それは唯一、私が絶対に負けたくないと思う相手。










  限定マニア










 一方が非番で一方が出勤、という状況は、休暇を取りにくい軍部においても稀ではない。けれど、情勢がいまいち安定しない東部を治める司令部の、 実質上の司令官とその副官が共に休暇を取れるなんて、半年に1回あればいいほうだ。
 だから、大きな事件が舞い込んで来なかった今日は運がよかったのだと思う。
 明日は本当に久方振りで、大佐と私の非番が重なるのだ。まぁ明日事件が起きてしまったら即刻休み返上で軍服に袖を通さなければならないのだけど・・・ それでも、張り詰めっぱなしだった神経を今この瞬間は少し緩めることができるのだと思うと、私は純粋に嬉しかった。
 キュッとコックを捻ると、勢いよく出ていたシャワーのお湯が止まる。これは大佐の家だからこそ実現することであって、設備の古い司令部や私が借りている安アパートでは ここまで歯切れよくいかない。
 タオルで水分を拭い、髪を十分に乾かさないで寝巻を着込んだ私はバスルームから出た。蒸気に満ちていた閉鎖的な小空間に比べて、廊下は深と寒い。おまけに 物音がまったく聞こえなくて、首を傾げた。
 黒い毛の似たもの同士が遊んでいると思ったのに・・・・今日も中庭で元気いっぱい走り回ったハヤテ号は眠ってしまったのだろうか。
 リビングに顔を出すと、予想通りハヤテ号は大佐の家での定位置にいた。ふわふわの毛布の上で幸せそうに丸くなって寝ているの姿は、もう一方の黒髪の男を思い出させる。 けれど、てっきりリビングにいると思ったその人はここにはおらず、私は再び首を傾げた。
 休むにはまだ早い時間なのに。
 定時に仕事を終えて帰宅し、いつもより早めの夕食の後に気が置けない話をしたり、ハヤテ号と遊んだり、ゆったりとした時間を過ごした・・だけのはず。その間に彼は疲れた様子も 眠そうな素振りも見せなかったと思うのだけど、それは私の勝手な思い込みでしかなかったのだろうか。
 別に、先に休んでもらっても全然構わない。日々仕事に忙殺されている彼には休めるときに休んでもらいたいのだから。手足が冷える今日みたいな夜には、 ぽかぽかと体温の高い彼にぴったりくっついて眠れるだけで幸せだ。
 だから問題は、私が彼の体調に気付けなかったことにある。
 私は超能力者ではないし、保育器の中の未熟児に目を光らせる看護師のような視点で彼を見ているわけでもない。ただ、長い付き合いからか、明確な言葉を 交わさなくても相手の体調やら考えが何となくわかってしまうのだけれど、今日はうまくいかなかったようだ。・・・ちょっと悔しい。
 冷える廊下を進みながら髪を拭いた。乾かしてから寝ないと風邪を引いてしまうだろう。
 大佐が休んでしまったのなら私も寝てしまおう、と考えた私が寝室のドアを開けると、やけに大きいベッドの上に思い描いた人はいなくて、 思わず「え・・」と間の抜けた声が零れてしまった。










 「今夜は約束があるから、決裁が必要な書類は早めに持ってこい」と、高らかに告げてから執務室へ消えた彼に対してであろう、盛大な溜息が周囲から聞こえてきて、 私は苦笑した。3日に1回の周期で繰り返されるこの一連の流れ。夜遊びをいちいち宣言する彼も彼だけれど、それにいちいち反応する彼らも彼らだ、と心の中でこっそりと考える。
 夜に予定がある日の彼は真面目に仕事をしてくれるし、隙を見ての逃亡もないから探す手間もなくて楽なのに、なぜ皆は不満そうな顔をするのか尋ねたこともあるけれど、 あのときは複雑な顔をされただけで(特にハボック少尉)、私のささやかな疑問には誰も答えてくれなかった。 むしろ「中尉は本当にそれしか思わないんですか?」と聞かれる始末。みんな、仮にも上官に対して不審なというか、ありえないというか、こっちまで顔を歪めたくなるような 不躾な眼差しを向けるんじゃありません。私や大佐なら小言一つで許すけれど(グラマン中将も許しそうね)、他のお偉方なら即軍法会議モノよ? 気をつけなさい。


