人は時間が余ると自身の存在意義や行動について考え込むものなのかもしれない。 今の私は正にそんな状況だ。 いえ、実際は何もやっていないことなんて自分でも解ってる。ただ人の家の玄関の前で莫迦みたいに立っているだけ。まるで親に叱られて反省させられている子供のように。 ただそれが暖かい季節だというのならともかく、朝晩の冷え込みが厳しくなった晩秋では5分も待てば嫌になってきても仕方がないことなのではないだろうか。 よろしく 後 『では先程の写真を頂きたいので、御宅までご一緒させてください』 この言葉には即効性があったようで、彼はあの後しぶしぶという様子だったけれども大人しく自宅に向ってくれた。 着いた先で「ちょっと待ってろ」と言って入って行ったものだからすぐに出てくると思っていたのに・・・ 待てども待てども一向に出てくる気配がない。 そういえばロイ・マスタングという人物が、彼にとってイレギュラーなものに関する記憶力だけは人一倍劣っていたことを思い出す。 今頃辺りを探し回っているに違いない。 その10秒後、「いつまで掛かるんだろう?」と盛大に溜息を吐いたところで扉は開いた。 「・・・少尉」 「見つかりましたか?」 「すまない。まだ見つからないのだが・・・」 「そうですか。ではもう遅いですし日を改めてもよろしいでしょうか」 こんな時間に独り立っていれば不審者に間違われる。 「いや、見つけるから・・・中で待っていてくれないか。そこでは寒いだろう?」 えぇ、確かに寒いです。 「しかし・・・」 「お茶でも淹れて飲んでいてくれ」 彼はそう言い残すとまた奥に引っ込んで行ってしまった。支えを失った扉もゆっくり閉まる。 動揺していた私は衝動的にそれを押さえて、するりと身体を中に滑り込ませてしまった。 ・・・入ってしまった後で途方に暮れる。 「写真が挟んであった本も、ページも覚えている。本の位置も分かる。なのに何で肝心の写真がないんだ・・・?」 ぶつぶつ独り言を言う彼はこっちのことなんてまるで気にせずスタスタと歩を進めている。 私が入ってしまったことも気付いていない・・・いえ、もしかしたら今そっと出て行っても気付かないかもしれない。 「そっちがリビングで奥がキッチンだ。お茶は適当に探してくれればいい」 言うなり別の部屋に消えてきまった。おそらく書庫、だろう。 内側といえどずっと玄関に突っ立ていて、戻ってきた彼に済まなそうな顔をさせることがあっては忍びない。 だからといって言葉を鵜呑みにするのも躊躇われる。 逡巡した末に、私は差障りのないと思われる『リビング』と言われた空間に足を踏み入れることにした。 第一印象は『落ち着いた色合いの家具で統一されているのに、何だか空虚な感じのする場所』、だった。 ダークブラウンのローテーブルとオフホワイトの2人掛けソファー、小さなローチェストの上には電話が一台。 たったそれだけ。写真も植物も何もない簡素な部屋。 ・・・・・あぁ。部屋の広さに比べて物が異常に少なすぎるから妙な空虚感を感じたのだ。 雑然とした司令部の方がまだ生活感に富んでいるようで、その色調と気配のアンバランスさに居た堪れなくなる。 ここは、落ち着かない・・・。 逃げるために次いで向った奥のキッチンもさっぱりあっさりとしていて、食器ひとつ出ていなかった。 「・・・・・私がここで落ち込んでいたって何の意味もないじゃない」 気晴らしにお茶でも淹れよう。辺りを探ってもよいとの許可も出ているし、お茶の存在を示唆したくらいだから どこかに必ず在るのだろう。淹れたら彼を呼んでくればいい。他人の家でお茶を勝手に淹れて勝手に飲むのは気が引けるけれど、 家主と一緒ならばそれがたとえ上官でも問題ないはずだから。 そんなことを考えつつ、私は利用頻度が高そうな戸棚に手を掛けた。 昔、レベッカに言われたことがある。 「ねぇリザ。よく知りもしない男の部屋に簡単に上がっちゃダメよ?」 「・・・いきなり何の話?」 