ファーストキス










「…が、レモンの味っていうのは本当なんですか?」


「「「「「はぁ!!?」」」」」






穏やかな陽の光が差し込む麗らかな午後3時。
場所は東方司令部にあるロイ・マスタング大佐の執務室。
尋ねたのは、見た目は厳つい鎧・中身は純粋な14歳の少年。
対して素っ頓狂な声をあげたのは、大佐の部下である男4人+鋼の兄の方。




今日は無茶な旅を続ける兄弟が報告書を出すため司令部を訪ねていた。
いつもは執務室まで行くのを遠慮するアルフォンスを誘ったのは、ロイの部下たち。
「俺たちも丁度用事あるから、遠慮することないって」とみんなで連れだって来た次第である。
みんなを迎えたロイは常よりも2割増しの書類に追われていたが、サボっていたわけではないらしい。
今も忙しなく書類を片付けている。
本来ならたとえ仕事中でも来客の場合はそちらの相手をするべきなのであろうが…
本来ならアポをとって訪れるべき場所に、兄弟は突然現れた。
よってキリのいいところまで進めておきたいロイに「少し待っていろ」と命令されたのだ。
書類は決済済みも多く、ハボック達が不備を確認していく様を黒張りのソファから大人しくぼんやり眺めていた兄弟であったが、突然弟が「あ」と声を発したのが5秒前。
それに続いた発言に、一同の動きが停止、熱い視線が一点に集まる。
声こそあげなかったが、ロイもサインの手を止め、顔を上げた。




「え…あの、この間何かの文献にそんなことが書いてあったんですけど…」
どんな文献だ!!!とみんなが心の中で叫んだのは言うまでもないだろう。
該当するであろう文献を思い出そうとしているのだろうか、兄の方は口の端を引きつらせている。
「あー、それが気になった、と…?」
「はい。みなさんは大人だからわかるかなと思ったんです。」
身長のことを異常に気にするお子様が居るため(あくまで上官の部屋だからではない)火を点けていない煙草を玩びながら聞くハボックにアルフォンスが頷く。


確かに、可愛らしい疑問だ。
恋や愛に憧れる幼い日にのみ許される素朴な疑問。


――それ故に、なんとも大人には答え難い。


だからといって目をキラキラ輝かせている(ように見えるのはナゼだろう?)少年に何も答えないというのは良心が咎める。
しかし、逆に失望させることだって十分あることも忘れてはいけない。
っていうか、いったい何年前の話だよ…
「レモン味じゃなかったのは確かだな」
先陣を切ったのはブレダ。
まぁ、少年であると同時に錬金術師でもあるのだ、彼ら兄弟は。
事実を受け止めるだけの度量があり、そもそも下手な気休めなどで納得するタマではない。
それに、「ファーストキスはレモンの味か」なんて、それほど人の一生を左右するほどのことでもない。
「『レモンの味』というのは恋が『甘酸っぱい』ことの喩えですからね」
「僕はただ恥ずかしかったことくらいしか覚えていませんよ」
「あー、俺も覚えてねーや」
書類の確認中だったにも関わらず、喋り始めたら始めたで、話に花が咲く。
やれいつのことだの、相手はどんな子だっただの、どこでだっただの、話は止まるところを知らずに広がっていく。
アルフォンスは話に加わり、エドワードは興味がない風を見せながらもしっかりと聞いているようだ。






そこに手榴弾を投げ込んだのは、やっぱりハボックだった。
「大佐ぁ、大佐はどうだったんスか?」
「…私か?」
どうやら決裁を再開していたらしいロイが顔を上げる。
その表情を一言で言い表すなら、微妙、だろう。
興味津々の眼差しを受けて一瞬たじろいたが、すぐに澄ました顔に戻る。
「おそらく参考にならんよ、アルフォンス」
「もしかして覚えていないのでは?大佐」
「ばか者、忘れられるか」
―即答ですか。
―てか、大佐失言。
―ナイス、ファルマン!
「そんなにすごかったんスか?」
ロイはしまった、という顔をしたがもう遅い。
子どもがいるのに、微妙に際どい質問をしてくるな。
半ば呆れながら書類に目を落とす。
ただし、今回は口も動いていた。
「別に普通だ。…敢えて表現するなら『塩辛い』といったところかな」


塩辛い!!?


