「ハヤテ号、いい子にしてた?」


 撫でながら中尉が聞くと、ハヤテ号はワンと鳴いた。

















   スーパードール・リザちゃん  8

















 朝食時のミルク事件の所為で結局遅刻ぎりぎりに出勤した私は、自席についた瞬間から机に突っ伏してしまいそうになった。よく考えてみると、昨日の軍議後から ずーーーーーーーーっと心休まる時間がなかったから、疲れが一気に噴出したのだと思う。


「大佐、顔色が優れませんが大丈夫ですか?」


 着席してから暫く放心状態だった私の斜め下方から声がして、私は我に返った。声の主は言わずと知れたホークアイ中尉だ。 なんかもう斜め下から声掛けられても驚かないというか、慣れた。
「ああ、問題ない」
 たぶん・・と付け足さずに答えたのは、「君といるから疲れるんだよ」とは言えないからだ。
 だが、慣れたのは現在の中尉のサイズとそれに伴う不都合だけであって、普段からは考えられない天然っぷりには順応してないし今後も順応しない自信がある。 それでも一応心構えだけはと思って神経を張り詰めているのも顔色が悪くなる原因のひとつなのだろう。中尉は私が返した「問題ない」を信用していない。 いつもはキリリとした眉が八の字を描いている。
「期限が迫った書類はとりあえずこれだけかね?」
 しかし私が仕事モードに入ってしまえば優秀な副官の顔になることは経験上間違いのないことで、それがメルヘン妖精サイズだったとしても変わることはなかった。










 現実逃避のために決裁に没頭していると面白いくらいにスムーズに書類は消え、気がつけば3ヵ月先に予定されているらしい『軍部大運動会』などという突拍子もない企画書 まで手にとってしまった。誰だ、こんな企画をしたのは・・・グラマン中将か!?と思えば印章が大総統のもので、唐突に眩暈に襲われる。あの方らしいというか何というか・・・


          と、そのとき、遠慮がちなノックが響いた。


「誰だ」
 中尉を足元に用意しておいた鞄(執務室専用対人形中尉鞄。底が広めのもの)の中に隠しながら大声を張り上げると、返ってきたのはノックと同じくらい遠慮がちな 「フュリーです」の声。入室を許可するとこれまた遠慮がちに扉を開けて入ってきた部下の足元にはブラックハヤテ号もいる。
「失礼致します。あの・・・実は今日の昼間、寮の管理人さんがいらっしゃらないのでハヤテを司令部に連れてこなければならなくなったんですけど・・・」
 言いながらちらりとハヤテ号に視線をやったフュリーは午後勤のはずで、時計を確認すればいつの間にか正午を少し過ぎていた。真面目に仕事をしていたのに、中尉の昼 休憩GOサインが出なかったのは何故だろうか。
「それで?」
「いえ、今日はちょっと日差しが強いですし・・・ハヤテが可哀相なのでこちらに置いていただけないかと思ったんです。大部屋だとブレダ少尉が、その・・・」
 ああ、あの腹と顔で無類の犬嫌いだしな、ブレダのやつ。
「いいぞ。ただしブレダにはしっかり仕事しろと伝えておけ」
「は、はい! ありがとうございます!」
「あと、すまないが昼食を調達してきてくれないか。なるべく食べやすい物を二人分・・・いいか、遠慮はいらないぞ、普通に二人分だ」
 威嚇したつもりはなかったのだが、『二人分』を強調しすぎたのかフュリーの顔が恐怖を訴えている。私が執務机にポンと置いた札を握りしめたフュリーは脱兎のごとく 部屋を出て行った。昨日のハボックに続き、フュリーには悪いことをしたかもしれない。
 気まずい思いをする私の前方にはハヤテ号。そして足元の方ではごそごそと・・・・え、ごそごそ?
 ・・・・?
 ・・・・・あ!
「すっ、すまない、中尉!」
 慌てて屈んで鞄から中尉を引っ張り出すと、少し恨みがましい眼つきが待っていた。「鞄の中って意外と空気が停滞するんですよ」とか「曹長にお礼を言いたかったのに」と 唇を尖らす中尉に再三謝り(可愛かったのであまり恐くなかったけど)、執務机の上に乗せようとしたとき、大人しく執務室中央で待機していたハヤテ号と手乗り中尉の眼が 合ったらしい。ハヤテ号が尻尾を振りながら近づいてくる。中尉を床に下ろしてやると彼女もメイド服の裾を翻しながらハヤテ号の方へ駆けていった。
「ハヤテ号、いい子にしてた?」
 賢いのか、そうでないのか、ハヤテ号もミニマム中尉を己の飼い主だと認識したらしい。ハヤテ号を撫でながら聞く中尉に対して「ワン!」と元気な返事が返る。
 ・・・何だ? 感動の再会っぽいのは別に構わないんだが、何故か非常に微妙な気分になる。あからさまに人と犬のサイズが違うことに対する違和感ではなくて、 もっとこう、イラっとする感じの・・・あぁ、ヒューズが中尉のことを馴れ馴れしく「リザちゃん」と呼ぶときに感じる類の苛立ちに似ているんだ。私ですら『ちゃん』付けで呼んだこと がないのに、当然とばかりにヒューズがそれを許されているのが気に食わなくて、しかもリザちゃん呼びに苦笑しながらも決して嫌そうではない雰囲気の中尉にも不満が募って 仕方がないときの気分の悪さが丁度こんな感じなんだよ、うん。
 ・・・・・うん? 私はハヤテ号に気分を悪くしてるのか?


