裏口の内側へ滑り込んだ途端、ルルーシュは蹲りそうになった。 心の奥底でドロドロと塒を巻いているのは、カフェでシャーリーと交わした遣り取りだ。・・・・・いや、学生時代の思い出までもが走馬灯のように駆けて、胃の奥を締め上げる。 幾度零したか分からない溜息を吐ききって、ルルーシュはきつく瞼を閉ざした。 今日最後の目的地は以前から通っている証券会社だった。 直接赴かなくても端末ひとつで取引ができるよう契約は結んでいるし、市場の動向だって逐一チェックしているのだが、巨大な電光パネル上で休みなく入れ替わっていく数字や、引っ切りなし に鳴るコール音、証券マンたちが眼光を光らせて市場を睨んでいる気配が嫌いではなかったから、暇さえあれば足を運んでいたのだ。 “ みやげはプリンにしろ ” C.C.にしてはめずらしくピザ以外のものを催促するメールが届いたものだから、なかば呆れつつもルルーシュは予定を一件追加することにしたのだった。 向かった先は以前も利用したことがあるカフェだ。そこのプリンはC.C.にも好評だったし、ナナリーもきっと気に入るだろう。遅い、と文句を云うC.C.と、ありがとうございます、と笑顔で迎えるナ ナリーが目に浮かぶ。そんな自分自身に内心で苦笑しながらカフェに足を踏み入れたときは・・・思ってもいなかった。 『 懐かしい学友との再会、そして告白に、これほどダメージを受けることになろうとは。 裏口の扉に凭れてどれくらい経っただろうか。 やっとのことで身を剥がし、ルルーシュはすぐ左手にある階段をのろのろと昇った。昔ながらの狭い木造住宅にありがちな急傾斜の階段が、罪悪感に支配された身体に厳しい。 普段のルルーシュとは無縁のそれだが、今だけは疑いようがなかった。 シャーリーの想いに応えられないこと・・・もちろんそれも胸に痞えている。しかし、ルルーシュを縛っているのはもっと昔の記憶だ。 まだ高校に通っていた時分。特に目立った行動はしていないはずなのに、告白されたりデートに誘われることが多かった。当時からそちらの方面には冷めていたから、「面倒」としか思っていな かったけれど。・・・尤も、一番面倒なのは断るときであって、納得できる理由を与えなければ引き下がってくれない強者への対応マニュアルを確立させようと常日頃から考えていたルルーシュは ある日、奇策と出会ったのである。 『あぁ・・・・土曜はシャーリーと・・』 それは、「一日だけでいいから、お付き合いしてください!」という申し出を断ろうとしたときだった。 シャーリーとリヴァルの3人で生徒会主催のイベントに使う布やら糸やらの調達に行く予定があったので単純に断ろうとしたのだが、しかし言葉の途中で何をどう勘違いしたのか、女生徒は たちまち涙を浮かべながら「やっぱりシャーリー・フェネットですか?」と意味不明な言葉を残し、止める間もなく逃げてしまったのである。突然の展開にポカンとしてその背を見送ったルルーシュは、秒針半周分掛かってようやく誤解されたことに気が付いた。 時すでに遅し。・・・だが、顔も名前もよく知らない女生徒を必死に探してわざわざ誤解を解くのも別の誤解を生みそうな予感に満ちていたので、そのまま放置した。さすがのルルーシュも「厄介なことにならなければいいが・・」と多少は懸念したのだけれど。 ルルーシュにアタックしてくる者が極端に減ったのだ。冗談かと思って2、3回試してみたところ、確かに効果を確認できた。さすがに交際を断る理由に名を借りることはなかったけれど、デートの 誘いならば単に「用事があるから」と断るよりも人名を加えた方が現実味が出るのだろう、他の生徒会メンバーの名も借りてデータを集めてみた結果、一番効果的だったシャーリーの名は『嘘の 口実』によく使わせてもらった。もちろんシャーリーのところへ行って事実関係を問われたりすれば一発で嘘だとばれてしまうわけだから、巧みにフェイクも交えて。 初めは煩わしさを軽減するための手段だった行動がゲーム感覚の遊戯へと変わるのに、そう時間は掛からなかった。 悪意があったわけではない。ただ、掌の上で人が面白いくらいコロコロと転がるのが・・・いや、転がすことができるのが楽しかった。 後に最愛の妹の耳にまで女タラシという悪評が届くことになるとも知らずに。 (最悪・・・だな・・) シャーリーの想いを聴いて、ルルーシュは初めてあの頃の自分をそう振り返った。 いくら知らなかったとはいえ、シャーリーの想いを踏み躙る行為を平然とやっていたのだ。