夜伽草子・17


 夜の帳はすっかり下りてしまった。
 しかし、政務に区切りをつけ部屋へ向かうルルーシュの足取りは遅い。
 食糧給付政策に取り掛かったため、政策担当筆頭となるC.C.は別部署で指揮を執ることとなり、午前の市井動向報告の場には姿を見せなかった。よってC.C.の顔を見たのは朝以来。会話に 至っては昨夜以来だから、非常に気まずかった。
 怒鳴り散らして、暴れて、やわらかい身体に縋って      いくら理性を失っていたとはいえ、思い返すだけで羞恥に負けて死ねそうだ。
 ・・・いや、違う。C.C.がルルーシュをどう思ったか、それが一番の気掛かりだった。
 しかしどれだけ歩調が遅くても政務室からの距離が延びるはずもなく、部屋の前に着いてしまう。もう見張りなど居ない。扉が重く閉ざされているように見えるのはルルーシュがそう感じている からであって、実際はいつもと変わらないのだろう。むしろ異常に緊張している自分がおかしいのだと、自身へ不信感が湧いた途端にルルーシュの頭は急速に冷えた。
 扉を静かに押し開ける。
 中はいつものように薄暗い。
 しかし書架と並べて壁に寄せられたロールトップデスク上のランプが煌々と火を点し、ペンを走らせる女のシルエットを浮かび上がらせていた。
 デスク上には複数の書籍や資料と思しき紙束が積み上がっている。
 国民に圧倒的な支持を得ている立場に胡坐をかいて、深く計算せずに給付を開始するだとか、優秀なブレーンたちに小難しいことはすべて任せて政策の顔にだけなるだとか、そういうつもりは ないらしい。作業の詳細は不明だが、たとえメモを残すだけにしてもせめてパソコンを使えばいいものを、とルルーシュがなかば呆れながら扉を閉めると、C.C.が振り返った。

「おかえり、ルルーシュ」
「・・・ああ」

 C.C.の態度はいつもと変わらなかった。もうこんな時間か、と呟いたかと思えば、徐に片付けを始める。適当に重ねたように見える複数枚の紙と無造作に転がされた羽ペンが気になったが、ルルーシュは見て見ぬフリをした。
 そんなことより、確認したいことがあるのだ。
 席を立ち、ランプに手を伸ばしたC.C.へ呼びかける。
 無言で振り返った女は光を抱き、炎が揺らめくたびに女の影も大きく歪んだ。
 ルルーシュは外套を脱ぎながら部屋の奥へと歩を進める。

「昨日、俺が寝てからスザクは来たか?」
「来たぞ。私の力ではお前をどうすることもできなかったからな、ついでに退かしてもらった」
「アリエスへ向かうよう命じたのもお前か?」
       あの男は端からそのつもりだった」
「そうか」

 つまり、命令は下したということだ。
 スザクは命令がなければ動かない愚鈍な兵とは違うが、実直な性格のため嘘は好まない。ましてや気心の知れたロイドに嘘を吐く必要などないから、アリエス行きを『ルルーシュの命令』だと云 い残して行ったというのが引っ掛かっていたのだ。初めはロイドが気を利かせたのかと考えたが、昨夜あの部屋にはもうひとり、権限の有無はともかく、平然と命令を下しそうな人物がいた。
 やはりC.C.だったのかと納得する一方で、C.C.の上で寝てしまった姿をスザクに見られたのかと思うと舌打ちしたい気分になる。
 ・・・いや、C.C.が移動させたにしてはベッドがあまり乱れていなかったから、そうではないかと推測していたのだが。しかし推測が事実となれば、また別の気恥ずかしさを感じるもので。
 あれは薬を盛られたから不可抗力だったのだと、その直前の行為は棚に上げ、誰が聞いているわけでもないのに心の中で言い訳をした。

「・・・お前は行かなかったのだな」

 C.C.のそれは、事実の確認でしかなかった。ルルーシュが留まったことを褒めるでも、怒るでも、喜ぶでも、呆れるでもない、淡々とした声色。
 表情も同様だった。金色に輝く瞳はどこまでも凪いでいる。
         それなのに、どこか哀しそうに見えるのはどうしてだろうか。

「スザクに一任したからな。戦闘に巻き込まれたとしてもアイツなら問題ない」

 通信が妨害されている場合、一番確実なのは人の行き来による連絡である。原始的なことこの上ないが、こうなってしまったからには手段に拘る理由などない。そして情報量とその信憑性はと もかく、生きて戻ってくることに関してスザクほど信頼できる者はいないのだ。帝国の白き死神の名は伊達ではない。もどかしさを感じるのは、それとは別次元の話だ。
 背負った重責は投げ出せない。
 冷静で、理性的であろうとすればするほど。

「だから・・・お前には、その‥感謝している。・・・・・・止めてくれて」

 ルルーシュの心は軋んだ悲鳴を上げている。
 引き裂かれそうな痛みというモノを初めて知った。
 留まったことが正しい選択だったのか、正直なところ自信が持てない。それでも蜃気楼に飛び乗りたい衝動を抑えていられるのは、従者が挙げた下らない理由に納得したからではなく、C.C.の存在があったからだ。
 今でも瞼を閉じれば、両腕を広げて立ちはだかった女の、泣き出しそうな貌が蘇る。
 ルルーシュは女を見据えて、はっきりと告げた。


           ありがとう」


 その言葉の最後に乗せた、人間らしい名前。
 女は顔色ひとつ変えなかった。じっとルルーシュを見つめる瞳さえも揺るがない。しかしそれ故にルルーシュは確信を得た。
 彼女とあの少女の、真の関係性を。