    じゃなくてですね、ほんっとーに本気で本気っすか?」
「アメストリス語は正しく使いなさい、ハボック少尉」


 言わんとしていることは何となく分かるけれど。でも伝えたいことを的確に伝達できなければこれから社会でやっていけないわ。


「とりあえずハボの言語能力の低さについては横においておきましょう、中尉。問題は本当に大佐の女遊びについて『仕事が捗るから推奨だ』と思ってるかどうかです」


 ブレダ少尉が神妙な面持ちで補足を入れる。ファルマン准尉とフュリー曹長も緊張の色を滲ませながら私を見つめていて、なんだか取調べを受けている気分にさせられた。
 私、悪いことしてないのに。


「あ、もしかして大佐の約束のお相手は中尉なんですか?」
「っ莫迦フュリー!なんちゅー聞きにくいことをっ」
「ですが、中尉は本日夜勤のはずでは?」
「そ、そうですね」
「さすがの中尉も3日に1回のペースで大佐に付き合っちゃいられんだろ」


 瞬間移動かと見紛うほどの素早さで部屋の端に移動したのはいいけれど・・・会話がまるで筒抜けよ、貴方たち。
 一人前に軍人の割には時折とんでもなく抜けている彼らを見ていたら溜息が出た。ただ単に呆れによるものだったのに、部屋の隅っこで堂々と人の噂話に華を咲かせていた 彼らはひどく怯えた雰囲気を醸し出すんだもの。怒りはなくても忠告は与えなければ締まらない。


「先の言葉に嘘偽りは皆無よ。さ、大佐の機嫌がいいうちに書類を上げましょう」


 でないと後悔するのは明日の彼らなんだから。
 彼らは5秒くらい顔を見合わせていたけれど、渋々といった感じで席に着いた。
 確かに彼らが話していた通り、今日私は夜勤だ。大佐の約束相手ではない。さらに言えば、今日のデート相手は擬人恋人ではなくれっきとした人間の女性であり、 駅裏にある時計屋の娘さんだと知っている。ふわふわの栗毛にブルネットの瞳がよく似合う可愛い女性だったはずだ。
 でもそれを知っているからといって、特別なにか嫌な感情が生じることはない。
 嫉妬なんてもっての他、嫌だとすら思わない。
 今日会う時計屋の娘さんが裏の情報屋でないことだって知ってるし、もっと言うと、彼がホテルからの朝帰りを過去に何回かしてるのだって知っている(お相手は常に違う女性だ)。
 それでもその翌朝、「相当寝不足の顔ですね」くらいしか思わなかった。
 ここが仕事の場、つまり公だからではない。本当に裏表なく、リザ・ホークアイという一個人のあり方すべてを総合して出した答えが「体調を崩さないようにお気をつけ ください」だったのだがら、それ以外の反応を期待されても逆に困るというものだ。


 これが2週間くらい前の話。










 寝室を覗き込んで首を傾げたまま1秒間だけ思案した。『はっ』とするのが先か『むっ』とするのが先か、辿り着いた場所に思わず眉根が寄る。
 リビングにも寝室にもいないなら、残るは一ヶ所だけだ。そうでなければ彼はこの自宅自体にいない。そして私は彼が居るであろうその場所が気に食わない。 ものすごく不満、不愉快、腹が立つ。
      腹が立つというより、嫌・・?
 子どもっぽいと解っていながら唇の先が尖るのを止められなかった。幼いころ「アヒルになるよ」と彼に揶揄われたけれど、本当の気持ちを言葉にできない私の、精一杯の メッセージなのだ。
 本当は行きたくないけれど、でも会いたいと思うから、行かなければ。
 物音がしないようにそっと寝室の扉を閉めながら、廊下の冷たさに胃が痛みを訴えるほどの無機質さと恐怖を覚えた。後悔先に立たずとは、まさにこのこと。
 ・・・もっとしっかり髪を乾かしておけばよかった。










