おでん屋ナナちゃんは本当に本当に小さな店である。 テーブル席を設けるスペースは皆無で、カウンター席も椅子をぎゅうぎゅうに詰めてやっと6席並ぶ程度の規模だ。だからこそナナリーひとりでも今日まで切り盛りできていたわけなのだが、おでん屋ナナちゃんの味をもっと世に広めたいのであれば、明らかに手狭だろう。 ナナリーは朝から軽く熱を出しており、今も部屋で休んでいる。積年の気苦労に加え、兄が戻ってきた安堵に気も緩んだのだろうというC.C.の見解にはさすがのルルーシュも反論できず、今日ばかりはおでん屋稼業に精を出している、というわけだ。 ・・・尤も、相手は酔っ払い6人だけなので、給仕も勘定も大して忙しいわけではない。そういった事務的な面よりも負担になっているのはむしろ接客業に欠かせないコミュニケーションの方で、言 葉巧みに他人を乗せることは得意なルルーシュでも、長年接客される立場にあったことや基本的に無駄な愛想を振りまける性質ではないことが大きく祟っていた。 さらに、眼前の6人が顔馴染みばかりであることも拍車をかけている。 近くの産婦人科・内科の産婦人科医であるラクシャータ、内科を担当しているロイド、看護師のセシル・・・はともかく、スザクにリヴァルにジノという、学生時代の悪友もしくは後輩3人が揃いも 揃ってルルーシュの真正面に陣取っているのだから、やり難いを通り越して最早お手上げ状態だった。 スザクは天然、リヴァルはお調子者、ジノは乗せられやすくお祭り好き。そこにアルコールが程良く加われば、しがないおでん屋も宴会場に早変わり、だ。賭場も概して喧噪がひどいものだが、 それに引けを取らないとはいかがなものだろうか 酔っ払いのテンションに付いていけない素面のルルーシュは、こっそりと溜息を吐いた。 「 「うん、長かったね、リヴァル」 「だーかーらー、何事も最初の一歩が肝心なんだよスザクくん」 「ははははは。だからその一歩が遅いんですよ、先輩」 「んだとジノ〜〜〜」 ドワッと、瞬間的に膨れ上がる笑いの声 音信不通期間の分だけ聞きたいことや話したいことがあるのは理解できる。・・・が、肩を並べて酒を飲み交わしているのならともかく、今のルルーシュはひとりだけ接客する側の人間なのであ る。話に熱を入れることもできず、かといってまったく相手にしないわけにもいかない微妙な引き際を心得るのが酔っ払い相手では意外と難しくて、無駄に疲れた。 しかも、3人が暖簾をくぐって現れた瞬間に予想したとおり、終いにはC.C.を紹介しろと騒ぎだして。 それに関しては完全無視を決め込むつもりだったのに、ナナリーから託けを預かってきたC.C.が偶然顔を覗かせたものだから、また無駄に疲労を貯め込むことになったのだ。 人形みたいな美人じゃん、とか、なるほどルルーシュ先輩はああいうのが好みなんですね、とかどこで知り合ったんだい、とかはまだ許容範囲内のコメントだった。 しかし、あの細い腰が堪らなくイイ、と云われたときにはさすがに「人の女をそういう眼で見るな!」と、左目から赤い鳥が羽ばたき・・・はしなかったけれど、あやうくお玉を投げ付けるところ だった。ちなみに、グラグラと煮え滾るおでん鍋の中で常時待機しているお玉は充分すぎるほど凶器である。命中すれば熱いどころの騒ぎでは済まないだろう。 これだから顔馴染みの接客は嫌なんだと何度忌々しく思ったか分からないが、それでもルルーシュは根気強く彼らに付き合っていた。 懐かしい面々の今を知る、良い機会でもあるのだ。幸いなことに、スザクはもれなく恐ろしい姉がついてくる花の妖精と順調に交際をしているようだし、リヴァルは長い片恋が実る可能性が出てきたらしいし、ジノは・・・・・ 「何でも早けりゃいいってわけじゃ・・ 「・・・ん?」 ジノはカウンターに突っ伏していた。 周りに暗雲が立ち込めているように見えるのは気のせいだろうか。 「・・・・ジ、ジノ?」 「おーい、大丈夫かぁ?」 「 「・・・? カレンに?」 「婚約指輪渡したら、まだ早いって投げ返された・・・」 「「「・・・・・」」」 店内に沈黙の帷が下りたのは、ほんの一瞬だった。 「早っ!」 「さすがに早いよ! 君たち付き合い始めてまだひと月も経ってないだろ?」 「そーだけどさ、本気と誠意を示すにはやっぱ指輪が一番だって!」 「いやいやいやいや。間違っちゃいないんだが、すごーく間違ってると思うぞ」 「カレンも驚いただろうね」 「んー・・・まぁ、『まだ早い』ってことは『いずれ』ってことだろうし、次がんばれよ、ジノ」 苦笑したリヴァルがジノの肩にポンッと手を置く。 