「何故そんな貌をする?」
「・・・・C.C.だ。間違えるな」
「いいや、お前の名前だろう? 第一王女の」

 ルルーシュがこの名前を知ったのはC.C.に初めて会ったあの夜だ。
 C.C.たる女が何者なのか調べる中で見つけた筆耕室奥の隠し部屋で、王室の詳細な系譜も見つけた。
 亡き国王と王妃の間には娘がひとり。その名前には朱で斜線が引かれていたが、系譜には同じように斜線を施された女性の名前が連なっていたので、これが歴代C.C.を務めた者たちなのだろうと予想はついた。
 だから、不思議に思ったのだ。

「お前の中で眠っているあの子が何故名前を持たないのか、疑問に思っていた」

 禊に立ち会った夜、名前を尋ねたルルーシュに対して少女は名前がないと答えた。しかしいくら他人の魂と身体を共有しているとはいえ、王女が自分の名前を忘れるとは考えられない。まして 少女は自らをC.C.とも称さなかった。身も心も完全にC.C.として生きているのであれば、C.C.と名乗ってもよいはずであるのに。
 それらの事実から見えてくることは       ・・

「あの子が神の愛娘だとすれば、すべて説明がつく」

 作り話のような昔話に登場した神の愛娘      “生きるモノすべてから愛された娘”は、第一印象から云ってもC.C.よりあの少女の方が合っている。
 そして少女は自らのことを『仕える者』『国民が幸福であるよう尽くすために存在する』と語った。嘘偽りなく、本当のことだろう。国を治める者として手本とするべき姿勢は、しかし神の愛娘の本質そのものである。
 そして何より、いくら国民のためとはいえ、親族を皆殺しにされ国も自由も奪われた王女が、侵略者の総元締に対してご主人様などという単語を使うだろうか。
 ルルーシュの感性では『否』だ。

「だから何だ? そんな根拠もない憶測、通るとでも   
「お前が王女だと判断した理由もある」
「・・・何?」

 C.C.の訝しげな眼差しを受け止めながら、ルルーシュは考える。
 一体何がこの女をこんなにも頑なに縛っているのだろうか、と。


「泣いたのは、お前だったから」


        黄昏が迫る、モルテグ塔の前で。
 あの場ではルルーシュも少女が泣いたのだとばかり思っていた。しかしあの後のC.C.の様子が頭から離れなくて、幾度も思い返しているうちにふと気になったのだ。少女は何故あのときC.C.と 入れ替わろうと思ったのだろうか、と。
 泣き顔を見られることに抵抗や羞恥を感じるような子ではないはずなのに。
 では、何故      そう思って記憶を丹念に探ると、顎の下や首に女の前髪が当たって擽ったかったことを思い出した。そのすぐ下の、まあるい額の硬さを感じたことも。

「俺にぶつかった時点で入れ替わっていただろ、お前たち」

 その事実と涙の理由を考えたら、C.C.と名乗った女が第一王女である可能性に思い至った。
 実際、そうであった方がしっくりくる事は多かった。
 少女の幼さと身体とが釣り合わない理由も。C.C.がモルテグ塔のある西の壁に向かっていた理由も。それから、少女がモルテグ塔に出向いたのは、自分からは決して行かない王女を強制的に 連れて行くためだったのではないか、とか。

「・・・・フンッ。そこまで解っていながら黙っていたのか」
「お前の正体が何だろうと俺には関係ないからな。ただ‥」

 椅子を振り上げたルルーシュを制止した女の、今にも泣き出しそうなその貌は、肉親を喪う哀しみを知っている貌だった。その後に見せた厳しい瞳は、それを悟らせないためのものだったのだろう。
 女は仇とも云うべき相手が目の前に居るにも関わらず、怨み言ひとつ零したことがない。それに比べて、ルルーシュは己の小ささを知った。
 だから、アリエスには戻らなかった。

「礼を云うときくらい、本当の名前で呼ぶべきだと思った。それだけだ」

 何の恥ずかしげもなくルルーシュが云うと、女は瞬きを繰り返した後に手元のランプへ視線を落とした。その名前で呼ばれたのは久しぶりだよ、と。まるで独り言のように呟いて、しかしゆっくりと顔を上げる。
 震えていた声とは裏腹に、その瞳に涙はなかった。

「・・・もう一度呼んでくれないか?」
「え?」
「・・・・・・・私の、名前」

 コツ、とランプをデスクに置く硬い音が響く。
 女はランプを背にルルーシュへ向き直った。光を抱いていたのが嘘のように、顔に影が落ちる。

「一度だけだ。大切に、優しく心を込めてな」

 一度だけ。云われなくても、そう何度も真名で呼ぶつもりはなかった。名を秘めるということは、そうすることに意味があるからするのだ。わざわざ吹聴して回るような馬鹿な真似をするはずがない。
 だから、どちらかと云えば余計な注文が付いたことを気に掛けながら、ルルーシュはもう一度女の真名を呼んだ。

「これでいいのか」
「ダメだな、全然ダメだ。優しさが足りない。素直さと労りの心も。発音も怪しいし、何より温かみに欠ける」

 あまりのダメ出しにルルーシュは一瞬言葉を失った。
 出された注文以上のオプションが付いている。この女にとって真名がどれだけ大切なものであるか理解したつもりでいたが、そうならそうと解り易く云えばよいものを。
 ルルーシュは盛大に溜息を吐き出す。

「我儘な女だ」
「そうとも、私はC.C.だからな」

 そう云った女の貌は逆光で窺うことはできなかったが、それでも確かに笑っている気がした。






皇子と夜伽パラレル・その17


2012/ 9/ 8 up
2018/ 3/12 一部改変、表公開