を吐く。
 抱えた膝に顔を埋め、C.C.は途方に暮れたような気持ちで考えた。

         まさか、今さらルルーシュと喧嘩するなんて、と。



   tempo primo



 ゼロ・レクイエムから丸6年経った。
 戦禍の痕は世界中からほぼ消えたけれど、人々の記憶から消えることはない。むしろ消さないように、そして後世に伝え残していくために、ゼロ・レクイエムが行われた日には世界規模の平和 集会が開かれる。その様子はマスメディアを通して世界に配信され、視聴者に平和の大切さを毎年訴えていた。
 ルルーシュとC.C.もこの映像配信を毎年チェックしている。各合衆国の代表が招かれる集会には合衆国ブリタニアの代表であるナナリーが必ず出席するからだ。
 今年で21歳になったナナリー。色香という言葉とはまだ縁遠いようだが、愛らしい雰囲気はそのままに、随分と美しくなった。もしルルーシュと並んだならば、姉弟に見えるだろう。それくらい大人 になった。そして、かつてルルーシュの後ろでその庇護を甘受していた少女は、多くのメディアやたくさんの観衆の前で臆することなくハキハキと訓示を述べ、誰よりも熱心に平和を目指す女性になった。
 ルルーシュはもちろんのこと、そのときはC.C.も誇らしい気持ちで中継を見守ったのだ。
 ゼロ・レクイエム前後は悪逆皇帝の映像をメディアが挙って発信するため、迂闊に人里へ下りることはできない。だからルルーシュの固有世界にあるパソコンで見るのが常である。それはいい。
 問題はその後の再生頻度だった。
 毎日のように、などという生ぬるい比喩ではない。ルルーシュは本当に毎日欠かさず固有世界に足を運び、ナナリーの映像を繰り返し見ているのである。
 正直、引いた。
 何故今さら、とも思った。
 シスコンの健在っぷりに初めは呆れて、次第に虚しくなり、そのうち腹が立ってきた。だから云ってしまったのだ、そんなに執着するのなら会いに行け、と。
 これは6年間で何度も議論し尽くした議題だ。ナナリーならルルーシュが生きていることを喜びこそすれ、再び歴史の表舞台に引っ張り出して怨嗟の渦中に落とすことはしないだろう。C.C.は会 いに行っても問題ないと促しても、しかしルルーシュは頑として聞き入れない。問題云々ではなく、これはけじめだから、と。
 ルルーシュのそういうところは好きだ。好きなのだが、如何せん機嫌が宜しくないときにそう云われると腹立たしく感じたりもする。今回はまさしくそれだった。何にそんなに苛立っているのか解ら ないまま過激な言葉の応酬を交わし、終いにC.C.は云い放った。


「出ていく」
「勝手にしろ」


 ルルーシュも相当に負けず嫌いなものだから、まさに売り言葉に買い言葉。それにまたイライラを募らせたC.C.はルルーシュの固有世界を辞すと、本当に家を出てきたのである。
 これまで引き籠りを決め込むときに使っていたCの世界は、今やルルーシュの意のままにパスを繋げられている。つまり家からもルルーシュの固有世界からも入り放題。たとえ塞いだとしてもV 系統のコードの方が空間制御能力に勝れているから、力負けして新たに出入り口を作られるに決まっている。よって家出先として適切ではない。
 現在C.C.が居るのはギアス教会の地下にある嚮団施設の跡地だ。
 嚮団の施設といっても中華連邦の砂漠にあった最新の施設とは比べ物にならないくらい規模は小さい。それでも嚮団の人間が生活していただけあって神根島の遺跡よりは広く、内部構造も複雑である。
 その最深部。シスターが使っていた部屋にC.C.は居た。
 シスターの存命中にC.C.がこの施設に足を踏み入れたことはない。にも関わらずシスターの部屋だと断定できたのは、この部屋にのみ聖母子像が置かれていたからだ。その背後の壁には大 きな十字架が描かれ、聖母子像の隣にある燭台に灯を燈せばそれらだけが暗闇の中に浮かび上がる。祈りを捧げるにはもってこいの空気。しかし嚮団関係者でそんなことをしたがったのは十中八九シスターだけだろう。
 この世に神などいない、と。コードの発現により神と呼ばれるものの正体を知った彼女は、少なくとも教義通りの神など存在しないと解っていたはずなのに、それでも神に祈り続けた。
 それはたぶん、それ以外にどうすることもできなかったからだ。
 いまC.C.がどうすることもできずに悩んでいるように。

