すっかり失念していた事態に気が付いたのは、夕食時の恐怖も落ち着いた午後10時ごろのことだった。

















   スーパードール・リザちゃん  6

















 私は中尉がいるからといって平素の生活スタイルを変えなかった・・というか変えようにもどう変えてよいか考えあぐねた結果、『いつも通り』を貫くしかなかったのだ。 特に何もない日は食器の片付けもそこそこに本を読む。今夜の供は学会の論文集だった。若手錬金術師が一人前として名を揚げる ための登竜門として活用することが多い学会論文集には掲載前に学会の審査が入るため、理論が極端に破綻しているものが少ない。それゆえあまりイライラせずに読むことができるのだ。 しかしまったく問題がないかというとそうでもなく、常に批判を交えながら読み進めていくので論文ひとつ読むのにやたらと時間が掛かる。時には論文の理論を途中まで利用して 新たな検証をしてしまうほどだ。だから論文集を読むときは一日一本・のめり込み防止のために(明日も仕事だ、睡眠はとらねば)居間のソファーで読むことにしていた。 このときの私はぶつぶつと独り言を漏らす(もちろん無意識)、いかにも集中している変人の様子を呈してしまうのだが、ここは自宅だ。国軍大佐でもなく女性受けのいいマスタングさんでもない、一介の錬金術師 として存在できる唯一の場。なので想定外の来客に少々後ろ髪を引かれながらも我流の腹ごなしを始めたのだった(食後は消化に血液が回るため、本来なら読書には適さないそうだ)。


 たった十数ページの論文を講読するのに約2時間費やした私は(文章が整理されてなくて読みづらかったんだ!)、これまたいつものようにシャワーを浴びようと腰を上げた。 ついでに欠伸ひとつ。さて・・と一歩踏み出しかけたところで、下から声が聞こえた。曰く、「終わられたのですか」と。
 しまった・・・・中尉の存在をすっかり忘れていた。いや、忘れていたわけではないのだが、論文に熱中していて意識できなかったというか・・。中尉も中尉で、私の邪魔をしない ようにと2時間ずっと大人しくしていたらしい。二人掛けソファーの上、私が座っていた位置の横にちょこんと座る中尉は2時間前に横目で確認したときと寸分も変わっていない。
        いったい2時間何をしていたんだろう・・?
「すまない、長時間ひとりにしていたな」
「それは構いません。無理を言ってお邪魔しているのは私ですから」
 下方からじっと見つめる瞳が何かを訴えかけていた。そうだ、中尉は昔からこういう子だ。本当は言いたいこと・聞きたいことがあるのに遠慮して言わない。それが個人的な ことであれば尚更だ。
 あぁもう何でも言えばいいのに。無言の訴えもなんかこう無性に頭なでなでしたくなるくらい可愛いんだけどね、上目遣いに相当やられるんだけどね・・・でもやっぱり 直接中尉のきれいな声で話を聴きたいじゃないか!
 今は職務中じゃないんだ、何でも自由に話していいんだよ?
 ・・・とは言えないけど。
「だが居心地がいいものでもないだろう。何かあったら言いなさい。善処するから」
「え、いえ・・大佐の隣は安心しますので、その・・大丈夫です」
 そう言うなり中尉は伏し目がちに頬を染めた。
 えーっと・・・今の、どういう反応?
「ただ・・・・どちらに行かれるのかと思っただけです」
「・・・・・・・・」
 正直な感想を言っていいだろうか。
 とりあえず『今の中尉が人形サイズでよかった・・!!』
 今までの毅然とした態度や、つんと澄ました表情は上等な猫を思わせるのに・・・最後の最後で捨てられた子犬のような一面を見せるのだ。この隠れた二面性に男が どれだけそそられるか、当の中尉はまったく気付いていないだろう。その天然ぶりに余計煽られる。
 中尉が人形サイズでなかったら絶対に組み伏せていた。その場凌ぎの理性なんてあるはずがないし、抵抗されても泣かれても絶対に止まらない妙な自信がある。 啼かれるのはもちろん大歓迎だが!
          じゃなくて・・!!
「落ち着け、私」
「・・? なにか言いました?」
「いやなんでもない!」
 ・・・・今の声に出てた? あれ!? どのあたりから音声になってた!?
 デジャヴだ、これ数時間前にも体験した気がする   ってそうじゃなくて・・!!
 と、とにかく落ち着け、私。
 えーと、何の話をしていたんだっけ。論文を読み終えて、シャワーに行こうと思って、中尉に呼び止められて、私の隣は安心すると聞いて(マジで!?)、どこに行くのか 聞かれて・・・・ああ!
        あぁあ!?