 お家はとってもとっても古くて、私と父さんしかいないのにとっても大きいの。お家が大きいのはじまんだけど、床がぎいぎい音を立てるとことか、雨が降ったら 2階の廊下がみずびたしになるくらい古いところは好きじゃないわ。お化け出そうなんだもの。あらしの夜は本当に嫌い。お家こわれちゃうって心配なくらい大きく揺れるし、 お外の木もバサバサ揺れてお化けに見えるの。カーテン閉めても影が見えて、ほんとにほんとに恐いの。廊下がみずびたしになった次の日に、 父さんが屋根を直してくれたから雨はもうお家の中で降らないけど、でもね、ピチャピチャって音は台所からもするし、私やっぱり恐い。
 ・・・え? うーん、好きじゃないところもあるだけで、お家はどっちかっていったら好き。だって自分のお家だもん。それに母さんの思い出もあるから。 母さんがいたときはあらしが来ても母さんがぎゅってしてくれたから恐くなかったのに。早く大人になりたいなぁ。そしたら恐いものなんにもなくなるんでしょう? ね?
 父さんは・・・・・父さんのお部屋からあんまり出てこないの。母さんのご飯はちゃんと食べてたのに、私がご飯食べようって言っても聞いてくれなくて。 私の作ったご飯がおいしくないのかな。それとも私のこと嫌いなのかな。
 あのね、さっきお家に好きじゃないところがあるって言ったけど、父さんの部屋がこのお家の中で一番嫌いなの。暗いし、父さんは全然出てこないし。 暗いところでご本読んだら目が悪くなるって母さんは私に言ったのに、父さんはあんなに暗いところでお勉強してるんだよ。「大人はいいの」って言われるんだけど ・・・・大人はずるいと思う。絶対ずるいの。










 当たってほしくなかった予想は期待を裏切ったのか裏切らなかったのか、やはり彼はここに居た。開ける前にノックした高い音にも、扉が開いた音にも、動いた空気にも 反応しない・・頑なな背中がそこにある。
 1階の、しかもキッチンから一番離れた大きな部屋。火災に備えての空間配置なんでしょうけど、彼が得意とする錬金術、そして二つ名を考えると少し笑える。
 彼の書斎兼研究室兼書庫。
 ちなみに実験室は家の地下にあり、規模が大きくなると司令部の練兵場がその役目を果たすのだけど、今はどうでもよいことだ。
 広い部屋の壁は一面本棚で、なのに錬金術書や関連図書が多すぎるから壁には収まりきらず、かなりの量が床に積みあがっている。単語一つですら理解できない書物も紛れていて不気味。 しかも製本されていない紙キレみたいな文献とか彼の書き殴りらしい紙の束も四散していて、不用意に足を踏み入れることができない私は扉の前で立ち尽くす他なかった。
 彼はデスクに向かい熱心にペンを走らせていた。
 デスクは唯一とられた窓に面している。本棚を置けないスペースの有効利用だと彼は言う。でも書物の状態保護のために窓はいつだって雨戸で塞がり、厚いカーテンで陽は届かない。 それなら本棚で窓自体塞いでしまえばいいのにって・・・そう言ったとき彼は眼をぱちくりさせた後に笑った。アクのない幼い笑顔で「いいんだ」と笑っていた。
 でも、やはり今日も窓はきっちりと閉まっていて、月と話すらできない。光源はデスクの左側に置いてあるランプのみ。中で石油が燃えている。
 焔の赫。彼の色。
 けれど戦場を染め上げた業火に程遠いランプの焔はぼんやりとしていて、部屋全体を煌々と照らすことはない。デスクは扉の真正面に位置するから正確に窺うことは できないけど、たぶん彼の手元は明るい。耳の薄い部分が透け、赤く彩られている。
 でもそれだけ。
 彼の広い背中には逆に暗い闇が落ち、それが余計に私を拒んでいるように見えるのだ。


 踏み込めない、触れられない。


 絶対的な禁忌の前に晒された迷い子の私は、その背に懐かしいものを見た。


     いつも許されなかった後姿。
     空気以下の存在としてしか存在しえぬ自分。
     窪んだ眼に映るのは羊皮紙代わりの虚ろな少女。
     意思を持たず異を唱えず言い付けに忠実な動く人形。
     はじめから・・・はじめからおわりまで冷たく無機質なその人。


