胡蝶の夢 ひどくあっさりとした調子で、女は別れの口上を述べた。 町娘らしい簡素な服に身を包み、髪はゆるく束ねて。 手荷物は小さなトランクのみ。 女のくせに身軽なものだと、つくづく思う。 「・・・・元気で」 「フッ・・誰に云っている?」 不老不死の女がこれからも息災でやっていくことは分かっている。 それでも云わずにはいられなかった男心というものを、人のことを疎いだの鈍感だのと散々小馬鹿にしてくれたこの女は、まったく理解していない。 少し・・・ほんの少しだけ哀しさを滲ませて微笑む女を腕の中に閉じ込めて、お前が必要だと伝えることができたら・・・ そんなことを考えはしても、去り往く細い背を未練がましく見送ることしかできない。 腕も足も、まったく動かないのだ。 最後まで涼やかだった女の声が、頭の中で際限なく響いている。 『じゃあな、 「 感情を読ませない声色と肩に置かれた手の重みにハッと目を覚ましたルルーシュは、一瞬、自分がどこにいるのか本気で分からなかった。 心臓はバクバクと激しい鼓動を刻む。 ワイシャツを一枚纏っただけの女の胴体が視界の7割を塞いでいるが、周囲の様子からクラブハウスの自室だと悟った。ルルーシュが腰掛けているのはソファーで、俄かには信じられないことだ が、いつのまにか転寝をしていたらしい 白い掌に収まった、ルルーシュの携帯電話。忙しなくブルブルと震えて、電話が掛かっていることを伝えている。 「うるさい。なんとかしろ」 そんな横柄な催促の言葉にではなく、着信中である事実にこそ慌てて、ルルーシュは奪うように携帯電話を取り戻した。しかし、さっさと踵を返してベッドに戻ろうとするC.C.に気を取られて、今 まさに手の中で鳴っている電話のことが頭から抜け落ちる。 反射的に手を伸ばしていた。 サイズが合っていないワイシャツの長い袖に隠れた手首を掴もうとして、しかしあと少しのところで空を切る。遠ざかる女の後姿と何も掴めなかった手を視界に収め、自分が無意識に何をしよう としたのか顧みて、そこで初めてルルーシュは我に返った。 一度鎮まりかけた鼓動が、再び大きく乱れる。 そうこうしているうちに着信は途切れ、部屋は静寂に包まれた。 (何だったんだ・・・・今のは・・) 自分自身に限っては、思考が行動を制御していると、ルルーシュはそう自負している。・・・それなのに、今の行動は一体どういうことだろうか。 少し俯いたまま、ルルーシュは前髪をくしゃりと掻き上げる。 (・・・それに、あの夢は・・?) 知らない土地だった。それから、民族衣装のような服を着たC.C.と、その旅立ちを見送る男。 ルルーシュは男の視点で夢を見ていたが、男は『ルルーシュ』ではなかった。姿を確認したわけでも、名を呼ばれたわけでもないが、あれは自分ではなかったとルルーシュは断言できる。 不可解な夢。 夢に現実性を求めるつもりはないが、それでも胃の奥に奇妙な違和感を生じさせるような夢だった。 本当に単なる夢か。 まさか予知夢のようなもので、C.C.との別れを暗示しているのか。 それとも、 (フンッ・・バカバカしい) ナリタでC.C.の過去の一部を垣間見てしまったことは記憶に新しいが、もし仮に何らかの作用でC.C.の記憶が仮眠中のルルーシュに流れ込んでしまったとして、どうして第三者の視点でもC.C. の視点でもなく、女を見送る男の視点で記憶を追わなくてはならないというのか。 ありえない。 男がC.C.にどんな想いを抱いていたのかなんて、深層の気持ちなど、C.C.は知り得ないのだから。 (所詮は夢・・・気に掛けるほどのことでもない) 緩慢な動作で着信履歴を確認すると、先ほどの電話は扇からだった。 定時連絡。C.C.に気を取られて電話に出そびれるなど、不愉快以外の何物でもない。 軽く舌打ちをしたルルーシュは、それでも仕方なく腰を上げた。 普段はまったくと云っていいほど気にならないというのに、今だけは、同じ空間にC.C.がいる状況で電話のみに集中する自信がない。 「 ベッドの脇を通り過ぎる際に掛けた言葉は今更すぎて不自然極まりなかったが、念には念を押すのがルルーシュのやり方だ。ベッドの上から不思議そうに眺めてくる女の視線を感じたが、覚悟 していた追求の声は掛からなかった。 その代わり、遠慮を知らない要求の声が掛かる。 「泳ぎたい。プールでいいから連れていけ」 「ッ、・・・・・・・・・・・おとなしく待ってろ」 云い捨てて、部屋から出た。 背後で完全に扉が閉まれば、室内灯の明るさに慣れた目は廊下の薄暗さについてこれず、ルルーシュはその場に立ち尽くす。 所詮は夢だと割り切ろうとしても、何故か脳裏に引っかかる残像。 ぎゅっと掴まれるような痛みを訴える胸。 あの夢がC.C.に対して抱いている欲求の顕れなのだとしたら、契約関係など即刻解消すべきだと危機感さえ覚える。・・・が、とりあえずは脳内に飼っている批評家の自分に観察と判断を託すと ころから始めるべきだろうか。 検証期間のあとに待ち受けているものが問題の未検知か、己への失望か、今の段階では分からないけれど (・・・くだらないことに気を回している場合じゃないというのに・・っ) 喜ばしい結末が待ち受けていることだけは決してないと、嫌でも分かっている。 こんなことを検証しなければいけないこと自体がすでに、よくない傾向の顕れなのだから。 ギリリッと奥歯を噛み締めたルルーシュは、携帯電話を片手に、ようやく慣れ始めた薄闇の廊下を無言で突き進んでいった。
『胡蝶の夢』 2010/ 8/ 7 修正して再up 2014/ 4/24 微修正 |