森の中で




 苦手な会計帳簿の確認をやけに大人しくやっていると思っていたら、火の付いてない煙草を銜えた少尉が突然ポツリと呟いた。
 曰く、「やっぱ相手が熊でも嬉しいんスかね」と。
 あまりの唐突さに間抜な声が出そうだったけれど、寸でのところで堪えることができた。その流れで冷たく無視することもできたけれど(普段なら無視することが 多いけれど)、言葉が問い掛けの形だったことと、大きいはずの背中がやけに小さく見えたことを理由に、つい声を掛けてしまう。
 誰に似たのか、私も身内には随分と甘い。


「・・・なんの話?」
「童謡っスよ、イヤリングを落とした少女とそれを拾って追いかける熊の。中尉知ってます?」
「それくらい知ってるわ。・・・で?」
「最終的に熊と踊っちまうくらいなんで、相当嬉しかったのかな、と」


 なんて、軍務と全く関係のない話。でも少尉が何を言わんとしているのか、解ってしまった。
 また振られたのだ、可哀相に。落し物を拾ってくれた人がとても良い人で、お付き合いすることになったから別れたい、とでも言われたに違いない。 そうでなければ、悪戯好きの上官から揶揄の的にされても1時間後には復活する少尉がここまで沈んだ雰囲気を醸し出すはずがないのだ。


「大切にしているものをそうと理解してもらえれば、誰だって嬉しいと思うけれど・・・」






 冷たい家の中で、それでも私は唯一の肉親である父のことが好きだった。変わり者の父親ということで悪口を言われたこともあったけれど。 それでも私は父のことが好きだった。・・・・奥義を記す羊皮紙代わりになってもいいと思うくらいに。
 彼に背を見せたとき、彼はすぐにでも錬金術師として錬成陣の示す真理を探求したかったのだと思う。興奮の色を隠し切れない声がすべてを物語っていたから。
 でも彼は陣を転写するでもなく、メモをとるでもなく、辞書を引くでもなく、まず私の頭をそっと撫でながら言ったのだ。


「師匠は幸せだったと思う。君が・・ずっと傍にいてくれたから」


 そして彼は、力になれなくてごめん、託してくれてありがとう、と続けた。
         涙が、止まらなかった。
 声は上げずに、ただただ涙を零した。背を向けていたけれど、彼にもばれていた。でも彼は泣いていることに言及することはなくて、「やっぱり寒いから明日の昼間にしよう」 と告げると急に後ろから毛布を掛けてきたのだ。そのままくるりと包み込まれた私はその夜、彼の腕の中で眠りについた。眠ったと実感できたのは・・・数日ぶりだった。
 彼は逸る自分の心を抑えて、父を悼む私の心を尊重してくれた。
 それを嬉しいと言わなくて、他になんと言えばいいのか。
 己の感情に疎い私は・・・・今でも答えを持ち合わせていない。






「でも、少尉もさり気なく人の心を暖かくしてることあるから、大丈夫よ」


 随分と古い記憶が掠めた所為か、なんとも的外れな慰めが口を衝いて出てしまった。きょとんとこちらを見る様が子どもみたいで可笑しい。
 ぽんぽんと軽く頭を撫でると、少尉の口からポロリと煙草が落ちる。


「ちゅ・・中尉!?」
「じゃあ私は大佐の執務室へ行ってくるから、その帳簿、頑張ってね」


 私は彼みたいな優しい言葉は持ち合わせていない。執務室へ行くというのはそれを誤魔化すための口実でもあったのだけれど・・もちろん仕事だってあったのだけれど・・・・・ 一番の理由は彼に会いたくなったからだ。
 職務中に不謹慎、と思わなくもない。だけど今、私の心はひどく踊っている。




         毛布越しでも、彼の腕の中は暖かかった。

















fin.

















2007/8/ 6 up