過去の遺産・前 鬱蒼と茂る森と廃れた町との間に、その館はあった。 生い茂る蔦に覆われた館は相当に古びた様相を呈している。 合間に覗く外壁は白だったのだろうが、茂っては枯れ落ち、茂っては枯れ落ち・・を繰り返す蔦と雨風の所為で、今ではすっかり味のある色味へと変貌を遂げている。 土埃が入り込んでいるためか、まるきり形が浮き彫りになっているヒビが散見するのも年月を感じさせる要因のひとつだろう。 数百年前に建てられた、地方貴族の小さな館。 しかしこの日、館のベルを鳴らしたのは野菜売りの老婆ではなかった。 シニョンに結い上げられた髪は美しい黒髪であり、白髪など1本も見当たらない。黒縁の眼鏡が 奥にある琥珀色の瞳を霞ませているが、小さな顔の神秘的な美しさを隠すには役不足であった。 すっきりと伸ばされた背筋は細身のスーツをよく引き立てている。ただ、片手に携えた薄いアタッシェケースだけが無骨さを醸し出していた。 「クリスティーヌ・キャンベル様でございますね。お待ちしておりました。どうぞ」 キャンベルと名乗った来訪者は、出迎えた女中の案内で館の中に足を踏み入れた。 外観は古いが、中に入ってしまえば気になるものではない。 内装もそれなりに古いものの、蝋燭の代わりに用いられている電灯や管理の行き届いた空調な ど、近代化の恩恵を少なからず受けているようであるし、床一面を覆うフカフカとした絨毯は家主の居住歴を如実に表している。 さりげなくセキュリティシステムの水準までチェックしながら廊下を進んでいた客人は、「こちらで お待ちくださいませ」と言葉を添えて一室の扉を開けた女中に従って、何の気なしにその部屋へ入った。 次の瞬間、息を呑む。 調度品はどれも懐古的なものばかりである。その価値は相当なものだが、しかし息を呑んだのには別の理由があった。 ドアをくぐって左手奥の壁に掛けられた大きな額縁。一瞬写真かと思わせる緻密な油絵は、個人宅には不釣り合いなほど巨大な肖像画である。しかも、よりによって 白い皇帝衣に身を包み、悠然と立つその姿は非常に歳若い。しかし相手を威圧する高慢な微笑みは支配者の風格がある。 もう二度と見ることはないと思っていた姿に、来訪者はただ肖像画を見上げるしかない。 こんなものを描かせた覚えはないがと人知れず記憶を探っていると、背後から唐突に声がした。 「美しいでしょう。弱冠18歳で大帝国の支配者となられた皇帝ルルーシュの肖像画ですよ」 振り返ると、男が恍惚とした表情で肖像画を見上げていた。 歳は30を少し過ぎた頃だろうか。首の中ほどまで伸ばした金髪は緩くウェーブが掛かっており、 整った顔の中でも印象的な瞳はコバルトブルー。身長は来訪者とそう変わらず、しかし均整のとれた身体つきをしている。モデルやその辺りの職でも食べていけそうな青年は、とても学者には見えない。 「はじめまして、ミス・キャンベル。レオン・ラロッシュです」 「お会いできて光栄です、ミスター」 客人が手を差し出すと、男は迷いなく手の甲に唇を落とす仕草をした。かつてのブリタニア貴族の習慣だ。帝国が解体されて一世紀以上経つ今、こんな挨拶は文献の中でしか見ない。 歴史家ゆえか、それともただの馬鹿なのか。 来訪者は作った笑みを顔に張り付け、勧められたソファーに腰を下ろした。 深い緋色の壁紙と同色の、布張りのソファーの座り心地は申し分ない。 「貴女もあの肖像画の素晴らしさがお解かりになりますか」 前のローテーブルにティーセットが並べられていくのを無言で眺めていた来訪者は、男の言葉に目線を上げた。 男はひどく満足そうに例の肖像画を眺めている。 来訪者は思案した。美術的な視点で見れば、まぁ酷評を受けることはないだろうが、如何せん描かれた人物が悪すぎる。何を思ってあんな画をこんな場所に飾っているのか理解に苦しみながら も、客人という立場から口元に微笑を浮かべた。 「めずらしいとは思います。悪逆皇帝の肖像画は初めて拝見しました」 「当然ですよ。