 噎せ返る心象に、零れそうになった息を殺すため咄嗟に両手で口を覆う。




          っ・・父さん・・・・」




 あぁっ・・・・・・なのにやっぱり失敗して呟きが漏れてしまった。








 父とマスタングさんは全く似ていない。そしてよく似ている。
 父に似てほしかったところ・・もあまりないけれど、でも決して似てほしくなかったところが似てしまった、『錬金術師』としての彼ら。
 時を省みず、処を省みず、他人を・・自分をも省みないで研究に勤しみ没頭するその姿勢。その態度。その心。
 呼びかけに返事がない。相槌もない。存在すら認識してもらえない。
 だから今の状態のロイさんと父は、そういう点でまったく変わらないのだ。
 「笊みたい」と喩える人がいたら鼻で笑ってやりたい。笊を水に潜したら少なくとも笊は濡れ、網目の間には膜が張る。でも錬金術師にはそれすらない。 何一つ寄せ付けず、彼らはからりと乾いたままなのだから。
 そうして私の声は父に届かぬまま、私も父の声が聴こえぬまま、かの人は故人となった。冷たい石の下で・・・今なお錬金術に励んでいるのか、それとも母と逢えたのか。 意を得ずに別れを告げた凡人の娘にはそれすらも分からない。
 それに比べ、父と彼は果たしてよく似ている。
 でもそれは師から弟子へ秘伝のごとく受け継がれたものではなくて、元来彼らに備わった共通の素因。つまり、集中したら周りが見えなくなる科学者としての性質を、 父に師事する前から彼がもっていたということだ。
 それ故に私は彼の背に父を見る。同じ錬金術師という科学者を無意識のうちに感じ取り、敏感に反応する・・反応してしまう。
 娘は父に似た人を好きになりやすいというけれど、私が彼のことを好ましく思うのがそんな理由だったら・・・・自分で自分に失望する。確かにマスタング中佐の中に 錬金術師としてのマスタングさんを見て、彼は彼なのだと確信を得たのは私だ。それは認める。だけど、彼に惹かれた理由が『父と同じ錬金術師だから』なんて、 そんな莫迦げたこと・・・・。




「『父さん』はないだろうに・・・」




 溜息交じりの呟きが空気を震わせた。私の嘆きとぴったり一致するけれど、私の声ではない。私の声はこんなに低くないのだから。
 予期しなかった事態に、私はゆるゆると顔を上げた。嫌な仮定のせいで幾重にも重なった苦しさに負け、伏せていた顔だ。
 目元に満ちる熱い潮に視界が歪むけれど、でも朧な灯りに浮かぶ彼がこちらを向いているのは分かる。しかし眼を瞬く度に水面が厚くなって、ピントが合わなかった。 彼の顔が見えない。・・・・いえ、どうせ逆光なんだけど。


「どうした?ハヤテが寝て、つまらくなったかい?」


 でも声が優しいから、きっと優しい顔をしてるんだと思う。
 思いやり溢れるな問いかけに対して、私は素直じゃない返事しかできないのだけれど。


「・・・・・・そんなんじゃありません」


 だけど返した声は普段では考えられないほど弱々しい上に水分過多。これでは説得力に欠けるどころか、有事宣言をしているようなものだ。 それに対してどんな解釈をされても構わないのだけど、でもハヤテは今回無関係だし、表面上は否定で間違ってないと思う。
 ただ、彼の優しさがこんなにも嬉しいと自覚してるのに・・彼に縋りつきたくて腕がみっともなく震えているのに・・ 素直になれない可愛げのなさには心底うんざりした。私の口から出るのは差障りのない理由だけなのだ。


「風邪、引きます。それはまた、後日にしてください」
「大丈夫だよ。寒さを感じない。それよりこれをどうにかしないと気が済まなくて・・・」
「嫌!止め、て・・ください!」


 私の大声に驚いたのか、それとも幼い口調に驚いたのか、ともかく彼が息を呑んだことだけは分かった。


「・・・・リザ?」


 彼の、私を呼ぶ声が・・私を刺激しないよう極力配慮したものに変わる。
 その揶揄いの意図が見えない真摯な低音。滲む、人の暖かさ。
 触れたら、もう想いは止まらなかった。


      もうこれ以上、大切な人を錬金術なんかに渡したくない。


 父さんは連れて行かれた。
 火蜥蜴に飲み込まれた。
 でも彼は連れて行かせない。
 火蜥蜴なんて私の醜い背中に縛り付けてやるんだからっ・・!






