消えなくていいから カランを捻るのに躊躇したのは、初めてだった。 捻り方が分からなかったのではない。捻った後に襲いくるものが恐かったのだ。もし真っ赤な血や、砂の飛礫が吹き出てきたら・・・。そう思うと、カランに置いた手が震える。 しかし、このシャワーはロイが先に使っているのだ。いくら二人の関係が殺伐としたものになってしまっていても、異常があればロイは教えてくれるだろう。 リザは覚悟を決めて、おもいきりカランを捻った。 シャワーのノズルから勢いよく飛び出してきたのは、透明なお湯。それが一般でいうところの 『普通』 なのだとしても、今のリザには信じられないくらい感動的なことだった。 そっと差し出した手に跳ねる飛沫は、温かい。 イシュヴァールから帰還した兵士たちはセントラルで凱旋パレードを終えた後、各々のホームへ帰ることが許された。それはリザも例外ではなくて、リザはすぐにでも士官学校に 戻るつもりでいたのだが、問題がひとつ残っていた。 それは士官学校というより寄宿寮、つまり住むところに関する問題だ。 寄宿寮は、生きて戻れるか分からない過酷な戦場へと送り込まれる士官候補生たちを気長に待ち続けるような甘いところではなく、戦地入りが決まった寮生たちは私物と 共に一時退寮することが義務付けられていた。リザもやはり例外ではない。他人に私物を預けるアテのなかったリザは、纏めた荷物を現在無人状態である生家へ送ったのだった。 そのことを後悔したのはセントラルからイーストシティに戻ってすぐのことだ。 再入寮の手続き処理に少なくとも5日かかるという。戦地での支給品はもう手元にない。さらに、決して良いとは言えない乗り心地のトラックやら列車やらに長時間 揺られ続けたリザは疲れ果てており、シティから遠く離れた生家に帰る気力が残っていなかった。 最終手段は野宿だけど、憲兵に捕まったら面倒なことになるわ・・などと本気で考えていたリザを保護したのはロイだ。表向きは「背中の錬成陣を焼く」 という名目の下に 連れてこられたが、実際は情けをかけられたのだろうとリザは思っている。 ロイ・マスタングという人物は、どこまでもリザに甘いのだから。 頭のてっぺんからお湯を浴びるのは久しぶりだった。 短い髪は顔にぺたりと張り付き、お湯はとめどなく身体の表面を滑って落ちていく。それは慣れていたはずの感覚であるのに、今は『当たり前』 として受け止められない ことにリザは気がついた。 頭の隅を掠めるのは、罪悪感 「・・・今更、なのに・・」 この罪悪感を背負って生きていくのは当然なのであって、目を逸らさずに向き合っていくと決めたはずだった。リザ自身が決めたはずだった。 「消えない、消えるはずがない、消えなくていい」 そう自分に言い聞かせて、血の河を渡る決意を固める。 今、このお湯で流れていいのは迷いや弱さや平穏な暮らしを求める心なのであって、たとえ物理的な返り血や砂埃は身体から流れて消えてしまっても、 それらを浴びた事実は軽く流してはいけないのだ。それらを忘れたら最後、リザは人を殺すだけの機械になってしまうのだから。 「・・・・・・・・」 ざあざあと音を立てながらリザへと降り注いだお湯は、排水溝へ吸い込まれて、消えていく。 しかし、心にしつこく残った弱さが邪魔をして、リザは薄汚れた色をしているであろう足元のお湯を直視することができなかった。 fin. 2007/11/27 up |