それは寧ろ、切実に。










   おかえり










呼び止められたのはもう西の空が茜色に染まり始めるころだった。
「・・・え?   えぇ・・・・・・」
相手は確か、ハボック准尉の隊の・・・リカード軍曹? 幾分落ち着きがない態度に一瞬事件でも起きたのかと思ったけれど、実際はそんなに深刻な話ではなくて、 勤務時間後に中庭まで来てほしい、とのこと。 明日は非番で片付けもしたいし忙しいから今日は帰りに市場へ寄って食材を買っておこうと思ったのに・・・なんて、もし軍曹が聞いたら悲しみそうなことを考えながら、去ってゆく後姿をぼんやりと見送ってしまった。

















「お付き合いしている人はいないのだけれど…」
勤務時間後の薄暗い中庭。向かった先でされた告白に、予想通りというか何というか・・・少し困ってしまった。 こういうことは何度経験しても慣れない。
「では是非自分と…!」
「・・・・・ごめんなさい」
そう言うと、顔に落胆の影が過ぎる。 顔を赤くしながら、それでいて真摯に気持ちを告げてきてくれたこの人はいい人なのだろう。 あの人のことを忘れて、こういう人を好きになれたら自分はどんなに幸せだろうかと考えてみる。 ・・・そんな幸せ、幸せと呼べないかもしれないけれど。
「あの、私にも好きな人がいるんです…」
「好きな人、ですか?」
「…えぇ」
「いつ頃からか、聞いてもいいですか?」
「・・・私が10歳くらいからです」
「今もずっとですか?自分が言うのも可笑しいですが、何故少尉は気持ちを伝えないんです?」
確かに軍曹が言うのは可笑しい気もするけれど、答えなくてはならない気持ちになってしまった。今までは告白されても素気なく断ってきただけだというのに。 それが軍曹だからこそ為せる業なのか、または彼が真剣な告白をしてくれたからなのか、それとも私自身の性格なのかはわからない。 その全てかもしれないし、どれにも当てはまらないかもしれない。
…いえ、とりあえず今はそんなことどうでもいい。 何と言えばいいのか逡巡しながら、とりあえず間違ってはいないことを口にした。
「もう逢えないんです。二度と」
それは『正確な』答えではないのだけれど。
「その人は私よりも年上で、私よりも先に自分の道を決めました。軍人になって、イシュバールに派兵されたんです。 私もその後実地訓練を迎えた士官候補生としてあの地に行きましたが、そのときにはもう二度と彼に逢えなくなっていました」
「・・・・・その人はすでに亡くなっているのに、少尉はその人のことが忘れられないんですね?」
前半部分に語弊があるけれど、とりあえず頷いておいた。心は変わらないということを理解してもらえればそれでよかったから。
「自分ではその人の代わりにならないでしょうか」
「・・・・・そんな   とても失礼なことなので出来ません。貴方に対しても、あの人に対しても」
「失礼なんかじゃありません!それに、亡くなった人を想い続けていても心は晴れないと思います」
「それでもいいんです」
「ですが…」
「本当にいいんです」
ここまで話すつもりはなかったのだけれど、まぁいいかと思って続ける。 軍曹が誰かに喋ってしまったら妙な噂になりかねないと一瞬考えたものの、それはそれでいい結果が得られるかもしれない。 一部の間で無表情、とか、氷の女、とか言われているのは知っている。 それに加えて“誰にも靡かない”イメージが加わることには寧ろ賛成だ。 5日に1回のペースで代わる代わる口説かれる生活が少しは改善するかもしれないのだから。
「すごく、いい人だったんですね」
「・・・はい」
「どんな人だったんですか?」
意外な質問に思わず瞬きをしてしまった私に、軍曹は「今後の参考までに」と冗談めかして言ってくれた。
    どんな人?
その言葉に一瞬過ぎった姿に動揺しつつ、少し目線を下げて記憶を探る。


遠い日の記憶。でも一生褪せることがないであろう記憶。


今度こそ正しいあの人の姿を思い浮かべたら、ほんの少しだけれど笑顔が零れた。
「とても、優しい人です。落ち着いていて、頼りになって。勉強熱心で、いつも真剣な顔で本を読んでいました。 私と話してくれるときは笑顔で、それでいて真摯に話を聞いてくれて、いいアドバイスをくれるんです。 理想のお兄ちゃんみたいな人ですね」
「お兄ちゃん、ですか?」
「はい。でも…夢を語る横顔が、とても素敵で・・・・・・私はこの人を好きなんだと感じたんです。その夢を手伝うことができたら どんなに嬉しいだろうか、とも考えました」
瞼の奥に蘇るのは父の墓の前。そこで交わした言葉に、今では別の意味でも胸が熱くなる。 あの瞬間がなければ、きっと今の私もあの人もいない。