「大佐、挙動不審すぎます。本当にどうされたんですか?」


 ・・・私としたことが、重大なことを忘れていた。
 ドアは開けられないカランは届かないガスは使えない移動だけでも一苦労となれば、当然シャワーのコックにだって手が届かないに決まっている。 ということは中尉はどうやってシャワーを浴びればいいんだ? 入浴禁止ってのもかわいそうだし、女性にその仕打ちは酷いと思う。


「あの、大佐・・?」


 湯を出しっぱなしにしておくという手もあるが、勢いが強いとバスタブに落ちた湯は洪水のような勢いで排水溝に流れてしまうから、小さな中尉が足をとられると非常に危ない。かといって シャワーを弱くしておくと勢いがつかなかった湯同士がひと塊になって滝のごとく落ちるのだ。頭に直撃したら、きっと痛い。どこぞの宗教の修行じゃあるまいし、中尉にそんな試練を与えるわけにもいかないよな。


「・・・大佐!」


 だったら深皿に湯を張るか? すぐに冷めそうだけど・・・。火にかけた鍋で入浴させることはさすがにできないし・・うん、それじゃ東の島国にあるというゴエモンブロだ。不慣れな 者がやると釜茹にしかねん。確かに私は焔の錬金術師だが・・・直接的な焔の扱いに長けているだけであって、湯加減の調節まで自在にできるわけじゃないからな。というか、 この場合調節しなければいけないのはコンロの火であって私が錬金術で熾した焔ではないしな。
    って、戦場でもないのにゴエモンブロはないだろう!


     もー・・大佐!!」


 ぁあああぁ、一難去ってまた一難かっ!?










「大佐、お願いします」
    了解」




 どうやら私は、思考の渦に嵌っているうちに中尉の声が耳に入らなくなっていたらしい。死を予感させるほどの殺気を感じて我に返ると、相当怒った中尉の顔がそこにあった。 しかし冷汗を流しながら事情を説明すると意外にも中尉の方から解決策を持ち掛けてきて、現在に至るのだ。
 解決の糸口は左手に持った缶詰の空き缶(きれいに洗浄済み)と、右手のケトル。


「お願いします」
「ん・・・湯、冷めてないか?」
「はい、大丈夫です」


 今のように、中尉の合図で私は空き缶にケトルの湯を注ぐ。空き缶にはいくつも穴が開けてあって、湯が注がれると穴から分散して落ちる、 つまりシャワーヘッド代わりだ。ゴエモンブロ並みに戦場を思わせるが、まぁトータル的な安全面を考えるとこれがベストな形かもしれないな。あくまで安全なのは中尉 であって、残念ながら私には拷問にしか思えないのだが。
 私自身はバスタブの脇にしゃがみ込んでいる。かなり間抜な恰好だが・・立ち上がるとバスタブの底が見えてしまうからな、仕方ない。いくら相手が部下で、 人形紛いのサイズだとしても中尉は女性だ。覗きに列せられるようなことはしたくない。見たくないと言えば嘘になるが、それはそれはものすごく見たいわけだが、 全幅の信頼を寄せられているのだ、私は。それを裏切るわけにもいかんだろう。
 ・・・と、こんなことを悶々と繰り返し考えていること自体がすでに危ないんだがね。いや、でもとにかく何でもいいから考えてないと自分で自分を制御できなくなる というか、何をしでかすか分からないというか・・・。
 師匠の家ですら『風呂でばったり』なんてなかったのに、なんで今更こんなことになっているんだ!?
 ・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・・・・。
 えーと、ほ・・ほかに考えることは・・?
 ほら、愚痴でも何でもいい。とにかく外界を遮断するくらいの勢いで何か考えるんだ! さっき中尉を怒らせた、あのときの感覚を思い出せ、ロイ・マスタング!!




「お湯、お願いします」
「・・・はい」












 た・・頼むから考え事を中断させないでくれっ!
 顔を極力逸らした状態の前傾姿勢も楽じゃないんだ。
 邪な動悸・体温の上昇に缶を握る手がぷるぷると震え出しても誰一人として助けてくれる者がいないこの現状・・・




       やっぱりどう考えても生殺しじゃないか!?





















To Be Continued.

















2007/7/19 up