夜伽草子・9


 石造りの廊下に高らかな靴音を響かせながら、ルルーシュは部屋へと向かっていた。
 スザクや文官たちに任せた仕事も気に掛かるが、先ほどから思考の大部分を占めているのは部屋に居る少女のことである。
 ここ数日は特に忙しく、食事は執務室で軽食を摘まんで終わらせる程だった。
 部屋には仮眠をとるために戻っていたようなもので、少女は連夜ルルーシュが戻るまで健気に待っていてくれるのだが、会話をする時間は極端に減っていて。それは文化の違いを学べる有意 義な時間であったと同時に、いつでもルルーシュを気遣ってくれるやさしい気配に癒やされていたのも事実だったから、少女と過ごす時間が目減りしたことを実は残念に思っていたのだ。
 いまだ仕事中のスザクたちには申し訳なく思いつつも歩調は速くなる。
 ようやく辿り着いた部屋。
 張り詰めていたものが緩む瞬間。
 少女を怯えさせないように扉をそっと開けたルルーシュは、しかしその場に固まった。

     、ッ・・」

 部屋に居たのは少女ではなくC.C.だったのだ。
 いつか見たように西の壁に向かって祈りを捧げている女       その姿と横顔に心がザワリと騒ぐのを感じながらも、少女には決して触れるなという厳命が早くも破られたことに苛立ちを抑 えられなかったルルーシュは、威圧的な気配を隠そうともせず部屋の中へと踏み込んだ。
 そのとき・・・・・


「あっ・・おかえりなさいませ、ご主人様」


 パッと振り返ったC.C.が途端に嬉しそうな笑顔で駆け寄ってくるという予想外の事態に直面したものだから、ルルーシュは驚きのあまり半歩後退りしてまじまじとC.C.の顔を眺めてしまった。
           いや、C.C.ではなく少女だ。
 身体は同じだから顔も同じはずなのに、貌がまったく異なるため一目瞭然である。
 なのに、少女をC.C.と錯覚してしまったルルーシュは、何とも云えない気まずさを前に口を噤んだ。そんな主人を訝しがるどころか「今日はお戻りが早いんですね」とニコニコしながらルルーシュ の外套を受け取ろうとする少女に疑問が募る。

「・・・何をして、いたんだ?」

       なぜC.C.と同じ行動をしていたのか、とは訊けなかった。パッチリした大きな眼をさらに大きく見開いた少女から眼を逸らさないのが精一杯で、しかし意外なことに、少女の方がふと視線を彷徨わせる。
 考え込んでいるような、迷っているような貌。
 あまり見ないその貌にルルーシュが慌てていると、依然視線を彷徨わせたままの少女は消え入るような声で云った。

 ひとつ・・・お願いをしてもいいですか、と。




 夕焼けは車窓から眺めたときよりも夕闇に侵食されていた。
 褪せて物悲しさを増した薄オレンジ色の空は東のそれがすでに濃紺の薄衣を纏っていることを鑑みればまだ明るいと云えるが、しかしそれもあと10分もすれば夜の帳に呑まれるだろう。すでに 夕陽は遠方の丘の向こうに沈み、闇は刻一刻と勢力を拡大している。石造りの城壁が黄金色に輝いていたのが嘘のようで、石と石のあいだに落ちた影は夕闇との同化に一役買っていた。
 障害物がない、吹きさらしの外縁部西端。
 この国を統べていた者たち        いや、血の繋がった親族たちが命を絶たれた塔を前に佇む少女の後姿を、ルルーシュは一歩下がったところで見つめていた。
 「モルテグ塔に、連れて行ってほしいです・・」と、少女が躊躇いがちに願い入れてから30分ほど経っただろうか。モルテグ塔という名称に聞き覚えはなかったが思い当たる場所は此処しかなく、 ルルーシュの読みが外れていなかったことは少女の儚い後姿が証明していた。
 細い肩がかすかに震えている。
 掛けるべき言葉は見つからなかった。少女も望んではいないだろう。今さら何を云ったところで、死者が戻ることはない。

「・・・・・・・」

 それでも風が出て一段と冷えてきたから、そろそろ部屋に戻るよう促そうと考えてルルーシュが口を開きかけた       そのときだ、これまでずっと背を向けていた少女が唐突に振り返った かと思いきや、ルルーシュの胸に飛び込んできたのは。
 よろけることはなかったが、大きな衝撃がルルーシュを襲った。
 この子は独りになってしまったのだ、と。それこそ今さらの事実を、ルルーシュはこのときようやく確かな重みを持って実感したのである。