この私が画家に描かせたのですから」 「さすがは後期ブリタニア帝国の研究家でいらっしゃいますね」 「ええ、専門は末期ブリタニア帝国 細められたコバルトブルーの瞳は自信に満ちている。 同時に、語っていた。だから貴女は来たのだろう、と。それを躱すように来訪者が優雅な所作でティーカップに手を伸ばすと、男は手元のベルを鳴らした。 響いたのは涼やかな音。今どき本物のベルで飛び出すとは時代錯誤もいいところだが、女中はすぐに現れた。 「例の物を」 「畏まりました」 一礼して退室した女中はワゴンを押してすぐに戻ってきた。 その上に乗せられた一枚の絵画 キャンバスの大きさは悪逆皇帝の肖像画の8分の1もない。パッと見て名画と解るようなものでもなく、歴史に名を馳せた巨匠の作でもなく、ひとつの家族を描いた、ありふれた肖像画である。 ただし、これを描いた人物も描かれた人物も無名ではなかった。 描いたのは神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニア。そして描かれているのは 「ヴィ母子の肖像画・・・貴女の依頼主が欲しがっている画はこちらでお間違いありませんか」 椅子に掛けた女性を中心に、手を繋いで母に寄り掛かる少女と、澄まし貌で姿勢よく立つ少年が描かれている油絵。人物の背後に見えるのはかつて帝国に在った離宮の庭園である。 実物を目にするのは初めてであったが、覚えのあるタッチとよく知った顔に、来訪者は「ええ、確かに」と答えた。 それに対し、男は深い溜息を吐く。 「しかし、先日も申し上げた通り、どれだけ金を積まれてもこれを売るつもりはありません」 「この画が研究の資料になりますでしょうか」 「直接の資料にならなくてもよいのですよ。これは異母兄から見たルルーシュが描かれていることに価値があるのですから」 「・・・・なるほど」 来訪者はゆっくりと頷き、それから男を見遣る。 すべてを見透かすような琥珀色の瞳は、対峙する相手をひどく落ち着かない気持ちにさせる。それすら計算のうちなのか、男が口を開く直前になって来訪者は傍らのアタッシェケースに視線を落とした。 「そのように伺っておりましたので、代わりにこちらを預かってまいりました」 どうぞご覧ください、と来訪者が差し出したケースの中には、さらに金属製の箱が入っていた。厳重なロックを外して蓋を開ければ、入っていたのはガラス製の額縁だ。しかし納められているのは絵画ではない。 「これは・・・」 「ええ。ブリタニア皇歴2018年、時の皇帝ルルーシュが歴代皇帝陵墓の破壊を命じた詔書です」 「 皇歴2018年、帝都ペンドラゴンにフレイヤが投下された際、神聖ブリタニア帝国の遺物遺構は そのほとんどが消失した。皇帝ルルーシュがペンドラゴン皇宮にて政務を行っていた頃に出された詔書も同様である。さらに皇帝の崩御後、暫定皇宮に乗り込んだ民衆によって遺品はすべて 焼き払われており、悪逆皇帝所縁の品が新たに発見されることはないだろうとまで云われている。 皇帝ルルーシュの直筆サインが入った、現存する書面はただ一点。 超合集国連合本部が保管する、黒の騎士団CEOおよび第2代最高評議会議長就任の書状のみである。 しかし、幻とまで云われた詔書が今、目の前にあるのだ。男はひどく興奮した。 偽物を作り高額で売り捌こうとする不届き者は過去にも居た。しかし公開されてもいない署名を真似することなど不可能であり、ことごとく偽物と看破されてきた。それがどうしたことか、流麗な 筆致といい整った字体といい心地よい筆圧といい、眼前にある詔書のサインは本物にしか見えないのである。研究のために特例で書状の画像取り込みを許され、その美しい署名を一日何時間と 眺めていられる男が本物だと確信するほどに、それは完璧だった。 「氏が用意できる唯一の品とのことです。価値が釣り合わなければ差額分は金銭でお支払するしかないと仰っておりましたが」 「とんでもない!! この歴史的な価値は計り知れませんよ!」 