やっと弟子入りを認められた師の家の玄関に人影を認めて、ロイは「あれ?」と思った。 ロイの方(つまり外の方)に背を向けて立っているのは春の光のような金髪を短く切りそろえた女の子、ロイが師事するホークアイ氏の一人娘のリザだ。だから別に 不審者だとか迷子だと思ったわけではないのだが、普段家の中でしか少女に会わないロイは「何をしているんだろう?」と疑問に思ったのである。 疑問に思ったことを放っておけないのは卵でも科学者の性なのか。 ロイは可能性がありそうな答えを模索しつつ、少女へと近づいて行った。 今と昔と、僕と君 「こんにちは。何してるんだい?」 ロイが声を掛けるとリザは肩をびくんと揺らして振り返った。 短い金の髪がふわりと舞う。 けれど、自分にはないその色と柔らかさを綺麗だと思う暇もなくロイは逆に少し驚いた。まだ幼いのにいつも落ち着いた雰囲気を纏っているリザが、 零れ落ちるんじゃないかと思うくらい目を瞠ったからだ。 つられてロイの目も大きく見開いてしまったが、しかし次の瞬間にはリザが持っている物に釘付けになって、本気で目を瞠る。 「え・・リザ、それ・・・」 「あ、あの、これ・・・」 ロイの指摘を受けてやっと自分が抱えるものの存在を思い出したのか、リザは慌ててそれを抱き寄せた。 『抱き寄せる』という表現が似合わないその物体は 外掃除に使用する柄の長い箒は、しかしブラシの部分が通常とは上下逆になっていて、到底玄関掃除をしていたとは考えられない。だからこそ不思議に思ったロイはその箒を 凝視してしまったのだ。 しかし、理由はすぐにリザの口から説明された。 「あの・・上を掃除しようと思ったんです。そこ、蜘蛛が巣を張っていて・・・」 リザが指差した方を見ると、確かに蜘蛛が住み着いていた。大きいのと、中くらいのと、小さいのの3匹だ。 リザ曰く、「お掃除しないと本当にお化け屋敷みたいですから」とのことだったけれど、ロイにしてみれば背の低い、つまり視線が低いリザがこの蜘蛛の巣を見つけたことの方に 関心が寄せられた。現にロイはリザに指摘される今のいままで全く気付いてなかったのだし。 蜘蛛を退治するべく、リザは再びロイに背を向けた。どうやら蜘蛛の巣に注意を引かれている所為で、玄関を通らないとロイが中に入れないということを失念しているらしい。 言えばリザはきっと「あ、すみません」と言って通してくれるだろう。しかしリザの動向が気になったロイは、しばらくその場に留まることにした。 ぐっと柄を握り締めたリザが恐る恐る箒を突き出すと、ブラシ部分の先が蜘蛛の巣にちょこんと触れる。すると揺れを感知した蜘蛛の巣の主は緊急事態を察して かさかさと動き回る。その反応にリザはびくりと肩を揺らして動きを止め、数十秒後にまた巣を突き始める・・・・これの繰り返しだ。 しばらく傍観していたものの、このままでは一生終わらないと直感したロイは込み上げる笑いを堪えながら箒の柄を掴んだ。 「リザは蜘蛛が苦手なの?」 振り返ったリザはまた目を大きく開いてロイを見つめる。しかしそれも一瞬で、リザはすぐに怒ったような、照れたような表情を浮かべた。 「苦手ではありません。家族になりたくないだけです」 玄関ポーチの天井に居座る者を“ 家族 ”と表現し、家族になりたくないから駆除するのだと言うリザがとても子どもらしくて可愛いとロイは思った。 しかし先ほどの行動を省みると蜘蛛を苦手としているのは明らかなようで、それでも「苦手じゃない」と言い切る意地っ張りなところはやはりリザらしい。 ロイはにっこり笑いかけると、掴んだ箒の柄をくいと引いた。 「僕がやろうか。いきなり家族が3人も増えたらリザも大変だろうし」 「・・・・え・・? い、いいです、私自分で 「でも僕の方が背高いし、掃除しやすいよ」 ほら、とばかりにロイが手を上げると、がさっと音を立てて箒のブラシ部分がポーチの天井に着いた。それを見たリザは「うぅ・・・」と変な声を上げたが、ついに立ち位置を 明け渡す。 「あの・・・・お願いします」 「任せて」 言うなりリザはささっとロイの後ろに隠れるように移動した。しかし顔だけ覗かせているところから察すると、どうしても蜘蛛のその後が気になるらしい。 きちんと駆除するところを見届けるためなのか、蜘蛛に興味があるからなのかは分からないけれど、ロイはまるで猫の子どもみたいだと思った。 とりあえず巣は後回しにして蜘蛛本体をどうにかしようと考えたロイは、手始めに一番大きな蜘蛛をブラシ部分に引っ掛ける。すると大蜘蛛は糸を伸ばして地面に逃げようと した。 (なんか悲鳴が聞こえた気もするし・・・・) 箒からぶら下がる蜘蛛よりも背中に感じるリザの方が気になって仕方がない。蜘蛛は潰してしまおうかとも考えたが、リザに大きな悲鳴を上げられたら困るので、 ロイは少しだけ身体の向きを方向転換した状態で箒を振った。強靭だが細い糸一本でブラシ部分の先に引っかかっていた蜘蛛は、草が茂る前庭の方へと放物線を描いて消える。 