「・・・・・・まさかそんなことは・・」


 ない、と思う。     というか、ないと信じたい。










 内心穏やかではなかったが一応何事もなく終わった昼休憩後、私は定例会議に出席した。東方司令部司令官グラマン中将以下、司令部の佐官が召集されるこの会議には あまり重要性はないので(定例だからな。議題なくても開かれるし)ひたすら眠気と戦わなくてはならない。食後で腹が膨れている上に最適な室温が保たれている中で 眠くならない方がおかしいってもんだろう? というかグラマン中将が暢気に茶を飲んでる時点で緊張感の欠片もないし。・・・さすがに「軍部大運動会の東方司令部代表は 誰がいいかねぇ」と中将が呟いたときには一同に緊張が走ったが。
 短いようで長かった1時間半の集まりから解放された私は執務室へと急いだ。決裁は順調だが、その確認作業は実のところ停滞ぎみだ。 脱いだ靴を執務机の端に揃え、書類の上を行き来しながら中尉が一生懸命文字を追っていることは解っている。しかし平時にはない動作であるため余計な時間が掛かってしまう のは道理で、事情を知る他の部下に手伝わせたくても例の失踪事件の調査や中尉の代理で視察に出ていて人手が足りない。 だから早めに決裁を済ませて私も確認作業に移るべきだと考えたのだ。
 扉を押し開けて執務室に入ると、正面に高く積まれた紙の山が目に入って気が滅入った。 が、中尉のために我慢、我慢。人は親しい者のためならば存外頑張れる。


「中尉、確認の方はどうかね?」


 私は何気なく言葉を発した。
 しかし、返事がない。
「・・・・・中尉?」
 中尉が私の問いかけに応じないことは稀で、かなり本当に稀で訝しく思う。
     っ、中尉!?」
 彼女は今何をするにも大変な身だぞ・・? ましてや司令部内を歩ける状態ではないはずだ。だから中尉は執務室にいるものだとばかり思っていたのだが・・・。
「中尉!!」
 私が会議に出る前は確かに執務机の上にいたのに、今は大量の書類が散乱しているだけだ。きちんと揃えられていた人形サイズの靴もない。


              どこに行った!?


 少なくとも室内に生き物の気配が感じられないのだが、念のため中尉用鞄や引き出しの中、机の下も確認する。しかしやはり中尉はいなくて、その事実が否定 できないものになった瞬間、血の気が音を立てながら一気に引いていくのを感じた。
 そう、今の中尉は司令部内を単身うろうろできる姿ではない。となると、考えられるのは誰かが連れ去ったか、あるいは      ・・・