 これまで喧嘩らしい喧嘩などしたことがなかった。
 C.C.が揶揄して、ルルーシュが一方的に怒りを顕わにするだけの遣り取り。それなりに酷いことを云われてもC.C.は右から左に流すだけであったし、いつも最後にはC.C.が宥めてルルーシュが 怒りを収める、といった具合だった。
 だからC.C.には解らない。
 何故あんなにも苛立ったのか。
 今思い返してもイラッとする、この感情が一般的に何と呼ばれるかは理解している。嫉妬だ。事実婚そろそろ7年目にして熟年夫婦のような雰囲気を醸し出すふたりの、嫁から見てもドン引きな シスコンぶりに、有体に云えばヤキモチを焼いたのだ。ルルーシュがC.C.に同様の執着を見せることは本当に本気で極々稀だから、尚更。
 だが、それこそ今更だろう。
 その程度のことで苛立っていたらルルーシュとはとうの昔に破局している。それが何故今になって。

「・・・・・・・・・」

 思考が堂々巡りしていることに気付いたC.C.は思わず長嘆息を漏らした。
 とりあえず、まともでないことだけは確かなようだ。このままでは帰れない。そこまで考えてふと思う。冷静になったら本当に帰るのか。     否、出ていくと宣言した以上、すごすごと戻るのも癪である。
 それに、戻ってしまったらC.C.に非があったと認めるようではないか。苛立ちを抑えられなかったのはC.C.に責があるとして、それ以前にルルーシュの態度にも問題があったのに。
 C.C.は唇を引き結んだ。
 折れてやることはない。ルルーシュは庇護が必要な子どもではないし、C.C.がいなくても生活できる。むしろ主夫力が異常に高い男であるから、C.C.がいないことをいいことに家中ピカピカに磨 き上げ、今ごろ優雅に紅茶でも飲んでいるかもしれない。・・・それはそれでムカつくが。
 ぶり返す怒りを去なすようにC.C.は瞼を閉じた。
 ルルーシュと喧嘩してからどれだけ時間が経過しただろうか。
 部屋に時計などないし、あってもこの暗闇では見ることもできない。陽が射さない地下では昼夜すら判然としない。1、2時間のような気もすれば、丸1日経ったような気もする。とにかく今のC.C. は時間の感覚が希薄だった。
 不老不死の身体は必ずしも水や食物や睡眠を必要とはしない。初めのうちは欲求を感じるが、一度リズムが崩れてしまえば身体は順応する。つまり今のC.C.は体内時計ですら当てにならない状況だった。
 随分と久しい感覚だ。ルルーシュと山暮らしを始めてから生活の流れが一定になった。それに伴って体内時計もそれなりに機能していたのに。
 何事も崩れるのは一瞬だな、と。考えてしまって気分が沈んだ。
 ルルーシュがどれだけ大きな存在になっているのか、こんなときに思い知るのだからどうしようもない。「夫婦円満の秘訣はね、我慢と忍耐よ」などと不意にマリアンヌの言葉が音声つきで再生さ れた。いやお前は我慢なんてしたことないだろう話を盛るな、と今は亡き友人のニマニマ笑いを振り払いつつ、しかし正論かもしれないと思った。
 帰る、帰らないでまた揺れる。
 膝を抱える腕に自然と力が籠った。



 カツ、と音がした。
 石が敷き詰められた床を踏む靴の音、に聞こえる。

「いつまでそうしているつもりだ」

 耳に届いたバリトンがどこか緊張を孕んでいるように聞こえたのは、願望が混じっているからだろう。
 C.C.は顔を上げなかった。
 泣いてはいない。上げようと思えば上げることもできたけれど、惰性に任せて現状を維持する。ただ、瞼を押し上げた瞳は抱えた膝の向こうにぼんやりとした光を知覚した。ルルーシュが持参したランプに違いない。