低く唸りながら項垂れる後輩の喜劇を呆然と見守っていたルルーシュは掛けるべき言葉に窮し始終無言の姿勢を貫いていた。・・・が、突然復活したジノが「ルルーシュ先輩っ!」とカウンターの 向こうから身を乗り出してきたものだから、勢いに圧されたルルーシュは軽く仰け反りながらジノと向かい合いうことになってしまった。 ・・・・・嫌な予感が満載だ。 「婚約指輪贈る上手い方法教えてください!!」 俺に訊くな! 自慢にもならないが、ルルーシュはC.C.に婚約指輪どころか宝飾品の類を贈ったことが一切ない。彼女がバニー時代に客から貢がれた品々の中にはそういう物もあったのだが、C.C.自身は興 味を示さず、ボロアパートにそのまま放置。結果的に無用の長物は増える一方で、痺れを切らしたルルーシュが定期的に処分していたのだ。そんな女に指輪を贈ったところで何の益もない・・・と いうか、ただの同居人からいきなり婚約者になったものだから、指輪云々なんて話はすっかり頭から抜け落ちていたのが実際のところである。 そもそも、婚約指輪とは絶対に必要なモノだっただろうか。 存在を失念していた事実は棚に上げておくとして、虫よけ効果を狙うのであればシンプルな結婚指輪ひとつでも事足りるはずなのだ。なのに事前にもうひとつ指輪が要るなど・・・・・ 「・・・ジノの場合は時期尚早だっただけだろう。リヴァルの云うとおり、次に賭けるんだな」 「確かにタイミングって難しいけどね」 「焦りは禁物だぞー」 「んんん〜」 先輩3人のアドバイスを受けて、ジノは何やら複雑そうな表情を浮かべる。 ルルーシュは淡く苦笑を湛えながら、おでんの追加を訊いて回った。 じっくりと汁に浸かり、口の中でホロリと崩れる大根。ルルーシュが丁寧に盛り付けたそれに箸を入れて、スザクは満足そうに頷く。 「ルルーシュに先を越されるとは思ってなかったけど、普通に幸せそうで安心したよ」 「・・・そう、か?」 「ルルーシュが指輪渡してる姿なんて、想像できるようで絶対できないんだけどね」 「・・・なんだそれは・・」 ふと気が付けば、話のネタがルルーシュのところへ戻ってきている。これがナナリーひとりにおでん屋を任せていたツケなのだとしたら、黙って払うより他はない。だが、贈ってもいない指輪の 話をいつまでもされるのは勘弁願いたかったので、「まあ、指輪は贈ってないがな」と溜息交じりに零した。 「えっ・・・それ本当かい?」 「なんだよ〜、ルルーシュのことだから芸能人もビックリの指輪を、こうさ、サッと彼女の前に差し出したとばかり思ってたのにさー」 「待て、どれだけ恥ずかしい男だ、それは」 「でも意外だなぁ。ルルーシュ先輩が指輪なしでプロポーズって」 「そうだよ、何で指輪なしで?」 「用意したけど渡せなかったとか?」 興味津々、津々津々、津々・・・・・ 迫りくる好奇の目に耐えられなくなったルルーシュは貌を歪めた。 噛みつぶした苦虫は、いつもより多い。 「 儚く消えてしまいそうに見えた細い背に手を伸ばし、必死に繋ぎ止めた、あの夜。あのとき仮に指輪があったとしても、C.C.が安易にルルーシュを受け入れたとは考え難いのだ。 常に孤独と隣り合わせで生きてきた彼女が求めていたのは、モノではないのだから。 だから・・・・・ 「そんなことっ、ルルーシュくんが決め付けちゃダメよ!」 「「「「・・・え?」」」」 突如として上がった非難の声に、男4人は一斉に振り返った。 カウンター席の端の方でセシルが仁王立ちしている。確実に酒に呑まれているのだろう、顔は真っ赤で、ついでに目も据わっている。その隣ではプリン好きの内科医がグッタリとカウンターに へばりつき、さらにその隣では煙管愛好家の産婦人科医が肩を竦めていた。 それらが示すところは、 「愛する人とこれからずっと一緒に生きていく歓びと希望が指輪になって永遠に残るんだもの、貰って嬉しくない女の子なんていませんっ!」 この一喝に続き、果ては「絶対にロイドさんみたいなダメな大人にならないでね」という意味不明な声援まで延々と説教を甘受する破目に陥ったルルーシュは、酔っ払いの真の恐ろしさと、今日までおでん屋を守り抜いた妹の強かさとを、嫌というほど痛感したのである。 それから70分後、ナナリーに頼まれて店の様子を窺いに来たC.C.が発見したのは、いつになく疲れきったルルーシュの後ろ姿だった。 |