 扉に体当たりする勢いで廊下に出た私は部下のいる大部屋へと全速力で走った。事情を知らない下士官が驚いた顔をしているが気にしていられるか・・!
      ハボック!!」
 前方に見えた煙草馬鹿が書類片手にアホ面を向けてきて頭にきたのだが今は一時保留だ。
「中尉、中尉を見なかったか!?」
「え? 中尉元に戻ったんスか?」
 質問に質問を返すな、馬鹿者が。
「見てないんだな?」
 強引に二択を迫ると煙草男は頭をかくかくと縦に揺らす。そうか、見てないのなら用はない。「大佐ぁ!?」というハボックの声を背に聞きながら、私はまた走り出した。
 その後駆け込んだ大部屋に在室だったのはファルマンだけで、今日は一回も中尉に会っていないという。出勤後からずっと執務室に詰めるしかなかった中尉と、一回も 執務室に来ていないファルマンが顔を合わせていないのは当然といえば当然なのだが。
     大佐!自己完結して走ってくのは勘弁してくださいよ。一体どうしたんスか?」
「中尉がいなくなった」
「「はっ!?」」
 そうだ、いなくなっただけで『消えてはいない』はずだ。
「ハボック、東棟を探してこい。何かあったらファルマンに伝えろ。定期連絡は30分毎だ。ファルマンは執務室で待機。引き続き書類仕事を進めておけ」
 言うなり大部屋を飛び出した私に二人は戸惑ったようだが、腐っても軍人・私の部下を何年もやっているだけあって背後からは慌しい音が聞こえ始めた。
 中尉はどこかにいる。さっきは身体縮小化錬成の影響で今度こそ肉体が消滅したのかと考えて青ざめたが、約24時間の間をおいて追錬成が起こるとは考えにくい。 しかも肉体が消滅したのであれば中尉が着ていたメイド服がどこかに残されているはずで、書類確認作業の為に脱いでいた人形靴までご丁寧に消えているのは不可解なのだ。 あとはハヤテ号。あいつまで執務室にいなかった。・・・ということは、書類不備か何かを見つけた中尉がハヤテ号を足にして執務室を出て行ったと考えられないだろうか。
 中尉はああ見えて意外と大胆な行動に出るからな。度肝を抜かれるのはいつも私なんだ。確かに中尉は優秀な部下だし、私には出来すぎた副官だし、私の命を狙う者たち にしてみれば厄介以外の何者でもない護衛官なのだが、それでもリザ・ホークアイはリザ・ホークアイだからな。
 とりあえず執務室に近い資料室3つと給湯室、あとは私がよくサボりに使う屋上やら応接室なんかも見て回ったが、中尉はどこにもいなかった。探し始めてから約30分、一度 執務室に戻ろうかと踵を返した、そのとき。
「あ」
 中庭にハヤテ号が見えた。
 走り回って疲れていたはずだというのに、この日一番のダッシュで階段を駆け下りる。中庭はフュリーの言葉通り、日差しが強かった。
「ハヤテ号、中尉はどこにいる?」
 足元に寄ってきた子犬に視線を合わせながら聞いた・・かなり真面目に。すると、まるで言葉が解っているような態度でハヤテ号はくるりと向きを変えて尾を振りつつ歩き出す。 向かった先は私お気に入りの木陰だった。茂みに隠れていて目立たないし、木の葉に隠れるので上からも見つかりにくいその場所はサボって昼寝するのに最適の環境なのだ。 その、いつも私が寝転がっている位置に、中尉はいた。
         っ・・・」
 思わずしゃがみ込んでしまったのは力が抜けた所為だ。私の気配に露とも反応せず、中尉はすやすやと眠り続けている。その寝顔がとても安らかで、起こすのが忍びないと思った。 ずっと見ていたいと思うくらい可愛い。
「よかった・・」
 何故こんなところで寝ているのか理解に苦しむが、とにかく生きていてよかったと心の底から思う。中尉は必要不可欠な部下だが、尊敬する師匠の娘さんでもある。 意味不明な錬成の犠牲になって消えてしまいました、ではあまりに錬金術運がないだろう。
 結われていない金髪がそよ風にふわりと揺れている。衝動に負けて人差し指に細い髪を絡めると、金糸は想像以上に柔らかかった。
         あぁそうだ、柔らかい髪も、あどけない寝顔も、冷静なのに突飛な行動をとるところも・・・中尉のすべてが・・・
「・・・・・・好きだ」
 手で触れられるところにいるということがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。死と隣合わせの世界に生きているのに、今更気付くなんて私は馬鹿だな。 だが、これが本当に失った後じゃなくてよかっ         たぁあああ!?


「今っ、何を・・・・」


 何を口にした!? 中尉は夢の中だから聞こえてないと思うが、さり気なく『好きだ』とか言わなかったかっ!? しかも、友人とか仲間とかに対する『好き』の意味合い じゃなかった気がするぞ? 今までそんなこと一度も考えたことがなかったというか考えないようにしていたというか、とにかく中尉のことはそういう目で見ちゃだめだと無意識的に自己暗示でも 掛けていたんじゃないかと自身を疑ってしまうくらい自然に意識から排除していたのだが、逆に意識から排除しなければいけないということはやはり中尉のことを!?








 中尉は何も知らず、身体を丸めながら気持ちよさそうに眠っているが、私は人差し指にしなやかな金髪を絡めたまま動けない。 今更すぎる事実に頭の中が混乱を極めていて、他のことが考えられないのだ。
 ・・・その割りには、絡めた髪の感触が妙に脳内へと刻まれていくのだが、とにかくそうじゃなくてだな・・・




        私は、中尉のことが好きだったのか・・?

















To Be Continued.

















2007/10/ 9 up