「だって、リザってば普段はめちゃくちゃ隙がないのに、どこか抜けたところがあるんだもの」 「そんなこと・・抜けてなんかいないわよ」 「でも用心するに越したことはないでしょ。いい?たとえ超精度のいい稀少な銃をあげるって言われても付いて行っちゃダメだからね」 「・・・・・まるっきり幼児扱いね。大丈夫よ、そんな出処の怪しい銃なんて怖くて使いたくもないから」 「そういう問題じゃないでしょ!? 何故レベッカが上がってはいけないと言っていたのかは、だいたい解る。 だけれど私には全く無縁な話だと思っていたし、これからもそうだと思っている。 ・・・・・・・・・今の状況は一体どれくらいレベッカの言っていた状況に当てはまるのだろうか? 私だって家の中に入ることになるなんて・・・しかも本当に勝手にお茶を淹れることになるなんて考えてなかった。 でも公になっていなくても私とあの人は決してよく知らない人同士ではないし。 写真を渡すとは言われたけれど銃をあげるなんて言われてないし。 むしろ護衛のために「自宅まで送る」と言ってここまで来たのは私だし。 ・・・・・。 何もダメなんかじゃないわよ、ね? そんな私の思考も、任務を全うしたことを仰々しく告げる薬缶によって、一瞬で空気に溶けてしまった。 お茶の準備を整えて家主を迎えに行き、さっき彼が消えていった戸をノックしたのだけれども返事がない。 そんなに熱中して写真探しをしているのかしら。 コンコン。 「中佐、お茶の準備が出来ましたので少し中断されてはどうですか」 ・・・・・。 やはり返事はない。これでは折角沸かしたお湯が冷めてしまうではないか。 そこで私は入ってよいものか悩みつつも、ゆっくりと戸を押し開ける。 「中佐 お茶の準備が出来ました、と続いたはずの言葉は、心臓が跳ね上がると同時に途切れてしまった。 そこにいたのは私が思い描いていた人物ではなかったからだ。 部屋の中は薄暗かった。それもそのはず。明かりがついていないのだから。 彼は窓際に立っていた。窓際に立って、入ってくる月明かりを頼りに活字を追っている。 「・・・・・マスタングさん・・?」 そう。彼は写真なんて探していなかった。 ・・・いえ、辺りに本が数冊散らばっていることから推し測ると、最初は本当に探していたのだ けれども、ふと手にした本が気になって読み始めたら音も聞こえないくらい集中してしまった、というところ。 今の彼はいくら呼びかけたって気付いたりしない。 「・・マスタングさん・・・」 その様は錬金術師のもの。今は亡き、彼の師であった人を思い起こさせるもの。 私がずっと想いを寄せているあの人と同じもの。 いなくなってしまったはずのマスタングさんが何故ここにいるのか。答えを求めて頭がフルスピードで回転している。 混乱の余り、頭痛がしてきた。 でも、答えはきっと簡単。マスタング中佐の中にマスタングさんが生き続けていたから。それしか考えられない。 私が気付いていなかっただけ・・?頭の中で考える。 ・・違う。気付いていた。最近特に中佐とマスタングさんが重なって見えたのだから。 気付いていなかっただけ・・?自分で自分に問い掛ける。 ・・いいえ。気付かないフリをしていただけ。目を逸らしていただけ。認めたくなかっただけ。 秘伝をすんなりと託してしまった私が、マスタングさんは変わってしまって錬金術を人殺しに使うようになった、 と思いたかっただけ。 そうじゃないと悲しくて、苦しくて、辛くて、悔しいから。 私もだけれど、皆を守りたいと言ったマスタングさんがそうだと思ったから。 だから昔の心優しいマスタングさんはいなくなったのだと決め付けた。 加えて彼自身、変わってしまったように振舞っていたから思い込むのは簡単だった。 今目の前にいるロイ・マスタングは錬金術師で、それでいて軍人で、どこまでも理想を追い求める人・・・・ 私のよく知るロイ・マスタングなのだ・・! ・・・・・はっきりと認めてしまった今、もう気付かないふりなんてできない。 「マスタングさん・・!」 切なくて、でも嬉しくて・・・思わず零れた声は震えていた。 