「リザ・・」


 ゆっくりと、私の名を呼びながら彼はゆっくりと腕を広げた。
 行動の意味するところは解ってる。恥ずかしいわけじゃない。ただ、臆病な私は言葉にされないと動けないのだ。自分じゃ本当のこと何も言わない卑怯者。
 ・・・でも、それでも声が降るのを待っている。赦されるのを、ずっと待っている。




 幼さと浅はかさを理由に清算できない過ちをたくさん犯しました。
 錬金術での人殺しを詰りながら、私も銃でたくさん殺しました。
 天に赦しを請うことはできません。
 いつか来る糾弾の日に、涙を見せることもできません。
 でも・・
 でも、だけど・・




「おいで、リザ」
             っ・・!」
「大丈夫だから」




 私にとって神より尊い彼が・・・・・「いいよ」と言ってくれるなら。
 私は                ・・・。




 とぼとぼと彼の前まで歩み寄り、膝の上に乗った。硬い胸に顔を押し当てて、引き締まった背中に腕を回す。 擬態語が付きそうなくらい抱き縋ると、彼も抱き返してくれる。


 なんて、倖せなんだろう。


 言葉にすると安っぽく聴こえるけど、でもそうとしか表現し得ない。
      それはもう、涙が止まらないくらいに。
 沈黙の背が振り返ってくれること。ぎゅっと抱きしめてくれること。それはずっとずっと小さい頃からの、私の願いだったから。


「・・・・・・ロイ、さん・・・お願いがあるんです」
「・・・言ってごらん?」
「私、錬金術の次は・・もう嫌」


 彼が夜会う女性たちは確かに華やかで甘やかで綺麗。ついでにお話上手。彼が笑顔で出かけていくのも頷ける。
 でも彼女たちはそれだけ。
 貴重な情報と明るい時間とを手にした彼は上機嫌であっさり帰ってくる。
 本当にそれだけ。
 たとえどんな女性とデートをしたって彼の心はその人にないのだから、浮気にすらなりえない。だから別段騒ぐ必要性を見出せないのだ。
 でも錬金術は違う。
 御し難い魅力と引力で、あちら側へ引き込もうとするんだもの。
 永久に帰ってこれなくするんだもの。
 本当に絶対に、それだけは嫌。


「・・・錬金術は君を・・君たちを守るという目的のための手段だ。どちらが大切か一目瞭然じゃないか」
「だったら手段ばかりに没頭しないでください」
「君たちのために書類仕事だってしてるよ?」
「こんなときだけ仕事の話に摩り替えるなんて卑怯です、大佐」
「バレたか」


 当たり前だ。いくらお子様並みにしか知性が機能していなくても、それくらいのことは判断できる。
 人をバカにしすぎではないか? この男・・。


「リザ」


 ポンポンポンポンと、彼は私の背を叩いた。


「すまない・・・・寂しい思いをさせたね」


 小さな子を宥めるような、規則正しく繰り返される優しいリズム。その優しさに絆されて、怒りに一度引きかけていた涙がまた溢れてきた。 恐い夢を見た子どもが親に泣き縋るように、彼の腕の中で震えが止まらない。・・・どうしよう・・。
 普段の私、特に『中尉』の私では考えられないことだ。ここまでひどいとまるで別人だと自分でも思う。
 なのに彼はそのまま受け止めてくれた。優しい彼は、こんな私でも突き放したりしなかった。そして、感情に名をくれたのだ。


「・・す、ごく・・・・・寂し、かった・・!」
「うん」
「暗くて・・寒い、ところ・・・は、ひとりだと寂しい、から」
「うん」
「・・・もう研究は、やめて、いっしょに・・いてください」
「わかった」


 横隔膜による不規則な痙攣のせいで途切れがちになりながらも、初めて弱音を吐いた私に彼はとても穏やかな顔をしていた。そしてどこか嬉しそうだった。
 その態度が恋人というより父親とか兄に近いことに少し不満が残るけれど、私もあれだけ幼い態度をとってしまったのだから当然といえば当然の 結果かもしれない。プライベートでは人をあれだけ女扱いするくせに・・・・やっぱり不満だわ。
 彼は私を抱き上げると、卓上のランプを消して部屋を出た。本当に今日はもう錬金術のところには戻らないという彼なりの意思表示なのだろう。


