焦らされているのか、それとも拒絶なのか分からない私は馬鹿か? 無能か?
 い・・いや、焦らされているのであれば馬鹿でも無能でもいいのだが。
           だが、拒絶されているのだとしたら、私は・・・

















   優しいキスをして

















 書類の進行具合を確かめにリザが私の部屋(執務室)に来た。時刻は正午を少し回ったところだ。うん、ナイスタイミング。


 「中尉」


 明後日締め切りの書類から顔を上げて呼ぶと、不備を見つけたとでも思ったのか、従順な彼女は素直にこちらへ寄ってくる。 つい先日中尉へと昇進したばかりたというのに・・彼女はもう『中尉』呼びに馴染んでしまったようだ。
 伸ばすことにしたというハニーブロンドの毛先はようやく首の中ほどにまで達した。常にベリーショートだったリザにとってこの長さは快挙だろう。 私はこのさらりとした肌触りの髪を梳くのが大好きなので、早くもっと伸びればいいと思っている。一回で梳くのにかかる時間が少しでも長いほうがいいからな。 そんなことリザに言ったら「馬鹿みたいな発言はお控えください」とか「梳く時間が変わるほど伸ばすつもりはありません」とか「変態」とか言われるのは確実だから 言わないけど・・・。
 だが、好意を示すために用いる手段が言葉だけとは限らない。
 むしろリザに対してであれば言葉よりも態度の方が雄弁にすべてを語るから。だから私はハニーブロンドに手を差し込んでリザを引き寄せた。


「やっ・・・大佐、今は仕事中        
「もう休憩時間だが」
「そうではなくて・・」
「大丈夫」


 半年ほど前に想いを通わせた私たちは、『お付き合い』をするにあたっていくつか約束をした。約束って言っても将来結婚を〜とかではなくて、自宅以外では名前で呼ばない (特殊任務時は除く)だとか、周囲に恋人と分かってしまうような言動はしないだとか、うん、どっちかというと禁止事項みたいな感じだ。
 そのうちのひとつに『勤務中は上司と部下、軍人同士として接する』なんてのもある。締め切りギリギリの書類にサインを促す中尉は『ブチ切れてとうとう 離婚届にハンコを強要する妻』を彷彿とさせる態度をとるので(実際体験したことないんだけどね。結婚すらしてないし)部下の行為としては逸脱してる気もするが・・・・ その件は約束に反しないらしい。
 しかし酷いことに、中尉は勤務中での身体接触を非常に嫌がるのだ。今みたいに閉鎖された空間にふたりきりでも。
 だから私は余計に彼女を構いたくなる。
 休めるときに休んでおかないと、いつ事件が舞い込んできて「休憩なしで仕事」ってことになりかねない職場なんだ、ここは。一応昼休みとされている時間に、 手が空いていながら休憩しない馬鹿はいない。だから私のところへ来るのなんて副官の君くらいしかいないんだ、外野なんて気にしなくていいんだよ?
 そっと抱きしめて髪を梳いたらリザは大人しくなった。
 リザも存外、私に甘い。
 甘えてばかりでもいられないが、私はその分甘やかすことで返すと決めている。だから今の私にできることは早く仕事を終わらせることと、疲れを忘れさせることだろう。
 そう自己完結に至って、リザの柔らかい唇に自分のを重ね合わせた。
 押し当てて、啄んで、唇の柔らかさと弾力を堪能する。リザの甘い吐息に誘われて舌を忍び込ませようとした瞬間           私は突き飛ばされた。


「す、すみません・・!」
「いや、こちらこそすまなかった」


 約束を反故にしたのは私の方だしな。


「中尉、今夜食事でも・・・」


 だから、プライベートでなら・・・


「・・あの、今夜は友人と約束があるんです」
「そう、か」
「・・・・・はい。お誘いいただいたのに申し訳ありません。こちらの書類はもらっていきますね。どうぞ大佐も休憩なさって下さい。では失礼致します」


 そう言い残すとリザは足早に部屋を出て行った。
       いや、逃げられたと言うべきか・・・。
 とにかく、今日もリザは私の腕をするりとかわしていなくなってしまった、ということに間違いはないらしい。
 思わず大きな溜息を吐き出し、私は椅子に深く沈みこんでしまった。










