それは日勤の終業時刻を少し回った頃だった。
一蓮托生的相互関係
大きな窓から西日が射す執務室内は暗くない。しかし、次第に赤みを帯びてくる陽光はロイの背後からその身を焼く。自然暗くなるロイの手元を見遣って、そろそろ灯りをつけよう
とリザは思った。
執務室に詰めるロイの執務机には書類が残すところあと数十枚。これなら本日の残業は30分ほどで済む、そんな程度だ。
予想よりも早く帰れそうな気配に、リザの心は理由もなく踊った。あくまで“内心”であり、表情や業務に変化は見られないけれど。それでも、忙しいときほど逃亡
したがる悪癖だとか、デートのために漫ろになる決裁だとかとは無縁な本日のロイが階級に見合った態度で書類に目を通していく様をその傍らで静かに拝見できること
以外の、何を副官の特権とすればよいだろうか。それがたとえ「暑いから」鬼ごっこは御免だと、夏本番までカウントを始めた季候の賜物だとしても。決してリザの
普段の努力が実ったからではなくても。思わずはっと目を惹かれるくらい真摯な顔で書類に向かうロイが今ここにいるだけで、全てを水に流せるのだ。
喧騒とは無縁の穏やかな時間。
それは終わりがあるからこそ楽しめる時間だった。
コツコツコツ・・と扉が鳴った。
明らかに人が意図をもって扉を叩いた音。自然現象ではない。
リザが思っていたよりも格段に早く静寂は終焉を迎えたようだ。残念だがここは職場で、部屋の主は上官である。ロイが出した入室許可を受け、リザも来訪者を出迎える
べく、チェック途中の書類を小脇に抱えた。
「大佐ぁ、北方司令部からの封書届いてたんスけど」
「わかった。置いていけ」
入ってきたのはハボックだった。気の置けない仲間なら問題あるまいとリザが書類の確認を再会しようとしたとき、眼の端に人影が映った。ブレダ・ファルマン・フュリーの
3人だ。単に封書を渡しにきただけなら決して必要のない人数に、リザの眉根が寄る。
なにか、あるのだ。重大ななにかに気が付いたとか、上官のフォローが必要なミスをしたとか、酒代を強請りにきたとか。普段は専ら最後が多いのだが、今回もその類だろう。
顔が緩んでいる。それは事件を抱えた軍人の顔ではない。
そのことに気付いているのだろう、ロイも分かるか分からないか程度に迷惑そうな表情を浮かべる。
「・・・・どうした」
「大佐、中尉、暑い夏と言えば何だと思いますか?」
ハボックによる脈絡のない質問に、しかし部下の要求を予感した上官二名の頭には『冷えたビール』と同じ回答が浮かんだ。だがここで考えたことを正直に伝えるような
正直な人間では、下克上の激しい軍社会で生き残れないわけで。
2人は一度脳内をリセットし、暑い夏という単語から連想されるイメージを再度掘り起こす。
「旱魃危惧の報告は受けてないぞ」
「いや、そうじゃなくてですね・・・」
「大佐、夕立に遭う時間帯は無闇に脱走しないでください」
「あの、大佐個人への忠告じゃなくて、もっと一般的に・・」
「お前らもう夏バテか?」
「外での作業時には日射病・脱水症状に気をつけるのよ」
さすが長年連れ添った上司部下だけあって、足並みがぴったりだ。
下っ端4人は上官2人の勢いに気圧され「気をつけます・・」とキレの悪い返事を返したが、本当に言いたいことと関係あるはずもなく。
「2人ともなんでそう現実的なんスか」
焦れたハボックが口を開いた。軍人なのだから現実的なのは当然だという顔をしている上官2人に、期待した回答をばらすことにしたのだ。
思惑は外れたが、本題は2人に回答させることではない。
「暑い夏、といえば涼しい水場、でしょ」
そんな浮かれた方程式、軍人には成り立たない!と思ったのはロイか、それともリザか。
「だから何だ」
「大佐、シティ郊外に大型のアクアパークができたのをご存知ですよね」