女たらしの上官の、知ってはいけない一面を知ってしまった気がする。
――普通なのに『塩辛く』ていいのだろうか。
「…泣かせたってことか?」
「大佐が、ですか?」
「無理やりだったとか」
「うっわ、サイテー」
―ひそひそひそ…
いつの間にかエドワードまで加わっている。
「お前たち、私を怒らせて楽しいか?」
唇は笑うように歪んでいるが、眼が笑っていない。
「え、違うの?」
「当たり前だっ、ばか者!だれがそんなことするか!!」
「じゃ、いつ、どこで、だれと、どんな風に?」
「何だ、その作文ゲームは。だいたい、アルフォンスの初めの疑問は味だろう!?」
「大将たちの後学のためにですね…」
「だから、参考にならんと――」




コンコン




一瞬にして静まり返った部屋に、規則正しいノックの音が響き渡った。






「誰だ」
「ホークアイです。お茶をお持ちしました」
軽い問答の後に現れたのは、東方司令部司令官の美人副官。
どうやらここにいる全員分のお茶(来客用の美味しいモノ)とお茶うけを運んできたらしい。
イコール、休憩のお許しが出たということ。


エルリック兄弟、ロイ、部下たちの順にお茶を渡していくリザの前で、しかし一同は何となく話を再開し難かった。
微妙な空気が部屋を包み、仕方なく無言でお茶(毎回こんな美味しいのが飲めればいいのに)を啜る。
―しかし、その場の空気に敏感な軍人のこと。
「……何かあったの?」
当然の如く理由を求められた。
何かって…先程までの話を彼女にしてもいいのだろうか?
会話の内容も、サボッていた事実も報告し難い。
これまた当然の如く、視線が彼らの(一応)上官兼部屋の主に集まる。
それを受けて「大佐、何があったんですか?」と、ご指名付きで説明を求める。
面倒なコトを押付けるな、バカども!!
―という心の叫びは叫び主のものでしかなく、誰の心にも届かないらしい。
多少射るような鷹の目で見つめられて、ロイは溜息をひとつ零した。
「アルフォンスの疑問に答えていたのだが、途中で話が切れてしまってね。話すタイミングをみんな窺っていたのさ」
「あら、それは申し訳ありませんでした。アルフォンス君もごめんなさいね」
「あ…いえ、気にしないで下さい…」
真面目な話でないだけに、アルフォンスの返事も鈍かった。






リザはまだ確認の終わっていない決済済書類を黙々と確認していく。
他の者は黙々とお茶(なんて美味しいんだろう!)を飲んでいる。
傍から見れば、奇妙な図。






「それで、アルフォンス君の疑問は解消したの?」
全て確認し終わったのか、リザがアルフォンスの方に向き直った。
一瞬で一同の顔が強張る。
――余計なことを言うなよ、アルフォンス!!
後で機嫌の悪くなったリザの、ブリザードの被害を受けるのは東方司令部の軍人(主にロイ及びその部下たち)だ。
祈るような気持ちで二人を凝視する。
―が、期待もむなしく、アルフォンスの眼が輝き始めた。
科学者というのは、より多くのデータを集めたがるのだろうか。
「あの、中尉にも聞いていいですか?」
「何?」
「あの、中尉のファーストキスは何味でしたか?」
直球すぎる言葉にリザは目をパチクリと瞬かせる。
あまりに直球すぎて周りは息を飲んだ。
「それが聞きたいこと?」
「はい。―あ、言い難かったらいいんですけど…」
そうねぇ、と口に指先を当てて3秒ほど考えた後、リザは口を開いた。
「味は気にしたことなかったけれど…あえて言うなら甘いミルクティの味かしら。…参考になった?」
爆弾発言に男共は固まって言葉を失っていたのだが、アルフォンスは辛うじて「あ、はい。ありがとうございました」と返事が出来たようだ。
「そう、よかったわ。で、みんな固まってどうしたの?大佐まで、顔が引き攣ってますよ。今はいいですけど、休憩時間が終わったらちゃんとお仕事して下さいね。今日は書類が多いんですから。みんなもよ。じゃあ、あまり構ってあげられないけれどゆっくりしていってね、エドワード君、アルフォンス君」
さらっと言葉を残して、リザはお盆と大量の書類を抱え退出した。










「なんか、今日は凄いこと聞いちゃったね、兄さん」
「…あぁ」


兄弟が歩くのは、東方司令部正面玄関前の大階段。
眼の前には大きな夕陽が紅々と輝いている。
おそらく明日も晴れるだろう。






あのあと、大人たちは活動を再開するのに丸々3分かかった。
ロイにいたっては5分くらい石化していたハズだ。
司令部きってのクールビューティの口から『ファーストキスは甘いミルクティの味』なんて聞けるとは誰が思っていただろうか(いや、思っていなかった)。
しかし逆に“そんなに衝撃を受けることなんだろうか”と、アルフォンスの頭に新たなる疑問が過る。
とりあえず凄いことだというのは周りの雰囲気でわかったのだけれど・・・
おそらく兄も同じような疑問を考えているだろう。
だって錬金術師なのだから。
未知に対する探究心や情熱は人一倍強い。
ただし、この新たに生まれた疑問の扉は開けてはいけない、そんな気がした。






結局、ファーストキスって何味なんだろう?










fin.

















2006/10/1 up