間口の狭い車庫に軽トラックを難なく収めて、アーニャはその小高い運転席からひらりと降りた。 そのまま店舗の正面に回る。行儀よく整列する野菜たちがまだ多く残っているのは、書入れ時となる夕食の買い出しの時間帯にはまだ早いからだ。 「配達終わった」 「おお、ご苦労だったな、アーニャ」 「カレンのお母さんがお饅頭くれた」 「そうか・・・・上がりなさい。一服しよう」 店の奥でノートパソコンと睨めっこをしていたジェレミアに声を掛ければ、いつだって彼は律儀に顔を上げる。その後はふたりで緑茶を啜るのが習慣化していたものだから、アーニャはスニーカー を脱いで茶の間に上がり込むなり、勝手に茶箪笥から湯呑や急須、茶筒を出し始めた。 この時間はアーニャの長い一日の中でも、特にお気に入りの時間だ。 青果店での仕事は開閉店準備にしても配達にしても、とにかく力仕事が多い。しかもジェレミアなら1回で済む運搬作業も、アーニャなら同じことを3回繰り返さなければ終わらないのだ。手指は 汚れるし、店番をしていても夏は暑く、冬は寒い。 アーニャの生活の一部になっている、大切な時間。 ・・・・・・だが近頃、その大切な時間にノイズが混じる。 「アーニャ・・・今日はルルーシュ様にお会いすることができたか?」 そわそわ、と。 まるでそれを聞きたいがためにアーニャの帰りをまっていたのではないかと疑えてしまうくらい落ち着きを失くしたジェレミアが魔法瓶片手に台所から姿を見せた瞬間、アーニャは紅玉色の瞳に冷めた光を浮かべて彼を見上げた。 ジェレミア青果店の若き店主・ジェレミアは、下町の生まれではない。 彼の実家は和歌山の大ミカン農園であり、跡取り息子として大切に育てられていたのだ。幼い頃は敷かれたレールに反発していた彼も中学校へ上がる頃には考えを改め、ミカンを一途に愛する ようになっていた。そして高校を卒業した春、これから農業に従事する者の務めとして農業の現状をこの眼で見ておきたいと考えたジェレミアは、1ヶ月という期限付きで日本全国の農家を訪ね歩く旅に出たのである。 これが運命の分かれ道だった。 『ボウヤ、どこまで行きたいの?』 まずは北上しようとヒッチハイクをしていた矢先に止まってくれた大型トラックは、荷台に描かれた竜が見せつける牙と爪の迫力が印象的な そして彼女の運転テクニックに3度目の衝撃を受けた。同業者が犇めく夜の高速道路でもスピードを緩めることなく突っ込み、眼にも留まらぬ速さで追い抜いていくのである。その、テールランプ とイルミネーションの余韻によって初めて追い抜かされたことに気付くことから、同業者の間で“閃光”と呼ばれていた女性 下町まで乗せてもらったジェレミアは、さらにシャルルのおでんを御馳走になり、2日ほど下町を見て回ってから、また旅立った。それから北は北海道、南は九州まで廻った彼は和歌山の実家に帰るなり、家族に決心を伝えたのである。 それからの人生が順風満帆だったわけではない。それでも苦労に耐え、努力を惜しまなかったからこそ、念願だった青果店の経営を今でも続けていられるし、欠かさずミカンが届くくらいには実家とも仲直りを果たしている。 すべては、下町に色濃く存在する素朴な魅力がジェレミアをここまで掻き立てたのだ。 だから彼はキッカケを与えてくれたマリアンヌを敬愛し、その子どもであるルルーシュやナナリーのこともずっと見守ってきた。 そもそもアーニャが青果店で働くことになったのは、海外転勤になった両親と共に行くよりも下町に残りたいとナナリーに話したことから始まった。そのとき偶々配達に来たジェレミアにナナリーが相談したところ、青果店で働かないか、ということになったのだ。 下町への思い入れを、ジェレミアは誰よりも厚く尊重してくれる。 住み込みとまではいかなかったが、三食とも同じ卓を囲み、一服をして、ゴットバルト家自慢のミカンを食す・・・まるで家族のような心強い同志に、これでもアーニャは感謝している。 「・・・・・・・・」 「ア・・アーニャ?」 だからアーニャは無言でお茶を啜った。 齧り付いた饅頭は、甘さ控えめなサラリとした漉し餡がとても美味しい。 「ルルーシュ、いた。ミカンありがとうって、伝言」 一服に癒された勢いで淡々と伝えると、しかしジェレミアの表情がパッと明るくなった。アーニャは饅頭の美味しさを記録しておこうと携帯電話のカメラで写真を撮っていたためにジェレミアの顔なんて見ていなかったのだが、それくらいは気配で察せる。 「ならば明日ルルーシュ様に、お望みとあらばいつでも、と伝え 『ジェレミアさーん! お会計ー!』 「ぬ・・・・はいはい、ただ今ー!!」 ジェレミアが興奮気味にアーニャの方へ身を乗り出したかと思いきや、タイミングよく客が来たらしい。店先でホウレン草を片手に声を張り上げる中年女性の姿を見止めてしまえば私用など後回しにするしかない青果店店主は、きりりと表情を改めて茶の間を後にする。 その背を見送ったアーニャは、再び携帯電話の液晶画面に視線を落としながらポツリと呟いた。 「・・・・・自分で云いにいけばいいのに・・・変なジェレミア・・」 |