「まったく、冷える前に髪を乾かせといつも言うのは君なのに、乾かしてないじゃないか。風邪引くぞ」
「・・・大人だから、いいんです」
「意味がわからん。身体だってこんなに冷えてるし」
「寒いところに立たせる契機を作ったのは貴方ですが」
「・・・・体調管理も仕事のうち、だぞ?」
「大丈夫です。貴方の腕の中は暖かいですから」
「・・・・・・・・」


 事実を述べただけなのに、彼は妙に黙ってしまった。ついでに廊下も終わりが見えた。私がさっき丁寧に扉を閉めた、寝室だ。


「もう就寝ですか?もっと話を・・」
「ん?寝かせないよ?」


 ちょっと・・・いえ、かなり眼光が怪しい。
 放り投げられることはなかったけれど、逆に恭しくベッドに下ろされる方が身の危険を感じるとはどういうことだ。


「やっぱりもう寝ます」
「つれないなぁ」
「・・・・」
「熱に浮かされるくらい暖めてげるのに」


 彼はくつくつと咽で低く笑う。そして出してきたタオルで丁寧に私の髪を乾かしていく。言うことは男の人の台詞なのに、やることはまるで母さんみたい。
 母さん・・・ロイさんが母さん・・・・・家事は全然出来なくて、でもエプロンは絶対似合うロイ母さん。・・お、可笑しい!


「はい終わり。・・・・・何がそんなに可笑しいんだい?」
「ふふ、内緒です」


 内緒。これだけ笑ってたら「なんでもない」なんて言えないから、内緒。素直になれない頑固な私が手に入れた、新兵器。


「ふーん、じゃあ明日ゆっくり聞き出すからいいよ。腕は?」
「貸してください」
「了解」


 広いベッドにぴったりとふたり寄り添って。私は彼の左腕に頭を預けて、彼は私を抱き枕にして眠るのだ。






「おやすみなさい」
「おやすみ、よい夢を」




































































 陽光の眩しさに耐え切れなくなって目を開けた。昨夜信じられないくらい涙を流したために少し瞼が重いけれど、後で処置をすれば気にならなくなるだろう。
 今日は非番だ。天気もいい。現時刻、8時半には少々閉口する・・が、まぁ気にしないことにする。
 隣の彼はいまだに気持ちよく眠っていた。私に腕枕をしてくれた所為で寝返りはできないし、腕は確実に痺れてるはずなのに、全力で熟睡しているのだ。
 ・・・おもしろい人。
 私はこれからも彼に救われ、彼と共に生きていく。何があっても、昨日のことは忘れないで大切にしまっておこう。
 新たな誓いを胸に、もう少し微睡もうかと彼に寄り添い瞼を下ろす    と、彼が何やらぶつぶつと呟くのが耳に入った。


「・・・・・ere mei dum veneris in novissimo di   


 その瞬間の心境を表現するならば、稲妻が走り雷鳴が轟く様が最も相応しい。哀しいでも怖いでも寂しいでもない。私は今、確実に怒りを感じている。
 昨日あれだけ・・思い返すのも恥ずかしいくらい「錬金術の次は嫌だ」と言ったのに・・ちゃんと理解を示してくれた様子だったのに・・・ おあずけを食らった錬金術馬鹿は夢の中で研究を再開したのか。
 そうですかそうなんですかそういうものなんですか昨日嬉しいとか思っちゃった自分が心底情けなくて泣けてきますというか貴方のぷくぷくの頬をつねりたいくらい 腹が立ちました私の名前を呼んで欲しいとかそんな贅沢言いませんからせめてアメストリス語を喋ってくださいそうでないと意味が解りません!
 ・・・・幸せそうに寝ている嘘吐きを叩き起こすのは、いけない事でしょうか?






        ロイさん、起きてください!」




 私は絶対、錬金術なんかに負けませんから!!

















fin.








2007/ 7/ 9 up
2007/10/ 1 模様替え



Mania:狂気的な愛