        実は、こんな状況が1週間ほど続いていた。
 唇を合わせるところまではさせてくれるのに、舌を入れようとすると止められてしまう。職場はともかく、自宅で寛いでいるときでも、だ。 もちろんその先だってさせてもらえない。その前の週はリザの都合でできなかったため、今は相当溜まっている状況だった。
 肌を合わせることに抵抗をもつなど、今更過ぎて考えられない。
 というか、それ以前にキスも満足にできないってどういうことだ?
 倦怠期の周期は3ヶ月だと聞いたことがあるが・・・・今は丁度そんな感じだし、リザだけ一人で倦怠期? いやいや、まさかな。
 たぶん。
 うん・・・。
 ・・・・・・・。










 次の日の夜、私はリザの部屋の前までやって来た。まさかとは思うが、コトの真相を確かめるためだ。
 そのために私は本日分の仕事を定時までに終わらせてきた。デートがあるのだと公言してあるし、さらに今夜リザに予定がないことも確認済みなわけで、 つまりリザは今夜私が部屋に来るとは思わずに寛いでいる、というわけだ。だまし討ちみたいで良心が咎めたりもするんだが・・・これも恋愛の醍醐味ってやつだろう。
 チャイムを鳴らすとリザはすぐに出てきた。驚きと不信感の極みみたいなその顔は、確かに上官に向ける顔ではないね。今が私的な時間だってことを、ものすごく実感できたよ。


「どうされたんですか、大佐・・・」
「ん? まぁ大したことじゃないんだが」


 緊急時の連絡はまず電話で伝えられるのが常だ。しかも上官が伝令に来るなんてありえないし。だからこその、あの表情だった。
 私はリザの許可も受けずに部屋へと上がり込むと、そのままベッドに腰を下ろした。なぜいきなりベッドだったかというと彼女の部屋にソファがないからで、 なぜソファがないのかというと置くスペースがないからだ。彼女の部屋はキッチン・バス・トイレ付きのワンルームタイプ。狭すぎるというわけではないが、広いとも 言えない。念のため言及しておくが、決して尉官の給料が安いから広い部屋が借りられないのではなくて、広すぎる部屋が落ち着かないからリザはこの部屋に決めたそうなのだ。 まぁこのあたりは内乱の後遺症なのだがね。


「まったく・・何の用です? 今日はデートではなかったのですか?」


 呆れた顔をしながら、だけどしっかりお茶を淹れてくれるリザはなんて可愛いんだろうね。これで倦怠期だったら世の夫婦が離婚なんてするはずないだろうに。
 テーブルの上にカップを置いたリザは私の方へと振り返った。こっちで飲めという意思表示だと解っているが、せっかく淹れてくれたのに悪いとは思うが、やはり お茶よりもリザの方がいい。
 手招きをすると訝しそうな顔をしながらも傍に寄ってきた。


「まぁ座って」
「・・・・・それで?」
「ただ君に会いたかったんだ。デートはしてない」
「は? 振られたから私のところに来たのではなく?」
「それは断じて違う」


 ・・・・・・たまに酷いこと言うよね、リザちゃん。
 さすがの私もちょっと傷つくぞ・・・


「でも、会いたいって・・・・昼間あれほど顔を合わせてたじゃないですか」
「あれは仕事、今はプライベート。それとも君は会いたくなかった?」
「いえ、そうではなくて」


 ちょっと必死になって否定してくれるのが嬉しくて、私はリザを抱き寄せた。
 身長は(悔しいが)私とあまり違わないのに、抱きしめてしまうとリザは腕の中にすっぽりと納まってしまう。引き締まっているのに柔らかいという矛盾が またいいんだ。あー、落ち着く。
 「好きだよ」と囁くと、リザは背に腕を回してきた。・・・ってことは、嫌がられてないってことで、なんだやっぱり思い過ごしだったんじゃないか。
 安心した私は拘束を緩めてリザの額に唇を落とした。眉間、瞼、鼻の先、頬・・と巡る、触れるだけの優しいキス。最後に唇に軽く触れ、私は顔を離した。
 リザの頬は上気してほんのりと染まり、瞳は少し潤んでいる。それがまた可愛くて、私は再び唇を寄せた。本音を言えばもっとこう、がばっといきたいんだけどね・・・ だがそれもどうかと思うし、明日はリザが夜勤、私が午後出勤だから朝も多少融通が利くし、久々なんだからゆっくりと楽しみたいし。だからあくまで優しく、柔らかく。 そして徐々に深く、激し         ・・・
 

      っ、ぃやっ!!」


 ドンッと思い切り胸を押し退けられた上に、リザの口から拒絶の言葉が出た。
 い・・や? 嫌って言ったか、今・・? え、ついさっきまでいい雰囲気だったのに何故だ!? 私が一体なにをしたと!?