「起きてるんだろ」

 ルルーシュは施設の動力を入れなかったのか。
 仕組みはさっぱり解らないが、コードの力を注ぎ込むことで半永久的に稼働し続ける動力で施設内は照明を点けることが可能である。にも関わらずルルーシュはランプを下げてここまでやってき た。・・・かく云うC.C.はランプすら持たずに来て、暗闇の中を手探りで進んだけれど。
 どうして居場所が判ったのだろうかとC.C.は疑問を抱いた。ルルーシュのコードは確かに空間把握に長けているが、特定の人物の動向をリアルタイムで把握するような、まるで監視カメラのよう な能力はないはずである。しかしここに居るという確証がないまま施設の深部まで来るほど非合理的な性格でもないわけで、つまり居場所は割れていたことになる。それが何故かひどく悔しい。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喧嘩をしたら、仲直りをするものだ」


 耳を疑った。
 これまでつらつらと考えていたことが全部吹き飛んだ。直前に感じていた悔しささえも。
 驚いてパッと顔を上げるなどという小娘みたいな真似は終ぞできなかったが、脱力しきった首に力を入れて頭部の重みを支え、のろのろと視線を上げた。首筋が痛む中、視界の先に捉えたのはどこか不機嫌そうな貌で立つ男。
 拗ねた稚児か、お前は。出そうと思えば出せた声も言葉も、結局喉の奥で閊えて出なかった。
 C.C.はただ黙してルルーシュを見上げる。それが怒っているように見えて怯んだのか、はたまた単に焦れたのか、ルルーシュは天井を軽く仰いで細く息を吐き出した。

「コードを継承して不老不死になっても、記憶力は人間だった頃と変わらないんだな」

 まぁそうだな、とC.C.は内心で肯定した。仲直りとどんな関係があるのか理解に苦しむ発言だが、誤ったことは云われていない。
 人は須らく忘れる生き物である。いや、人間の脳には解明されていない部分も多く、もしかしたらすべてを記憶しているのかもしれないが、たいして重要でもないわりに量だけは膨大な『情報』を 百発百中の精度で正確に引き出す能力がないことは確かだ。
 しかしコードの保有者は日々蓄積されては忘却される記憶を記録に変え、固有世界に保管することができる。しかも常時閲覧が可能。だからかつてC.C.がナリタの洞窟で云った「何もかも忘れ た」という言葉は、確かに『記憶』から消えているので嘘ではないが、しかし『記録』を探れば事実の確認はできるから、正確でもない。それらを踏まえた上で『記録』を外部情報とみなすなら、や はり記憶できる量や持続時間は人であった頃と何ら変わらないということになる。

「ナナリーは大切な妹だ。叶うなら、ずっと傍に居てやりたかった」

 知っている。そのためにもがき苦しむ姿をずっと見てきた。ナナリーだけが世界のすべてではないと断ち切ったときも傍に居た。

「だからせめて、今のナナリーを覚えていたい。いま生きているナナリーの姿を記憶に残しておきたい」

 記録ではなく、記憶に。
 しかし姿を目にする時間が短ければ、そして頻度が少なければ記憶には残りづらい。たとえどれだけ大切な存在であったとしても、だ。
 それは人であった頃の名残。
 だから毎日ナナリーの姿を見て、記憶に焼き付けようとしていた。

「だが、お前のことを蔑ろにしたかったわけではない」

 それは甘えだろう、とC.C.は思う。
 ナナリーのことなら仕方ないと、C.C.がすべて許容すると信じて疑わない馬鹿な男。もっと悪く考えれば都合のいい女扱いされているのと変わらない。
 それでも。