そんな聞き慣れた懐かしい声を聞いた気がした。 幻聴かもしれないのに思考の渦は動きを止め、逆回転を始めた。 複雑かつ単純な世界を織り成していた文章は、次第にただの記号の集合体へと変容していく。 そこで私は、あぁ・・現実世界に戻るのか、と悟るのだ。 このような内的世界からの帰還を経験したのは一度や二度どころの話ではない。 だが只管研究に没頭して、集中して、身体の方が付いてこれなくなるまで続ける・・というか 続いてしまうのが常であって、誰かの呼びかけなどには反応しないはずだった。 いや、一人だけ特別がいたか。まだ孤高な錬金術師の弟子であったころ世話になった・・ 小さな身体で大きな家のことを全て独りでこなしていた少女。彼女の発する『マスタングさん』という単語は 自分の中で特別な意味を帯びていて、どんなに深く考え込んでいても必ず還って来れた。 そう、こんな調子で呼ぶんだ。あのころより幾分落ち着いて、艶が出てきたようだが、綺麗なのは相変らず。 でもなぜそんなに悲しそうな声なんだ? 「・・・リザ?」 ようやく内的世界の柵から解放されて文字の羅列から顔を上げる。戸口に誰か立っている。 その辺りまで光は届かないが、人影の気配で彼女だと知れた。 ・・・・・・・・・・しまった、写真を探していたのだった。そんなに長い間本に熱中していたわけでもないと思うが・・・一旦 集中すると時間感覚がまるで伴わなくなるので断言はできない。不審に思って呼びに来たのだろうか。 ・・・悲しいが、その選択は正しい。 「すまなかった。この内容がどうしても気になったものでね、つい目的を忘れて読み耽ってしまった」 本を机に置いて彼女の傍に寄る。書庫にしているこの部屋はどうしても寒い。彼女をリビングに帰さなければ。 「今度はきちんと探すから、君はリビングに戻って・・・・・・少尉・・?」 傍に来てやっと彼女の顔がはっきり見えるようになったが、その表情がとても儚げで、言葉が最後まで出なかった。 鳶色の大きな瞳は潤み、不安と戸惑いを湛えている。涙が零れる5秒前、丁度そんな感じで。 ・・・何があった? 「どうした、ホークアイ少尉」 「・・・・・・」 とりあえず硬めな口調と声色で問うても彼女は答えない。模範的な軍人の態度を貫く彼女にとって、ありえない行動。 確実に何かがあった。原因を考えた結果、真っ先に吹きさらしの野に佇む白い墓石を思い浮かべる自分をどう評価すべきだろうか。 「あぁ、もしかしてホークアイ師匠が恋しくなったのかい?」 わざと茶化した質問をした。子ども扱いを表現するために頭まで撫でて。 『違います』と言い切り、私の手を払い除けて、冷めた眼でこちらを睨む。そんな反応が返ってくると確信していたから。 たとえその通りであったとしても、強くあろうとする彼女は絶対に否と言うと解っていたから。 「・・そうかもしれません」 だから彼女の返事を聞いて、我が耳を疑ったのだ。 ここにいる彼女は軍人ではない。尊敬する錬金術師の一人娘だ。 そう感じた直後から頭の中で警鐘が鳴り出した。彼女から離れろと誰かが大声で告げている。 彼女の言動が予測できないどころか自分をコントロールする自信がなくなりかけているからだ。 つまり、今の自分は何をするかわからない。 蓋が開いた彼女に触発されたか? それは絶対に許されない!などと頭はわけのわからないことを考える。 ・・・だというのになぜだか身体は勝手に動いて彼女を抱き寄せてしまった。彼女は一切の抵抗を見せず、 むしろ私に体重を預けてくる。昔ほど身長差はなくなったというのに・・腕の中の彼女は小さくて、細かった。 「大丈夫だ。今の君は独りではない。・・・そうだろう?」 司令部のヤツらは・・少なくとも私の部下は皆いいヤツらだ。同じものを目指しているということで強い絆が生まれているし、 何より皆彼女のことを慕っている。それに彼女にも親友がいるだろう。 親との関係のような関係は無理だが、少なくとも孤独感は抱いていないはずだ。 