下町の日々 R2・1





 それは結婚という方向で話がまとまった、翌朝のこと。


 今更ではあったけれど、ルルーシュは改めてナナリーにC.C.を紹介した。
 目の前で冷めていく朝餉に構うことなくナナリーはC.C.の両手を握りしめて「本当に本当によかったです」や「お兄さまをよろしくお願いします」などと繰り返したため、熱烈な歓迎ぶりにC.C.は苦笑し、兄離れの進行に拍車がかかりそうな空気にルルーシュは複雑そうな表情を浮かべた。
 それでも尽きることのない会話を交わしながら箸を取るうちに、自然と笑みは零れる。
 そして食事を終えたルルーシュが籠に盛られたミカンを手に取り、皮を剥き終えた、そのとき。

「あ、お兄さまからもジェレミアさんとアーニャさんにお礼を云ってくださいね」

 突然のナナリーの言葉に、ルルーシュはピタリと手の動きを止めた。

「・・・・・・ジェレミアと・・・アーニャ?」
「はい。お兄さまが結婚されるからって、たくさんミカンを頂いたんです」
「いや・・・まぁ・・それはいいんだが・・」

 おでんの要、大根の仕入れ先であるジェレミア青果店店主の実家が和歌山の大ミカン農園だということはルルーシュもよく知るところで、家にあるミカンはほぼ100%ジェレミアからのいただき物 だと決まっている。だから引っかかったのはお礼云々ではなくアーニャの名が挙がったことだったのだが、それに気を取られて、新たに投下された発言に混じる問題点を見過ごすルルーシュでもなかった。

「ん? ・・ちょっと待ってくれ、ナナリー・・・結婚って・・・何故それをジェレミアが・・?」

 紆余曲折の末に『結婚』という単語が出て、しかし案外あっさりと合意を交わしたのが昨夜遅くである。ナナリーに話したのでさえつい30分ほど前のことであるのに、ジェレミアが知っているはず がないと信じきっているルルーシュは慌てて言葉を重ねたのだが、ナナリーに「下町で知らない方はいらっしゃいませんよ?」と朗らかに返されてしまい、言葉を失った。       何故だ、と。そればかりが頭の中を駆け巡る。
 下町は、いろんな意味で恐ろしい。

「・・・ナナリー、俺がいない間になにか変わったことはあったかい?」

 くいくいと袖を引く催促に従い、一つずつ丁寧にスジを取ったミカンをC.C.に食べさせてやりながらルルーシュが訊くと、ナナリーはつるんとした白い頬に右手を添えて、思案顔を浮かべた。脳内では兄がいなくなってからの日々を順次再生しているのだろう。瞳は遠くを見つめている。

「えっと・・桐原さんが腰を痛めて入院されたので、老人会の会長がバトレーさんに代わりましたし・・・それから・・・シャーリーさんが美容室を継ぐために戻ってこられて、おばさま、とても喜んでました」

 はっきり云って老人会の会長が誰になろうと知ったことではないのだが、ナナリーが懸命に伝えてくれるためにルルーシュは黙って聴いていた。
 ちなみに、手は二つ目となるミカンの皮を剥いている。

「あ!去年の冬、扇先生のところに四人目の赤ちゃんが生まれたんですよ!ヴィレッタ先生にそっくりの、とても可愛い女の子さんです。春には朝比奈酒販さんのネコちゃんが五つ子を生んだので、一匹引き取ってほしいというお話があったのですけど・・・衛生のことを考えると諦めた方がいいって、ロロが・・・・・」

 興奮気味に頬を紅潮させていたかと思いきや、急速に萎んでしまったナナリー。少し可哀想な気もするが、こればかりはロロの云うとおりだった。ただし、飼えない代わりに足繁く朝比奈酒販へ通っているのだろう・・という兄の予想は、実際のところ当たっていたりする。
 ルルーシュが三回に一回の割合で自分の口にもミカンを運んでいると、ナナリーと眼が合った。
 ナナリーも食べたいのだろうかとミカンを差し出したが、首を横に振られたので、改めてC.C.の口元に運ぶ。そして無防備に開いた小さな口の、舌の上にミカンを乗せて       ・・・


「いいんです。私、お兄さまとお義姉さまの赤ちゃんの方が楽しみですから」


「っ、ぅぐ・・!」
「痛っ・・!!」
「まぁっ、大丈夫ですかっ!?」

 そのままミカンから指を放すつもりが逆に押し込んでしまい、驚いたC.C.が咄嗟に口を閉じてルルーシュの指を噛んでしまった・・という状況だ。勢いでミカンを丸呑みしてしまったC.C.は噎せ、苦しそうに身体を折っている。その背を叩いてやりながらも痛みに顔を歪めていたルルーシュは、指にくっきりと残った歯形を確認した。
 ・・・おそらく、見事な痣になるだろう。

「ばっ・・おま、え・・・っ、私を、殺す・・気かっ!?」
「・・・・・不可抗力だ。嫌ならミカンくらい自分で食べろ」
「ふんっ、謝罪すら・・っ・・ないとは、小さい男・・っ、んっ・・だな、ルルーシュ」
「お互い様だと思うがな・・・・・おい、無理して喋ろうとするなよ」
「っ・・だれが、無理などっ・・!」

「・・・・・・・・」

 しばらく呆然とふたりの遣り取りを見届けていたナナリーは、しかしルルーシュのシャツをきゅっと掴んで離さないC.C.と、その背を摩り続けるルルーシュの行動からふたりの本音を察して、にっこりと笑みを浮かべた。
 夜も仲睦まじいふたりのことだ、甥か姪を腕に抱く日もそう遠くないに違いない。
 三人でも五人でも、たとえ十人に増えても、立派に育てていこうとナナリーは誓いを立てる。

「叔母さん、頑張りますからね」


 可憐な姿とは不釣り合いなガッツポーズは、充分すぎるほど気合いに満ち溢れていた。




  第11期拍手 (4月1日〜4月7日)

  ほのぼの家族の朝ですよ編