「変わらず傍に居てくれるお前には感謝しているんだ、C.C.          何を泣いている?」


 ひとつ、またひとつと熱い滴が眦から零れた。
 別に、普段ルルーシュから雑な扱いを受けていると感じているわけではない。ふたりきりの山暮らしに不便はないし、夜だってルルーシュは存外優しく丁寧に接してくれる。不満らしい不満はないはずだった。
 それなのに、感謝の言葉ひとつがひどく嬉しかった。
 思い返せば、ナリタの洞窟のとき以来か。もちろん普段から言葉にしなくても伝わってはいたけれど、実際にルルーシュの声で、言葉で形にされると全然違う。
 何も云えずにただ涙を流していると、不意にランプの淡い光が近づいてきた。それは脇の台に置かれ、シャツに覆われた両腕が伸びてくる。
 ルルーシュはもう何も云わなかった。
 ただ包み込むように抱き締めてくれる。苦しいくらいもっと強くても構わないのにと身を寄せて、すぐに叶えてくれる男の腕の中で、C.C.は久方ぶりにたくさん涙を流した。





 地上に出ると、辺りは薄暗かった。
 夕方かと思いきや、東の空が白んでいるのを見て明け方だと知る。家からギアス教会までの道中に街灯などあるはずもないから、ルルーシュが持参したランプに合点が行った。
 ふとここで再び頭を擡げる疑問。ルルーシュは何故C.C.の家出先が判ったのだろうか。
 もちろん選択肢のひとつとしてギアス教会は必ず挙がるだろうが、C.C.には里に下りるという強力なカードだって切ることができたのだ。それなのに手の内が読まれたということは、やはり新し い能力か。能力開発自体は否定しないが、ストーカーじみた力は気持ちが悪い。「よく私がここに居ると判ったな」とさり気なく訊いてみると、ルルーシュは辺りの闇を含んだアメジストの瞳を意味ありげに細めた。

「Cの世界を一通り探して見当たらなかったからな、ここだと確信した」

 そうか、Cの世界は探したのか。
 でもそれでは家出先の有力候補がひとつ減っただけなのに、確信とはこれ如何に。


「俺が迎えに行けないような場所にお前が行くはずないだろう」


 聞いたC.C.は絶句した。
 それではC.C.がルルーシュから離れたくないと思っているようではないか。しかもルルーシュ本人にそう認識されているなんて。
 C.C.はぷいと顔を背けた。

「それは正しくないな」
「正しくない?」
「お前が来れるようにあそこに居てやったんだ、私は」

 離れたくなかったのは私ではなくお前の方だろう、と。現に迎えに来たのはお前だ、と。そう仄めかして伝えれば、しかしルルーシュは呆れたように鼻で笑った。

「それなら満足か?」
「間違いを訂正しただけだ。満足も不満もない」
「・・・そうか」

 あれだけ喧嘩をした後だから余韻を引きずってもっと突っ掛かってくるかと思ったのに、さらりと流されてしまった。元来の強気な性格を知っているだけに、意外といえば意外である。
 ちら、と横目で窺った先。見えたのは忌々しいほど澄ました、端整な横顔だった。
 さすが生前は悪逆皇帝。嫁の顔色すら気にしないのか。
 ある意味彼らしいが、肩透かしを食らったような気分になる。しかし遍歴の魔女の矜持でもってその辺りの愚痴は封印し、ルルーシュの隣を歩き続ける。       と、腰に熱を感じた。見れば ルルーシュの手がある。俗に云う、腰を抱かれている状態だ。


「離れていかないのなら、それでいい」


 そう云ったルルーシュの横顔は変わらない。しかし黒髪から覗く耳の端は赤く染まり、ルルーシュの感情を如実に語っていて。
 その瞬間、C.C.は音を聴いた。ただし、キュン、とかドキッ、などという可愛らしい音ではない。
 ガチャリ、と。囚われた堅固な檻に錠をおろされた音だ。鍵はおそらく2本あり、互いに1本ずつ管理している。その鍵はそれぞれの上着の内ポケットにあって、しかし今後も日の目を見ることは ないだろう。解放を希えば叶うだろうが、C.C.には考えられない未来だった。
 色恋に対して心底疎かったボウヤにしては成長したな、と唇を綻ばせて、少しルルーシュに身を寄せる。
 鳥たちの鳴き声とともに目覚める森の中を歩きながら、C.C.は日常が戻ったことを感じていた。






『tempo primo』

おまけ→

2014/10/28 up