「大丈夫だよ。師匠も見守ってくれている」 そして私も兄のような存在として今こうしているのだと思ってもらわなくてはならない。明日になれば上官と部下に 戻るが、今だけは昔のように少し距離を縮めてもいいだろう。 ぽん。ぽん。ぽん。幼子をあやすように背を叩く、兄としての役割。そうやって今の状況を 誤魔化すこと以外、今の私に何が出来るというのだ。 暫くして始めて抵抗が見られた。リザ自身の力で私の肩から顔を離し、身体を離す。 引き止める理由なんてなかった。彼女が落ち着いたらもう写真は後日に廻して家まで送るつもりでいたのだ。 だが彼女は私と至近距離を保ったままそれ以上離れようとしない。不審に思って視線を下げると彼女もこちらを 見ていたことに気が付いた。・・・それはいいが、妙に顔が近い。リザの瞳に私の姿が映りこんでいるのを見て、焦る。 「・・マスタングさん。私ずっと気付かないフリをしていたんです」 「気付かない、フリ?」 彼女がこくりと頷く。すると我慢しきれなくなったのか再び鳶色の双玉が揺らめきだした。 「貴方はずっと貴方のままだったのに、私はそれを認めたくなくて・・気付いていないことにしていました」 「・・・・・・」 「貴方だってあの地で悩み苦しんでいたのに、私は自分のことを棚に上げて貴方ばかりを責めました。 錬金術師のすることではない。もう父が望んだような錬金術師ではない、と。してはいけないことだったのに・・」 「 「いいえ。貴方はあのころから変わっていません。・・・貴方は、錬金術師です」 終に涙が一粒、彼女の瞳から流れ落ちた。 「過去の過ちを乗り越えて理想を追い求め、人々の幸福に繋げるのが錬金術師なのでしょう?」 澱みなく響き渡るその声に、 「貴方は確かに父の弟子です、マスタングさん」 傷の嘗め合いなんかではない、心からの言葉に、 「リザ・・!」 どうしようもなく癒され、愛しさを感じた。 腕に力を込めるとリザは再び腕の中に納まる。言いたかった、でも伝えることが怖くて言えなかったことを 今言ってしまいたい。彼女を抱きしめたのは逃げられないようにするためか、それとも顔を見られないように するためか。 「・・・好きだった、ずっと」 彼女の身体が小さく跳ねる。 「愛してる・・・・リザ」 触発でも誘発でも何でもいい。とにかく今じゃないと一生カタチにすることができない気がした。だから 思ったままの言葉を重ねた。この気持ちの半分くらい伝わればそれで十分だと思ったからだ。 「・・リザ・・・」 愛しくて遠いその名を、今だけは呼んでいたい。 「 肩口に顔が押し当てられた状態でリザも私を呼ぶ。続く言葉が拒絶でも後悔はしない。笑って彼女を放そう。 だがその誓いが守られることがなかった。 リザがゆっくりと私の背に腕をまわしたからだ。 「私も・・ずっと、ずっと、好きでした」 声が震えている。上着を掴む手が震えている。・・・あぁ、彼女は『マスタングさん』のことが好きなのだとついこの間 耳にしたばかりではないか。 「昔も今も、変わりません。貴方のことが・・・好きなんです」 薄暗く寒い部屋。ここにある錬金術書はほとんど師匠が所有していたもので、リザの了解を得て譲り受けたものばかりだ。 さきほど彼女に『師匠も見守ってくれている』と言ったが、この大量の錬金術書に囲まれていると本当に師匠に見られているような 気分になる。 私にその背を託してくれた少女は腕の中。力を入れすぎて、もしかしたら苦しかったかもしれない。 慌てて緩めるとこちらを見上げてきた。うっすらと涙に濡れた頬に手を滑らせると顔を傾けて続きを強請ってくる。 言葉など必要なかった。互いの眼から寸分も視線を逸らさず、ただ見詰め合う。 軽く触れるようなキスは、少し涙の味がした。抵抗されるかと思ったが、それどころかきちんと瞳を閉じて応えてくれて。 唇を離したときに見た震える長い睫が、その陰影が、理論家であるはずの錬金術師が表現できないくらいに綺麗だった。 それを口実に再度唇を寄せる。