「ブレダとフュリーで視察に行ったアレか?」
「そうです」
ここまで言われたらロイとリザにも話が見えてきた。『酒』という予想は外れたが、ろくでもない誘いであることに違いはない。いや、もしかしたら酒の方が
付き合ってやれる分、よかったかもしれないのだ。
「私は行かんぞ」
「ぇええ、まだ何も言ってませんけど・・」
「違うのか?」
「いえ、その通りなのですが・・大佐が断られるとは思っていませんでしたから」
「だいたいお前らいつ行くつもりだ。暇じゃないんだぞ」
「ですから大佐の力で・・・」
「無理だな。どうしてもと言うなら、中尉の許可を取ってからにしろ」
途端、リザに4人の視線が集まった が、次の瞬間にはロイに戻る。
「「「「絶対無理です」」」」
その即行全力否定は正しいだろう。怒りの矛先にいないロイから見てもリザが般若に見えた。控えめに言って、かなり恐い。
「では、諦めるんだな」
「大佐は行きたくないんですか?」
「お前たちと行ってなにが楽しい」
至極最もな意見だ。成人前の若者ならともかく、いい歳した軍人男性が連れ立ってプールに行くほうがありえない。その最たる人物が29歳の国軍大佐なのだが・・・
しかし今回ロイは反対派だ。
「大佐はすぐに女の子が寄ってくるからいいじゃないっすか!」
「お前はそれが目当てだろう」
「わぁ、ばれてますね、ハボック少尉」
「まぁばれるわな」
「水着の女の子と楽しく遊びたくて何が悪い!?」
ハボックの目はかなり真剣だった。真剣と書いてマジと読む。
まぁ読み方はともかく、リザから見てもハボックの妙な切実さが伝わってきた。また振られたのかしら・・とリザは気の毒に思う。でなければハボックが男(しかも職場の仲間)
を誘ってプールに行こうなどと考えるはずがないのだから。
一同の憐れみの眼差しは金髪煙草ノッポに集中したが、本人は完全に「ギブミー・水着美女」と燃えているので気が付いていない。ある意味、本当に憐れ。
錬金術師でもないのに自然発火している部下に対し、ロイはわざとらしい溜息を吐いた。
「だいたい、水着の何がいいんだ? 眼のやり場に困るだけじゃないか」
ロイのニヒルな笑みに、しかし今度は部下4人が難色を見せる。
「水着だからこそ見れるというものでは?」
「大佐は見たくないんスか?」
「そりゃ大佐は見慣れてるのかもしれませんが」
「・・・あれ? ミニスカはどうなるんですか?」
一時的にプチ聖徳太子状態となったロイは一瞬辟易したが、やはり彼はロイ・マスタング。すかさず持論を展開し始める、その適応能力の高いこと。錬金術師という
ものは概して理屈っぽいものであるが、エロ親父的な発想による談義で発揮されても微妙だ。・・・それでもやっぱり男どもは聞き入ってしまうのだけれど。
「解ってないな、お前たち。女性の衣服は自らの手で脱がせていくから楽しいのであって、据え膳とばかりに見せ付けられても面白みに欠けるというものだろう?
例えばだ、胸元が開いた服を着た女性と、ぴったりとしたハイネックを着た女性がいるとしよう。胸元が開いていれば見てしまうのが男の性だが、女性の警戒心も強い。
凝視するわけにもいかんし、ちらちら見るのも非常に怪まれる。しかしハイネックならどうだ? ガードは意外に脆く、あまり気にされない。しかも丸い曲線が惜しげもなく
披露されていて、揉んだときの蕩けるような柔らかさや手ごたえのある質量は想像し放題だ。ミニスカももちろん女性の足を美しく見せるし、見えるか見えないかの
ギリギリのラインは妄想を掻き立てる王道だが、ロングスカートやパンツも実はいい。うっとおしい布地の下には透けるように白い美脚が待っているのだからな。
時折ロングスカートのスリットから覗く太腿が悩殺的で、あれは絶対に誘っているとしか 」
ドンッ!!
