あの世6丁目まで散歩


 ラグナレクの接続によって、果たして本当に死者との交流が実現するのだろうか     


 答えは否、だろう。
 これまで地上に生きた人の数は、仮に有史以前のものを含めたとしても星の数の足元に及ばないわけだが、とある人物AをAだと判断するのに充分な要素・・・例えば人格・記憶・思考など、個々 人を構成するデータをすべての人間分保存している・・・いや、これからも無限に保存し続けるだけの容量が集合無意識に備わっているとは到底考えられない。
 そして、もし保存が可能であったとしてもラグナレクの接続によって個が消失した時点で、とある人物AがAだからこそ抱く “とある人物Bに逢いたい” 願望すらAのものではなくなるのだから、や はり死者と交流できるとは思えないのだ。

 ・・・もっともこれは憶測の域を出ないのであって、嚮団による研究や実験・調査のデータも論理展開もまったく把握してないのだから、絶対的な確証があるわけではない。そもそもラグナレクの 接続の実現自体には何の興味もないが、暇を持て余すことも多い不老不死生活の中で取留めもなく考えてみたことである。
 どうしても答えを手にしたいわけでもなく、答えが解ったところで何が変わるというわけでもない。
 しかし一度喚起された疑問についてあれこれ考える時間は意外と有意義で、だからそれをもう少し実のあるものにしてみるのも一興だと、背中合わせの女に問いかけてみたのであるが・・・



「・・・お前、本当に私が知っているとでも思ったのか?」

 返ってきたのは、迷惑そうな声色に彩られた一言だった。
 仮にも元賛同者だろう・・と思わず呆れてしまったが、計画の中身に拘らないところはC.C.らしいと云えばC.C.らしい        そんなことを考えていたら、ぐいと背を押された。
 感じるのはぬくもりと、確かな重み。

「今となっては興味もないさ、ラグナレクの接続なんて・・」

 もう独りじゃないからな。      そう続けられて、ハッとした。
 C.C.がC.C.という仮初の名で歩んできた時間は即ち、心に巣食う孤独の歴史でもある。
 長年望み続けた形とは違えど、逃れることのできない苦しみの日々から解放された歓びはどれほどのものか        想像できるようで、しかしそれは実際に味わった者にしか分からないだろう。
 だから重心を後ろに移動させて、負けじと背を押し返した。
 背中合わせのままでは貌も確認できないが、存在はこれ以上ないくらい強く感じている。
 コードについて調べたり、世界情勢を秘かに探ったり、取留めのないことを考えたりして過ごすのもいいが、今もこうして傍にいる存在を構って過ごす一日というのも案外悪くないかもしれない。

「そうか・・・寂しくないのは結構なことだ」

 思わずクスリと笑みが零れる。
 この反応と言葉に絶対黙っているはずがない女の出方を窺いながら、永久に答えの見つからない疑問に再び意識を向けないよう、ルルーシュは思考の入口にしっかりと鍵を掛けた。






『あの世6丁目まで散歩』

いま、ここにいる相手のほうが大切


2010/ 3/ 9 加筆修正して再up