    ホークアイ少尉」
声に攣られて目線を戻すと、真面目な顔をした軍曹が立っていた。
「少尉の心の中にその人が居続けていることも、今の自分では敵いそうもないということもわかりました」
軍曹は私の眼を見つめたまま。
「ですが…自分は努力します。自分は生きていますので失敗もしますが、生きているからこそ変わっていけます。 前に進んでいけます。亡くなった人にはない可能性があります。ですから、少尉の理想に少しでも届くように努力します」
     えっ?
今、何て…?
「本日はお時間を頂き、ありがとうございました。失礼します!」
震える指先が敬礼をした後、逃げるように遠ざかって行った。一応私の方が上官なにの一方的に話が終わってしまって呆気にとられる。まぁそんなことで怒ることはないけれど…
『生きていくから変わっていく、前に進んでいく、可能性がある  
そのことだけがやけに心に残って、私は暫く闇に包まれた中庭に佇んでいた。























家に帰った後も先程の言葉が妙に引っ掛かかったままで、その原因を考えたらやっぱりあの人の所為だった。


ロイ・マスタング。


上官で、国家錬金術師で、国軍中佐。
二度と逢えない私の好きな人で、父の唯一の弟子・・・だった人。
現在形と過去形。
マスタング中佐とマスタングさん。
些細な違いのようで、これは決定的な違いを持っている。
私が好きなのはマスタングさんなのであって、決してマスタング中佐ではない。 マスタング中佐は錬金術師の娘が知るマスタングさんではない。 たとえ物理的に同じ人でも、私にとっては同じ人じゃない。
マスタング中佐は私が大好きだったマスタングさんを何一つ残していないのだ。 優しかった笑顔も、文字を追う真剣な眼差しも、穏やかな雰囲気も、果ては一生を賭ける夢さえも面影が残っていない。


彼は変わった。変わってしまった。変わらざるを得なかった。


     それが示すのは、マスタング中佐は私が好きだった人とは全くの別人で、マスタングさんには二度と逢えないという事実のみ。
だからさっきも「亡くなっている」という発言を訂正しなかった。 私の中には時間の経過と共に美化され絶対的な存在となったマスタングさんがいて、 私はそれだけで十分幸せだったし、誰にも崩せないことだと思っていた。











なのに・・・
















それなのに・・・




















それは今の過去形が全てを物語るように、所詮子どもの浅はかな過信だった。
「好きな人はどんな人?」と聞かれて頭を過ぎったのは「マスタング中佐」だったのだ。 だからあのとき自分で自分に驚いた。それが意味することを理解して、動揺して、でもそれを悟られたくなくて態と視線を外してしまった。
兆候がなかったわけじゃない。ふとした瞬間、それは忙しい日常の中でも肩の力が抜けるような穏やかなときに多いのだけれど、中佐にドキリとしてしまうことがあった。 「少尉」と呼ぶ声に胸が熱くなることだってあった。
それでも・・・今までは気付かないフリをしていたのに。気付かないフリができたのに。


意外なほど呆気なく訪れた決定的瞬間。
音を立てて弾けたこの想いを、止まることを知らずに溢れる想いを、もう無視することなんて私にはできない。
そして・・・・・・
マスタングさんに対して感じていた、心を満たすほんのりと甘やかで暖かい感情をも越えた、 熱を孕んだ息苦しさが今の私の心を占めている。それは寧ろ切実に。変わらざるを得なくて、それでも只管前に進んで、可能性の限界を極めようとする今のマスタング中佐 を、私はこんなにも想っているのだ。
上司と部下・万が一のときの被断罪者と断罪者という関係に不相応な感情である上、相手にされる可能性もないこの状況。止めた方がいいに決まっている。 それなのに、後に退くことも、なかったことにしてしまうこともできない、と確信してしまう自分が酷く惨めだ。いっそのこと腹立たしい。













どうすることもできないけれど、どうすればいいの?












        あの人への気持ちが、息を吹き返して止まらない・・・・・
















fin?

















2006/10/17 up
2009/ 4/ 1 誤字修正