「っ、・・」

 彼女を天涯孤独の身に追い込んだのは他でもないブリタニアだ。しかも戦争の指揮を執っていたのはルルーシュで、これ以上判りやすい仇敵はいないというのに、それでもルルーシュの胸で 涙をながす弱々しい存在に、ルルーシュの方が大声で叫びたいような、息苦しくなる胸の痛みを覚えた。
 風に揺られた若草色の前髪が顎の下や首をくすぐっても、払いのける気にはならなくて。
 華奢な身体を抱き締めることも出来ずに、ルルーシュはただグッと拳を握り込む。


      国王は・・・いや、お前の父君は最期まで毅然とした態度を崩さなかったと聞いている」


 本当はもっと早くに、叶うならば毎日でもここへ来たいと思っているのかもしれない。
 しかし夜伽という、従属の象徴として生かされている彼女には政庁内を自由に歩き回る権利すら与えられておらず、親族が逝った場所に赴くことさえも満足に叶わないのである。
 いずれは撤回させてやると考えてはいても、本国の決定を一総督がそう易々と覆すわけにもいかないから。
 だから今は、せめてもの代わりに事実を伝えるのだ。

「他の王族もそうだ。・・・・国を統べる者として、彼らほど手本になる者たちはいないと、俺は思う」

 さすがお前の家族だな、と続けると、ビクリと華奢な身体が震えたのを感じた。
 押し殺した泣き声を聞かなかったことにするのは精一杯のやさしさだ。おそらく今日この場でしか涙を見せないだろうから、気が済むまで泣かせてやりたいと思う。最後まで付き合うつもりでい たルルーシュは、しかししばらくして拳に触れたひやりとした感触にハッとして視線を下げた。

「・・ッ、・・・・あい、つ・・ッ」

 拳に触れたひやりとした感触はどうやら女の手で、意図的に入れ替わりを果たしたらしい。呻くような声とともにルルーシュの胸から顔を上げたのは少女ではなくC.C.だった。
 瞳は潤み、目元は赤く腫れ、頬に涙のあとが残っているにも関わらず凛として見える女の貌。しかしどこか儚さが漂う貌に、ルルーシュの鼓動は一瞬だけ跳ねあがる。それが示す意味をルルー シュが正しく掴む前にC.C.は早々に身を剥がし、何も云わずに背を向けてしまった。
 ザアッ・・と音を立て、ふたりの間を一陣の風が過ぎる。
 掻き乱されて散る絹糸のような髪の合間から細いうなじが覗いて、C.C.の纏う儚さに拍車をかけた。


      C.C.・・」


 気付けばルルーシュは無意識のうちに呼び掛けていた。
 あとに続ける言葉を持たないまま。
 C.C.が泣いているように見えた        そんな、ルルーシュにとっては取るに足りないことのために。


「ルルーシュ」


 自らの内に生じた不可解な衝動に気付いたルルーシュが密かに動揺していると、玲瓏とした声がはっきりと耳に届いた。
 その声は濡れてなどいない。
 ただただ透明で、無感情にルルーシュを呼ぶだけ。・・・・・なのに、もがくように縋るように助けを求められているような気がして、ルルーシュは無言で続きを促した。
 細い背は振り返らない。
 それでも声は届くのだ。どれだけ強い風が駆けても、ポツリと零れるような小さな声でも。


「人はなぜ、生きるのだと思う?」


 それは正しい答えなど存在しない問いだ。
 だが、生きているならば一度は考えるであろうことだ。
 そして過去に二度、侵略戦争の指揮を執り、人々を支配する立場にあるということを嫌というほど思い知ったルルーシュには辿りついた答えがある。



        今日よりもしあわせな明日を求めるからだ」



 ブリタニア人も、名誉ブリタニア人として生きる道を選んだナンバーズも、立場や状況は違えど明日の幸福のために今日を生きている。頑なにテロ活動を続けるナンバーズにしても同じことで、 ブリタニア支配からの脱却が自らの幸福につながると信じて止まないからこそ、彼らは無謀とも思えるテロ活動に身を投じるのだ。
 しあわせの定義はそれこそ千差万別で、すべてを叶えることはできないけれど。
 ひとりでも多くの人が望むままにしあわせを掴みにいける世界であるよう、国の機能を調整していくことが使命だとルルーシュは自負している。


「・・・そうか」


 ルルーシュの返答に満足したのか、それとも満足な答えが得られなかったのか、C.C.はただそれだけを返した。
 やはりその背は振り返らない。
 しかし、それでも女の声色が確かに先よりも晴れているように感じられたから。
 ルルーシュはそっと安堵の息をついて、脱いだ外套をC.C.の薄い肩に着せ掛けてやった。






皇子と夜伽パラレル・その9


2010/ 3/23 up
2018/ 2/25 一部改変、表公開