ロイがちらりとリザを盗み見ると、彼女の大きな紅茶色の瞳はしっかりと蜘蛛を追っていた。 ロイは立て続けに残りの中・小蜘蛛も巣から追い出したが、その間リザはずっとその様子を見守っていた。そして見事に張られた蜘蛛の城をロイが箒で絡め取って きれいにしている間も気になるのか、リザは蜘蛛が放り投げられたあたりの草叢をちらちらと見続けていた。しかもロイの背中にへばり付いたままだ。 「はい、終わったよ」とブラシ部分についた蜘蛛の糸を払いながらロイが言うと、そこでリザは初めて自分の体勢を意識してぱっと離れた。 「すっ、すみません! ありがとうございました」 箒を受け取るリザの頬は桃色だ。 「いいよ。そういえば師匠はご在宅かな?」 真っ赤なリザを微笑ましく思ったロイは、可愛いな、妹がいたらこんな感じなんだろうなと考える。 「蜘蛛掃除くらいいくらでもするよ」と耳打ちすると、リザは少し困ったような笑顔で「・・・・・お願いします」と小さく呟いた。 「あら、あんなところに・・・」 幾分驚きを含んだリザの呟きを耳に留めて、ロイは顔を上げた。 リザの視線は執務机にいるロイを通り越して窓の上方に注がれている。その視線を追ってみると、窓の端で蜘蛛が懸命に巣を作っていた。蜘蛛の大きさは中程度で、 本体が黄色っぽく、足も黒と黄色の縞模様だ。 ああやって巣を張るのがあいつらの仕事で、あれもある意味命懸けなんだよなと考えながらロイがぼんやり眺めていると、リザはどこからか雑巾を持ち出してきた。 蜘蛛が巣を作っているのは窓を開けたとき外側になる方の窓の外で、リザは反対側の窓をからりと開けると、ロイが静止する時間すら待たないで 桟に足を掛け、ひょいと上る。 落ちたりでもしたら・・と過保護な親みたいな心配をしたロイは、堪らずに声を掛けた。 「中尉、私が代わるから下りなさい」 「何を仰ってるんですか。大丈夫ですよ」 しかしリザは聞く耳持たずで雑巾を持った腕を伸ばし、巣の上方から順に糸をはがし始める。 「中尉、いいから代わりなさい」 「大丈夫です。少し驚いただけですから」 「 驚いて悲鳴上げるくらいなら自分で駆除しようなんて思うな!とは言えなかったが、ロイは小さく「意地っ張りめ・・」と零した。 しかしロイの心配を余所に、リザは少しずつ糸を剥がしていく。もちろん蜘蛛の動きに細心の注意を払い、これ以上悲鳴を上げないようにして。 そうこうしているうちに糸が蜘蛛の体を支えられなくなり、ゆっくりとした速度ではあるが蜘蛛は下に落ちていった。 視力の良いリザはかなり遠くまで蜘蛛の姿を追えるらしく、リザはじっと一点を凝視している。バランス感覚がよく、腕力もあるリザが落ちることはないだろう。 しかし、窓からかなり身を乗り出しているリザがもし手を滑らせたら・・と思うと落ち着かなくて、ロイは内心冷汗を流しながら「中尉・・」と呼びかけた。 ロイの声に促されてやっと作業を再開したリザは、残りの糸も丁寧に取り払っていく。ロイはその作業の完遂を見届けてから、リザの細腰に手を添えた。 「まったく・・・君は本当に昔から変わってないね」 溜息半分でリザを床に下ろそうとすると、むっとした表情を浮かべながらもリザは素直に従う。 「そういう貴方の方こそ全然変わってないじゃないですか」 床に降り立ったリザは不服そうに言った。 ほら、そんなところが変わってないんだよとは言えずに、ロイは曖昧な表情を浮かべる。 「あまり危ないことをしないでくれ。見てるこっちの心臓に悪い」 「あら、ではいつも現場で無茶をする上官の護衛役の心情が少しは理解できたのではないですか?」 「・・・・それとこれとは話が違うだろう」 「いいえ、同じです」 リザは眉根を寄せてそう言うが、それでもロイは違うと言い張った。軍務で危険な目に遭うのと、それ以外での危険は違う。軍人としてのリザには 死と隣り合うような任務でも平気で就かせられるのに、そうでないときのリザには極力危ないことをしてほしくないとロイは思うのだ。 結局ロイもリザも違う違わないと譲らなくて、無駄な時間を厭うリザは雑巾を片付けるために執務室を後にしてしまった。 結果的にロイは独りになる。 やはりリザは昔からリザだ、などとロイが独り言ちても当然ながら返事はない。 蜘蛛は多少平気になったみたいだが、人を頼らないで何でも自分でしようとするところも、妙に他人に遠慮するところも、自分を軽んじる傾向にあるところも、 負けず嫌いの意地っ張りで頑固なところも、真面目すぎるところも、あまり笑わないところも・・・挙げていったらきりがないくらい、今のリザは記憶の中のリザと 変わってないな、とロイは考えた。 「・・・大佐、宙を睨んでいても仕事は終わりませんよ。手を動かしてください」 執務室に戻るなり、呆れ顔のリザはお決まりの小言を連ねた。 そんなリザを見遣って、ロイは『いや、変わらなくもないか・・』 と思い直す。 この表情は昔から見慣れているけれど・・・ 口うるさいところも昔から変わっていないけれど・・・ 「中尉・・・・・君、綺麗になったね」 fin. |