いや、シャーリーだけはでなく、ルルーシュに面と向かってアタックした女の子たちの想いは一体どうなるのか 過去形ではなく現在形で云われたシャーリーの「好きです」を正面から受け取る資格など、ルルーシュにはなかったというのに。 (・・・ありがとう、か・・) その言葉に嘘偽りはない。 だが心境としては、冷水を浴びせられた上に、心臓へナイフを突き立てられたような状況だった。 シャーリーの頬を伝う純真な涙を拭う資格もなく、止める術もなく。ただ永遠とも思える贖いの刻に身を委ねるしかないだけの自分。シャーリーは一頻り泣いたら落ち着いたのか、最後には笑顔 を見せてくれたりもしたけれど、まだ友達と会う予定があるからとルルーシュを先に帰したところから察するに、まだとてもではないがふたり並んで下町まで帰る気分になれなかったのだろう。 結局、ありがとう以外は碌に言葉を発することもできずにカフェを出てしまったことに、今さらながら後悔する。 (何をやっているんだ、俺は・・) ギシギシと音が鳴るのは板張りの階段か、それとも己の心か。 それでも最後まで昇りきって大きく溜息を吐いたルルーシュは、とりあえず居間に足を向ける。 窓がない廊下に少しでも光を入れるための、下半分が板張り、上半分が障子の戸。その向こうはやわらかな光と匂いに包まれていて。 そして、取り込んだ洗濯物に囲まれたC.C.が居た。 「おかえり、ルルーシュ。・・・・・めずらしいな、メール気付かなかったのか?」 「・・あ・・・」 大きな琥珀色の目を丸くして指摘された内容に、ルルーシュは思わず手元を見遣る。 プリンのことなんて、すっかり忘れていた。 しかしC.C.は特に気にした風もなく、洗濯物をたたむ手を再開させる。 「ナナリーなら友達と出掛けたぞ。咲世子のところだ」 真っ赤に燃える石油ストーブ。その上ではヤカンがシュンシュンと唸っていて、帰宅したばかりの身には少々暑すぎる。その部屋の隅で洗濯物をたたんでいく白い手はやさしく、伏し目がちな瞳は穏やかで。 「・・・ルルーシュ?」 唐突に、感情が振り切れた。 「どうし 障子戸を開け放したままだということも、コートすら脱いでいないということも気にせずに大股で部屋を突っ切って、華奢な身体を腕の中に収める。 抱きしめるというより抱き竦めると表現した方がしっくりくる力強さにC.C.は一瞬だけ苦しそうに身じろいで、それきり一切抵抗をしなかった。たたみかけのタオルを膝の上に放置して、まるで幼子をあやすように緩やかなリズムでルルーシュの背を叩く。 いつもであれば揶揄のひとつでも投げているC.C.という女は、妙なところでルルーシュの機微を読むのに長けていて、本当に必要なときにはしっかりとルルーシュを受け止めてくれるのだ。 強さも、脆さも、ありのままを晒せる関係。そして、すべてを晒す己自身を許容できる唯一の相手。ナナリーに感じる愛おしさとは少し質が違う愛しさと、絶対手放したくない独占欲。 「 自覚させられた想いが示すのは、たぶん、そういうことだ。 だれかを傷つけて、比較して、ようやく気付くなんて鈍感にも程があるけれど、罪悪感と自己嫌悪に苛まれれば苛まれるほどC.C.への想いのカタチが浮き彫りになっていくのだから、どうしようもない。 腕の中にある身体をさらにグッと抱きよせ、細い肩口に額を押し付ける。 「愛してる・・」 それは熱っぽい愛の囁きとはまるで縁遠い、ただの独り言も同然の吐露。 「・・・そうだな・・私も、愛している」 その言葉を聴いた瞬間、ルルーシュは心底安堵した。 しみじみとした感慨深い声色が示すのは本物の肯定で、そこに同情の気配は一切見られなかったからだ。 過去は変えられない。戻れもしない。だからルルーシュの『女遊び』は事実として残るし、罪の意識が綺麗さっぱりと消えてなくなることはないだろう。 それでもルルーシュは今、明日へ進みたいと思った。 愛し、愛されていると実感すればこそ、過去にばかり囚われることを好しとは思えなかったのだ。 たとえ、調子のいいことを・・と批判されても、詭弁や自己満足だと云われても、ルルーシュはそういう道を選ぶ。 ストーブに暖められた部屋と、腕の中のぬくもり、それから安堵の後にようやく湧いてきた歓喜によって、芯から冷え切っていたルルーシュの身体はいつしか熱を取り戻していた。 それまでは、このままC.C.を抱きしめたままでいるのもいいかもしれない、と。ルルーシュは秘かにそんなことを考えた。 |