「・・・・リザ・・?」
「すみません」
「いや、謝るよりも理由を聞かせてくれないか。最近ずっと避けてただろう?」
「それは・・言えません」
「私が原因かい? 君とできなかった間に他の女と寝た覚えもないし、仕事だってそこまで溜めてないと思うが」
「あ・・貴方のせいではありません」
「じゃあ他に好きな男でもできた? それともただ私のことが嫌になったのか?」
「違います!」
「だったら、何故?」


 リザの瞳を覗き込んで真摯に問う。
 ベッドの上で躯に聞くこともできるのだが、できればそんな真似はしたくない。


「怒らないから、言ってごらん」


 どんな答えが返ってきたとしても、リザの言葉で聞かせてほしかったから。
 だから、私は辛抱強く待ち続けた。


「・・・・・・・あの・・1週間ほど前から、痛くて・・・」


 しばらくして私が一歩も退かないと悟ったのか、小さな声でリザは話し始めた。
 ・・・にしても、『痛い』って、何がだ?


「その・・・右の親知らず、が・・」
        親知らず!?」
「・・・・・はい」
「って、第3大臼歯?」
「・・・そうです」
「痛いのか?」
「あの、歯科医に行く必要はないと思うんです。歯並びに問題はありませんし、出てくるスペースもあります。ただ、歯茎が引っ掛かっているみたいで・・・ 刺激があると少し痛むのですが・・」


 リザはそう一気に捲し立てた。彼女にしてみたら恥ずかしい話だったんだろう。
 ・・・・にしても、親知らずか。確かにリザは歯並びが良いから、生えてくる場所さえあれば問題なさそうだ。リザは顔丸いからな、場所だって十分・・・


「大佐。今、失礼なこと考えませんでした?」
「いや、考えてないぞ! それよりもだな、本当に親知らずが原因でキスも満足にさせてくれなかったのか?」
「刺激があると痛いと言ったはずです。貴方はっ・・ですから、その・・・・」


 初めは勢いの良かったリザの言葉が続かなくなる。まぁ予想はつくけど。
 確かに舌だけじゃ足りなくて口内中味わうもんなぁ・・・・・さすがに私の舌は奥歯まで届かないが、彼女の舌とかが何かの拍子に当たってしまうんだろう。


「もういいよ、大体解った」
「・・・・すみません」
「でもなぁ・・だからって全部おあずけってのも酷いぞ」
「・・・・・・」


 というか、結構真剣に『拒絶された!?』とか思った自分が馬鹿みたいだ。
 ちなみに私には第3大臼歯がない。抜いたのではなく、生えてきていないのだ。おそらくこれからも生えることはないだろう。 人によっては生えない歯だというので、あまり気にしていないが。だから余計にリザの痛みに気付けなかったんだろうな。       などと、ぼんやり考えていたらリザが私の袖を引いてきた。
 ん? ・・・どうした?


     でしたら・・・・優しいキスを・・して、下さい」


 ・・・・・・・・はい?
 ・・ぇ・・・ま、マジですか!?
 リザからこういうことを言ってきたことは一度もなかったのに・・・・えーと、これ夢じゃないよな? だってほら、リザの頬はこんなに滑らかだし、暖かいし、真っ赤だし、 眼は潤んで熱っぽいし、恥ずかしそうな表情してるし、いい匂いするし。これが夢だとしたらリアル過ぎて怖いぞ。
 えーと、うん、これは夢じゃない。夢だとしても夢じゃないことにする!ってことで、遠慮なくいただきます!!


「ちょっと、もっ・・何するんですかっ!」


 そのままベッドに押し倒したらリザが悲鳴を上げた。
 だけど今のは非難ではあっても、拒否ではなかったということに君は気付いているのかな?


「絶対に痛くしないから・・・いいだろう?」


 リザの顔を真上から覗き込むと、彼女は呆れたように溜息をひとつ吐いた。これは了承のサインだ。 ついでに私の首に腕を回して続きを強請ってきたから、交渉成立ってことで間違いはないだろう。


「優しいのが絶対条件ですからね」
「もちろんだとも」


 ゆっくりと時間を掛けて楽しむのは望むところだしね。それに、一応明日も仕事だから、激しくし過ぎて後で怒られるのは本意じゃない。
 だからまぁ、とりあえず・・・・・・






 愛しい君に、優しいキスを。

















fin.

















2007/8/31 up