下町の日々・8(後)





 腕組みをしながら襖に凭れているのは、紛れもなくこの部屋の主だった。
 いつからそこに居たのだろうか。物思いに耽るうちに手が止まっていて、ルルーシュはその間に現れたはずなのだが、襖を開ける音にも気配にも気付けなかったのは不覚だと、C.C.は内心で舌打ちをする。
 しかし当のルルーシュは特に気にした様子もなく、いつもの淡々とした表情で襖を閉めてしまうとC.C.からバスタオルを取り上げて、丁寧に水分を拭い始めた。「ったく、風邪をひくだろ・・」などと 小言が零れるのはお決まりのことで、今さらC.C.が返事をすることもない。
 頭皮に伝わる僅かな刺激に心地よさを感じながら、C.C.は苦笑に緩んだ瞳をそっと閉じた。

「ナナリーは?」
「・・・風呂だ。見ての通り、私が先にもらってしまったがな」
「そうか」

 しかし、“ ナナリー ” という言葉を聴いた瞬間、C.C.の鼓動が跳ねた。それはとても小さいもので、ルルーシュに悟られるような身体の連鎖反応は起きなかったけれど。
 それでも、動揺したという事実を自覚するには充分すぎた。
 同時に気付かされる。      もう少しだけ、この部屋にいたかったのだと。
 だけど・・・・・

「なぁ、ルルーシュ・・・早く・・ナナリーの誤解を解いてくれ」

 この問題は、ルルーシュの口からナナリーの名が出たときに切り出すのが最も自然だとC.C.は判断した。だから声を喉から押し出すことができたし、ルルーシュの反応を待たずに言葉を続けていく。
 瞼は伏せたまま、馴染んだ男の気配だけを感じて。

「さすがはお前の妹だよ。外見はふわふわと優しそうで、お前とは似ても似つかないくらい愛らしいというのに・・頑固というか、人の話を聴かないところはよく似ている」
「・・・C.C.?」
「ナナリーに何と言われたか分かるか? 『お義姉さま』 だぞ? お前、相当寂しい思いをさせていたんだな。この私を『義姉』 だなんて・・」
「C.C.・・」
「何度否定しても無駄だった。だから兄であるお前が責任をもってナナリーの思い込みを正してこい。ああ、客の中にも妙な勘違いをしている莫迦がいたから、そいつも適当に処分しておけよ?」
「C.C.」
「あのアパート、引き払ったのは失敗だったな。これ以上ナナリーに誤解を与えないためにも住込みは断念した方がよさそうだが・・・家財道具を一から揃えなおすのは面   
「C.C.!」

 面倒だ、と続けられるはずだった言葉は、ルルーシュによって阻まれてしまった。
 どこか苛立ちを含んだ声色。いつもであれば何とも思わないそれに、思わず声を失くす。
 落ちた沈黙は、重かった。
 耳に届くのは掛時計が刻む秒針の音と、互いの微かな呼吸音だけだ。だからこそC.C.の心に大きく波紋を投げかけたのかもしれない。なんだってお前はそう独りになろうとするんだ、と。呆れた ような溜息交じりの擦れ声が背後から聞こえた。

「っ、・・!」

 図星を指されたような、でも絶対に認めたくないような、矛盾だらけの感情が胸に満ちる。
 孤独     それは常にC.C.が置かれていた状況だ。
 さみしいと・・独りは嫌だと強く思いながらも、どうせまたすぐに独りにされる・・そんな怯えがいつだって無意識の根底にあった。だから自己防衛のために他人と距離を置く。人間関係を深めるの も苦手、深められるのも苦手。そんな悪循環からどうしても抜け出せなくて、それこそルルーシュと出逢うまではずっとずっと独りだった。
 人というのは、何度同じ苦しみを繰り返し味わえば学習するのだろうか。
 今だって、C.C.の方から隔たりを作ろうとした。ズキズキと心は痛んでいるのに、後に来る痛みの大きさに恐れをなして、ルルーシュの前から逃げようとした。それを当の本人に悟られていたとは考えもせずに。
 ルルーシュと居るとは思えないような気まずい空気に耐えかねて、C.C.は次第に俯いていった。自然と背も丸まる。やわらかいタオルの間からサラサラと髪が零れて、細い肩に舞い落ちた。

 それから規則正しい秒針の音をどれだけ重ねただろうか。
 軽い溜息がC.C.の耳に届いた次の瞬間、ふいに背後から両腕が伸びてきて、C.C.を包み込んだ。
 ワイシャツを一枚羽織っただけのC.C.の身体は冷える一方だったため、覆い被さるように密着してきた相手の体温がじわりと肌に浸透していく。


「結婚、してやるよ・・・お前と」


 外気に晒されていた白い首筋を擽ったのは、尊大な物言いであるのに白旗を掲げているような声色だった。
 滅多なことでは動じないC.C.の鼓動がまた大きく乱れる。思わず身じろぎをしていたけれど、肩をぐるりと抱きしめるルルーシュの腕が力を増した所為で動きは封じられてしまった。

「けっ・・こん・・・って・・・・・・ルルーシュ・・」
「・・・形に拘るつもりは毛頭ないが・・」

 こうでもしないとお前、絶対に逃げるだろ?と、ルルーシュはC.C.の首筋に顔を埋めたまま続ける。

「好きだとか、愛してるとか、そういう感情をお前に抱いているかは・・実のところよく分からない。だがお前と出逢ったことで世界征服への決意が固まったことも、お前がもっと笑って生きていける 世界に変えてやりたいと今でも思っていることも、変えようのない事実だ。だから・・・・・」