今度はしっかりと唇の暖かさと柔らかさを堪能するために・・・・・。 白んでいく頭の片隅で・・バカだな、こんなに急いてどうする。と冷静に分析している存在がいることは認識済みだ。 彼女は震えていたが拒みはしなかった。私も息苦しくなって終に唇を離すとリザは喘ぐような呼吸を繰り返す。 ・・・斯くいう私も大いに息が乱れているのだが。 あー、これからどうするか・・と考えあぐねていると、息を整えたリザと眼が合った。瞬間ぱっと恥ずかしそうに 顔を伏せたリザは、頬を染めながら再びゆっくりとこちらを仰ぎ見る。 「・・・・・マスタングさん・・・」 縋るような声としっとり濡れて揺らめく眼差しに何かが切れた。確実に。 私はリザを抱き上げると、寝室へと足を向けた。 リリリリリリン・・・ 十分に機能していない頭が最低限の刺激を処理しようとしている。 リリリリリリン・・・ 聞き覚えがあるようで、ない音。 リリリリリリン・・・ 電話の呼び出し音に聞こえるけれど、司令部のとも自宅のとも違う。 リリリリリリン・・・ 広がる違和感。 リリリリリリン・・・ そもそも、何故横になっている頭のすぐ上で電話が鳴るのか。 リリリリリリン・・・ リリリリリリン・・・ 私は昨夜、何をしていた 「!!!」 勢いよく跳ね起きたものの、それ以降身体を動かすことができなかった。視線の先には見慣れない電話が一台。 無慈悲にも、私が受話器を取ることを要求し続けている。 幸か不幸か部屋には私一人しかいなくて、責め立てるような音に身体を強張らせることしかできない自分が情けない。 ・・・・・この場合、確実に不幸だと言えるんじゃないだろうか。 ここは私の家ではない。 だって受話器を取れば相手が司令部の誰かだとしても女の人だとしてもテロ予告だとしても何か言葉を発しなくてはならなくなる。 それはマズイ。絶対にマズイ。相手が誰だとしても彼の信用問題に関わってしまう・・テロ予告は例外かもしれないけれど。 リリリ・・・・・・・・・ あ・止まった。そう思った瞬間に力が抜けて大きな溜息が漏れてしまった。 どうやら知らず知らずのうちに息まで止めていたらしい。 物理的な時間にしてみればとても短い時間だったのだろうが、精神的には十分ダメージを受けたわけで。 朝からなんてことなの・・・・・なんて考えて、また止まる。 ・・・今、何時? 目の前には重厚な扉。だが私は何の躊躇いもなくノックし、声を掛ける。 「ホークアイです」 「入れ」 「失礼します」 いつもの東方司令部。いつものやりとり。 「おはようございます。決裁は進んでいらっしゃいますか」 「おはよう、少尉。こっちは全て終わっている。後で確認してくれ」 「了解しました」 でも、私の機嫌はいつも通りではなかった。仕事が滞りなく進んでいることを確認した後、話をきりだす。 「中佐、お仕事中申し訳ありませんが少しお話があります。よろしいでしょうか」 「・・・何だ?」 「出勤途中にある女性から渡されました。貴方に返しておいてほしい、と」 取り出したのは一通の封筒。それを中佐の執務机に乗せると、カツンと鈍い音がした。 中身が紙でないのは封筒の不自然な膨らみ方からしても一目瞭然だ。 「あなたの家の鍵、だそうです」 「ふむ・・・・・確かに。それで、君は何故そんなに怒っているのかね」 「貴方の軽率な行動には怒りを通り越して呆れるしかありません。国軍中佐が自宅の鍵を他人に預けるなど、愚行の極みです。 悪用されるかもしれないのですよ?相手の女性もとても怒っていました。黙って家を出るくらいなら起こしてほしかった、と」 「そうか。あまりにもぐっすりと眠っているので起こすのが忍びなくてな、彼女なら悪用など絶対にしないと 信じているから鍵を残してきたんだ。それでも彼女が寝過ごしてはいけないと思って 電話を掛け・・・・・・ 「いいえ。怒っている顔ではなくて怒り狂っている顔です」 知らされた事実に無性に腹が立った。 あの恐怖の電話の正体はこの男だったのか。背中から撃つのではなく正面から撃ってやりたい。