職業柄聞きなれた音がして、一同は水を打ったように静まり返った。というか、ロイのマシンガントークが止んだ。
執務机の斜め前方ではリザの愛銃が軽く煙を上げている。ちなみに銃口は真下を向いており、弾丸のめり込み具合からも弾が床と超熱烈的な出会いを
果たしたことがよく伺えた。
リザはあまり銃で訴えるということをしない。躾と称して愛犬に発砲したのは一度きりだ(尤も、ブローニングの装弾7発すべて打ち込んだが)。銃に手を伸ばすことは
あっても発砲まで至らない。最悪、ホルスターから抜く程度だ。
そのリザが発砲した。これはかなり危険度が高いと見て間違いない。中尉怒気バロメータ(仮想)のゲージが赤(危険)の方へ振れるのに伴って、男たちの顔は青くなる。
「・・・・貴方たち、大佐が本当にそんな場所へ行けると思っているの? 護衛の基本は、対象を危険の可能性があるところへ近づけないことでしょう!? 水場では発火布が
役に立たない上に、緊急時に身を隠す場所すらないのよ!? 敵がいつどこで大佐の命を狙っているか分からないのだから、それ相応の警戒と周囲への影響に配慮するべきではないの!!?」
びしっと言い切るリザに、4人は首を竦めるばかりだ。
「そして大佐!プールへ行かないという姿勢を示されるのは大変結構ですが、まだ本日の業務は終了しておりません! 馬鹿みたいな話をしていないで早く書類を上げてください!!」
リザのマシンガントーク・・・もとい、ありがたい説教が終わった。
捲し立てる勢い以前にリザの握るブローニングへ怯えていた男4人はその隙をついて退散した。その様や、一目散というべきか、一心不乱というべきか。
ひとり残される部屋の主のことなど気にも留めない態度は賞賛に値するだろう。
「あいつら・・・」とロイは怒り半分、安堵半分で彼らを見送った。
コチコチ と秒針の歩む音だけが室内に響いている。
部下4人の退出後、その規則正しい足並みがちょうど60回重なったところで、リザは口を開いた。
「・・・・・ありがとうございました」
と。
まるで細い吐息のようなそのお礼は、それでも静寂を貫く室内の空気を震わせて、ロイの耳に届いた。万年筆が止まる。ロイが顔を上げると、泣き笑いのような表情を浮かべた
リザと眼が合った。
「・・・おや、何の話かな?」
「とても感謝しています、という話です」
恍ける台詞とは裏腹に、ロイの眼は優しい。手招きに合わせてロイのもとへ寄ったリザは、ゆっくり立ち上がったロイの腕の中に抵抗することなく納まった。
ロイはリザの頭を撫で、リザはロイの背に腕を回す。
「・・・行きたかったですか・・?」
プール、と最後まで言わずにリザは尋ねた。おそらくロイの答えは否定の言葉で、それを知っていながらもリザは確認した。
案の定、ロイは「いや・・」と答える。「君の水着姿が拝めないのは残念だけどね」と余計な一言もあったけれど。
水着姿など、リザが見せられるはずはないのに。
リザの背に這う巨大な錬成陣を面積の少ない薄布のみで隠すことはできない。軍服のアンダーは正装時以外ハイネック着用、普段着ですら気を使うのだ。安直に肌をさらす
破目になる場になど赴けるはずがない。そのことについてリザはもちろんのこと、ロイも十分承知していた。
だからロイは誘いを頑なに断った。適当かつ尤もらしい理由を長々と述べていれば仕事第一のリザが諫言するだろうと見越しての発言だったのだ。
もしロイがプールに行くとなれば、リザも護衛として同行せざるを得ないだろう。たとえそれがプライベートでの出来事だとしても、これまで散々私用にリザを付き合せていたロイが
リザを連れていないと逆にハボックたちが訝しむはずだ。しかし連れて行くとなるとリザは水の涼を楽しむ余裕すらなく、暑苦しい恰好で本当に『護衛』役に徹しなければならないことになる。
それはロイにとって非常に苦痛なことだった。だったら護衛対象となる自分自身が行かなければいい・・そう考えての辞退だったのである。
リザもロイが断った理由に気が付いていた。よく解っていたからこそ、泣き笑いのような「ありがとう」が口を衝いて出た。優しいロイは笑って誤魔化すと、
リザは知っているのに。
「あいつらのお守りをする時間があるなら、君とふたりきりで過ごしたい」
もちろんこれも本音だ。すべてが気遣いと欲とが雑じり合った、複雑な本音。
「ダメかな・・?」
耳に直接吹き込めば、リザの身体はピクリと素直に反応した。ゆるゆるとロイの胸から顔を離し、リザは熱っぽく上目遣いにロイを見つめる。
「ダメなんて・・言うはずないでしょう?」
結局2人はどこまで行っても一蓮托生なのだ。互いを思い遣り、補い、行動する。その関係はおそらく命が尽きるまで続くに違いない。
リザの答えに満足したロイは、リザの柔らかい唇に口付けを落とした。
西に臨む大きな窓から夕日が入り込み、室内を彩る定時過ぎ。
執務机上に未決裁書類が残っていることと、赫く染まった2人の影が重なったままであることは・・頬を染めた太陽のみぞ知る。
fin.
2007/7/25 up
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