 ナナリーとの約束の間で盛大に揺れた夜、C.C.の寝顔を見つめながらルルーシュは決めたのだ。C.C.も実家のおでん屋に連れて行こう、と。
 世界征服は計画より大幅に遅れるだろうし、劇的に世界を変える力は得られないかもしれない。だが、おでん屋暮らしをしていてもナナリーとC.C.のふたりを護ることくらいはきっとできる。そして 少しずつでもC.C.の笑顔を増やすことができればいい・・そんなふうに考えていた。
 C.C.が隣にいない明日を想像することができないくらいには、彼女の存在が大きくなっていたから。
 だからあの夜、『結婚』という言葉を意識しなかったわけではない。あんな誘い方をすればプロポーズだと思われても不思議はなかった。むしろ予想していた23通りの反応の中で一番可能性が 低いと思われた反応を返されたものだから、誘ったルルーシュの方が困惑したのだ。それでも関係性を表す体面的な言葉に重きを置く気などルルーシュにはさらさらなかったから、結果としてすべてが有耶無耶なまま今日まで来てしまったのかもしれない。
 しかし・・・・・


        一生俺のそばに居ろ、と。

 静かだけれどルルーシュらしい、はっきりとした声がC.C.に届いた。
 それに促されたC.C.がルルーシュの方へと恐る恐る顔を向けると、紫の瞳とぶつかった。唇はいまだにC.C.の首筋に当たっているが、瞳はまっすぐにC.C.を見つめている。しかしそこに浮かぶ 感情は『不本意』だと、C.C.は直感した。
 それがあまりにもルルーシュらしくて、小さく笑みが零れる。
 C.C.の唇が弧を描いた瞬間、ルルーシュの眉間は爆発的に皺を刻んだ。たったそれだけのことなのに、むしろ不快感を覚えてもおかしくない場面であるのに、C.C.は嬉しさを感じた。
 その皺を引き出したのが、C.C.だから。
 相互作用。当り前のようにルルーシュのそばに居て、会話をして、反応し合う。たったそれだけのことが、C.C.にとっては奇跡のように特別なことだった。その、数年前に夢から現実となった奇 跡がこれからもずっと続くのだ、嬉しく思わないはずがない。だからC.C.はルルーシュの瞳を見つめたまま、素気なく答えた。「仕方がないから、ナナリーの義姉になってやるよ」、と。
 ルルーシュは明らかに不服そうな貌で口を開きかけたけれど、先までの己の物言いを思い返したのだろう。結局何もいわないまま口を閉ざしてしまった。
 だが、C.C.を拘束していた腕と空気はゆるりと緩む。しばらく見つめあって、それから後頭部に添えられた掌の引導に身を任せたC.C.は、ルルーシュと唇を重ねた。首に負荷がかかる体勢に 不満を訴えれば、ゆっくりと押し倒される。C.C.の身体を受け止めたのは、ナナリーが干してくれた暖かな布団だ。心までふわりと暖められるような心地にC.C.が淡く微笑むと、彼女を見下ろすル ルーシュも目を細めて、そっと左手の指を絡めてきた。
 ふたりの距離が再び縮まる。そして、再び唇が重なる        ・・・・・


「すみません、お義姉さま。私、ドライヤーを渡し忘     ・・」


       寸前に現れた突然の来訪者に、ふたりは凍りついた。
 一方のナナリーはしばし呆然としていたが、見るも鮮やかに頬を染めつつ、しかし落ち着いた態度で襖を封印する。「お邪魔しました」と、満面の笑顔を残して。
 そして・・・

「待つんだナナリーっ、これは誤かぃいっっ・・!!?」

 べちり、と。聞くからに痛そうな音が室内に響き渡った。
 C.C.の張手がルルーシュの顔面に決まった音である。
 いまだにC.C.の掌を顔に張り付けたまま、細い指の間からルルーシュがC.C.へ非難めいた視線を落とすと、それ以上に軽蔑するような眼でC.C.がルルーシュを睨めつけていた。そこでルルー シュはようやく己の非を悟ったようで、「誤解・・・でもないのか・・」などと真顔で呟くものだから、怒気を削がれたC.C.は呆れたようにルルーシュを見上げた。
 押しつけていた手を剥がす。赤くなった鼻の頭に不憫を感じないこともないが、これもすべて自業自得だとC.C.が冷やかに思い直していると、ルルーシュが空いていた方の手指も絡めてきたも のだから、本格的にルルーシュの下から逃げられなくなった。
 じっと瞳を覗きこまれて、無言のまま言葉を交わす。貌に表情がないことが不思議なくらい、熱を秘めた瞳だ。だからC.C.はルルーシュを赦すしかなかった。

「・・・同じ轍は踏まない」

 そんな、フォローになっていないようなフォローしかできない男なのだから、仕方がない。
 C.C.はこれからの生活に一抹の不安を感じたけれど、よく考えてみたら今までとそう変わらないことに気が付いた。
 ルルーシュのそばに在る、未来。
 それはささやかかもしれないが、確実に幸せを感じることができる未来だから      ・・・


 絶対に離してやらないから覚悟しろよ、と、耳許で囁かれた言葉に小さく頷いて。
 再び口付けを落とし始めたルルーシュを受け止めるために、C.C.はそっと瞼を伏せた。



fin.

  第8期拍手 (12月26日〜12月30日)

  ルルシーエンドにて終了です。
  お付き合いありがとうございました!