今、ここで。 電話が鳴り止んで、私はようやく周囲を把握できるようになった。 柔らかい陽光がカーテンの引かれていない窓から降り注いで部屋を満たしている。 それもそのはず。時刻は私の出勤時間の2時間前で、もう正午をまわっていた。 午後出勤の男がいないということはちゃんと仕事に行ったということだろうか。 さっきの電話の用件が無断欠勤男捜索のため、でなければの話だが。 そろり、と周囲を見遣るとベッドの足元の方に服が無造作に置かれていた。 他人の、しかも女性の服なんてまじまじと触れない。でも床に放っておくわけにもいかないから仕方なく。 そんな感じのする置かれ方だった。置かれるというより、とりあえずベッドの上に投げておいたという表現の方がしっくりくる。 脱がせるときは平然としてたくせに・・・シーツも換えられているようだし、変なところで妙に真面目な男だ。 いろんなところで間違っているような気はするが。 次に目についたのは電話の置かれているサイドボード。さっきは動転していて気付かなかったけれど、何かが光を反射して キラリと存在を主張している。光った物体は私のピアス。『家のものは自由に使っていい』なんて置手紙まで添えられている。 そこまではまだよかった。もうひとつ。 ピアスの傍らで鈍く光っている物体に、心臓が跳ねたのだ。 それは 時刻通りに出勤してきた彼女を見て安心したのも束の間、独り家に残してきたことに対して抗議された。 ・・・昨夜無理をさせたのは私だ。あどけない顔で気持ち良さそうに眠っているのを見たら、そのまま 寝かせておいてあげたいと普通は思うだろうに。 しかし、そこで起こせと言うのがリザ・ホークアイだ。 頼もしくもあり、悲しくもある。しかも電話を掛けたこともいけなかったらしい。東方司令部着任から一貫していた冷静沈着にして 氷のような無表情が嘘だったかのような怒りっぷりに苦笑が漏れる。 余計なお世話だったか。良かれと思ってした行動が全て裏目に出ている。 ホークアイ師匠から「娘をたのむ」と言われているのに、逆に困らせ、怒らせてばかりいるのでは亡き師に顔向けができない。 そもそも大切な一人娘を頼んだ相手が私だったということからして間違いだったのではないだろうか。 「とにかく、次回からは絶対に起こしてください。鍵を残して出て行かれても困ります」 憤慨しながら早口で捲し立てる彼女の言葉に、一瞬間抜けな顔を晒してしまった。 万が一他人に聞かれたときのためにと設定した『ある女性』の言葉ですらなくなっている、彼女の本心。 「・・・・・何です?」 「いや・・・では次からは気をつけるとするよ」 思わず口の端が上がる。しばらく彼女はきょとんとしていたが、言葉の意味に気がついたのか、 頬どころか耳まで真っ赤に染め上げる。 そう。『次回』があるということは昨夜のような関係が続くということ。これからは公私ともに傍にいるということだ。 私にこんなことを言う資格がないのはわかっているが、嬉しい。 ヒューズの言う『しあわせ』とはこういうことを言うのだろう。 たくさんの人を殺した。何の罪もない人を殺した。何の権限も持たない自分が殺した。人々を幸福にするための錬金術で 殺した。 赦されることのない罪。赦されるつもりもない自分。 そんな私が・・・『しあわせ』を手にしてしまってもいいのだろうか。 今ならまだ退き帰せるかもしれない。 だが・・・・・・・・ 「 他ならなぬ私がそれを強く望んでいる。 そしてリザが望んでくれたのだから・・退き返す理由などどこにもない。 私ロイ・マスタングは貴方の錬金術を穢し、償いきれない罪を負いました。 これからも罪を重ねることになるでしょう。 それでも、リザをお返しすることはできません。 血塗られた路を往き、辿り着く未来が地獄でも・・リザを連れて行きます。 これからも、共に・・・・・・・・ 「あぁ、よろしく頼む」 私の言葉に・・まだほんのり頬を染めた彼女が確かに微笑った気がした。 fin. 2006/12/1 up |