人々の記憶やマスメディアの記録にしか残っていなかった、“皇帝ルルーシュが歴代皇帝陵墓の破壊を命じた”という事実そのものが証明できることに大きな意味があるのだ。 これは世紀の大発見になるだろう。 歴史家である男にとっても、この発見は歓び以外の何物でもない。 「貴女の依頼主はどちらでこれを・・?」 「それは伺っておりません。ですが、古くから所有されていた話ぶりでした。同じような品が世に出ることはもうないでしょう」 「そうでしょう・・・・・そうでしょうとも!」 興奮を隠せない男の熱が治まるまで、来訪者はただ沈黙して待った。 感情を読ませない貌は、交渉人としては理想的だ。 男が詔書を隅々まで眺め、この革新的な考え方が今のブリタニアの礎となったのだだの、この言葉はどうのこうのと一人で薀蓄を語り続け、ようやく憑き物が落ちたように凪いだ瞳で顔を上げ たとき、来訪者は交渉を再開した。 「では、代わりにこちらの画をお譲りいただいてもよろしいでしょうか?」 「学者として、詔書を選ばないわけにはいきませんよ。しかし、先方はよろしいのですか。金に置き換えて価値を測るのは好みませんが、詔書と画では明らかに価格が釣り合わない」 「構いません。ミスターのように熱心な方だからこそ、氏はこの詔書をお出しになったのです」 真理を追い求める者、己が研究に誇りを持つ者、すなわち真の学者ならば、この詔書を元に他の詔書を捏造したりはしない、と。そう見込まれてのことであったと暗に示唆されて男は苦笑する。 郵送ではなく来訪者自身で画を持ち帰ると云われたときにはさすがに驚いた貌を見せたものの、男は女中を呼んで箱詰め作業に取り掛かるよう指示した。 別の女中が淹れ直した紅茶を飲みながら待つ。 来訪者は、ふと、男がじっと見つめていることに気が付いた。正確には、その琥珀色の双眸を。 「何か?」 「いえ、・・・ミス・キャンベルはご存じですか? 皇妃を一人も迎えなかった皇帝ルルーシュにも、たった一人だけ寵姫がいたとする説を」 「俗に云う『傾国』説ですね」 「そうです。もっとも私の見解では、彼女は皇帝ルルーシュの良き理解者なのですが」 「・・・それが、何か?」 「一説によると、彼女は琥珀色の瞳をした、とても美しい女性だったそうですよ」 そう明言されたわけではないが、確かに含みがあった。 来訪者は気を悪くした様子を見せるでもなく、しかしまったくの無表情で男を見据える。 「まさか、私がその女性とでも?」 「ははっ、それこそ“まさか”ですよ。彼女は一世紀以上前の人だ。・・・・・しかし彼女がゼロの手を逃れ、どこかで皇帝ルルーシュの子を産んでいる可能性はある。貴女にその血が流れていれば、 その美しさも瞳の色も、あの画を欲した理由も理解できるのですがね」 「残念ながら私はそのような血統ではありませんし、あの画を欲しているのは私の依頼主です」 淡々と答える来訪者には動揺の影すらない。 男は「失礼」と再び苦笑を浮かべ、それから口を開きかけたが、肖像画の準備ができたとの女中の報告に結局口を噤んだ。 丁寧に梱包された箱を片手に、来訪者は玄関口で差し出された男の手を取った。 別れにも挨拶は付き物である。 しかし握手するでも手の甲に口づけするでもなく、男は来訪者の手を両手で握り締める。肌触りを味わうようにゆっくりと撫でられて咄嗟に手を引き抜こうとしたが、男の力は存外強かった。 「またお会いできますでしょうか」 「仕事の依頼がありましたら、そのときに」 「つれない御方だ」 ようやく自由を取り戻した左手で箱を抱え直し、来訪者は無感動に男を見る。 額縁まで含めると結構な重さになる画を、舗装の関係で隣町に停めてある車まで徒歩で運ぶと話したその人は、この日初めて柔和に眼を細めた。 「私には将来を約束した相手がいますから」
『過去の遺産・前』 2013/10/30 修正して再up |