夜伽草子・5


 互いに無言のまま辿りついた場所は、城の南側にある泉だった。
 泉といっても人の手が加えられたものだ。湧き出る水こそ天然の水だろうが、一見すると小さなプールのような、古代ローマの大浴場のような印象を与えるそれは、直方体に切り出された岩で周囲を整然と固められているからか、祭祀場のようにも見える。
 泉自体の広さは4m四方ほどで、岩の部分も含めるとさらに広い。
 初日に城内を見て回ったときには気にも留めなかった遺構        それを今はじっと眺めている不思議と矛盾とを抱えながら、それでもルルーシュは眼の前に広がる光景から眼を離せずにいた。


 清水の中で舞うのは女の瑞々しい肢体だ。
 月光を浴びた肌と髪は淡く輝き、整い過ぎた女の美貌をさらに幻想的なものへと昇華していく。
 水面に反射してキラキラと煌めく月の欠片。
 女が潜水するたびに響く水音すらも美しく、静寂に包まれた空間に響き渡る。


 泉の前で足を止めた直後に服を脱ぎ出したC.C.を、ルルーシュは止めることができなかった。
 それは呆気にとられていた所為もあるし、C.C.が着ていた薄衣の所為でもある。
 拘束具に繋がれた状態で袖のある服は着ることができないから、と、ホルターネックのワンピースドレスを着ていたのだ。首と腰のリボンを解けば、上質なシフォンは身体に絡まることなく一瞬で 足元に落ちる。止めに入る余裕は微塵もなかった。
 眼のやり場に困って視線を泳がせたルルーシュを余所に、C.C.は躊躇いなく泉へ入った。
 陽光射す真昼ならともかく夜は肌寒さを感じるくらいまで気温が下がるから、水温だって高くないだろうに、肩まで水に浸かったり潜ったりと、まるで遊んでいるかのようだ。
 真似できない、と思えばこそ、眼は自然と追ってしまう。
 しかし・・・・・

          国の内情も知らないような坊やが総督とは、随分と舐められたものだよ

 頭の中でしつこく反響するのは、出会った翌朝にC.C.から云われた言葉だった。
 ルルーシュが総督として矢継ぎ早に行った政策や改革は、エリア19の人々がこれまでと遜色ない暮らしができるようにと最善を尽くした結果の最終形態であって、一刻も早く本国へ帰還したい 焦りから行ったものでは決してない。
 しかし、それが本当にエリア19の人々の実情に合っているのかと問われれば、返答に窮するのだ。
 今日この瞬間まで眼の前の泉はただの泉で、存在を認識しているだけの      存在すら知らなくても差し支えない場所だった。それが禊などという仰々しい言葉の後に連れて来られ、堂々と 行水を見せつけられただけで、あたかも特別な場であるかのように感じてしまうのである。
 この元王国特有の信仰や伝統。それを生まれた瞬間から刷り込まれている人々をいきなりブリタニアのやり方で統治しようなどという方が土台無理な話であって、本当に彼らに合わせたエリア 作りをするのなら、まず初めに徹底的に元王国の実情を知り、理解する必要があるのではないだろうか       そんな考えが浮かんでは消えるのだ。
 それがブリタニアの国是に合致するかと云えば、答えは否なのだけれど。



「・・・・・ん・・?」

 そこまで考えて、ふと、ルルーシュは辺りが静寂を取り戻していることに気が付いた。
 絶え間なく響いていた水音が消えたのである。
 C.C.が纏っていた薄衣はルルーシュの腕の中だ。周囲に人影はなく、それ以前にC.C.が泉から上がればさすがに気付くはずで、それらが導く結論にルルーシュは顔色を変えた。
 腰のあたりまでしか深さがない泉で入水とは考え難いが、矜持の高そうな女だったから、可能性はゼロではない。
 禊という言葉を信じて遠巻きに眺めていた自身に舌打ちしながら、手にしていた薄衣も纏っていた外套もかなぐり捨てて駆け寄る。そしてルルーシュが泉に飛び込もうとしたそのとき、ザバァッと 派手な音を立てて、泉の精と化した女が地上に姿を現した。
 水が滴る髪は頬と云わず身体中に貼りつき、合間から覗く肌は色を失ったように青白い。
 月を背負うルルーシュを見上げる瞳に不遜とした気配はなく、むしろ微かに怯えを含んでいる。
 恥ずかしげもなく裸体を晒す様は堂々としているようで、しかし事態をまったく理解していないような幼い雰囲気を漂わせていた。
 まるで、人が変わったような      ・・


「あ・・っ、・・こん、ばんは・・・」
     、っ・・!?」

 その一言で、ルルーシュは困惑しながらも確信した。
 同時に、『禊』が何たるかを理解する。
 ルルーシュが手套を嵌めてから手を差し出せば、どこかホッとしたような表情を浮かべて、おずおずと手を伸ばしてくる柔順な反応。これはC.C.ではなく、初めに会った少女のものだ。
 つまり禊とは、穢れを祓い、C.C.と少女の意識を入れ替えるための儀式なのだろう。
 手套越しでも冷たい手を引いて少女を泉から引き上げ、土埃を払った薄衣を渡しながらルルーシュが名前を尋ねると、彼女は大きな眼を瞠ってルルーシュを見つめ返した。

「なま、え・・?」
「その・・・あのときは聞けなかったから・・」

 触らないで、と叫んだ少女に結局は触れてしまった、あのとき。
 あれから2週間しか経っていないのに、この少女と会うのは久しぶりだと感じてしまうのは、それだけC.C.の存在感が大きかったということだろうか。
 C.C.とはまったく異なる、この少女。
 あのときも今も、名前を訊いたことに深い意味はなかった。
 礼儀として人並みの挨拶くらいは交わしておこうとか、意識の表層に現れているのがC.C.であれ少女であれ手元に軟禁しておかなければならないことに変わりはないから、呼びかけるときに困るとか、ルルーシュにとってはその程度の意図しかなかった。
 しかし、渡された薄衣を握りしめ、少女は途端に表情を曇らせる。
 哀しんでいるような、途方に暮れているような貌。
 それでも少女はきっちりとルルーシュの瞳を見つめながら、答えた。

「名前は、      ありません」

 C.C.よりも丸みを帯びた声色に震えはない。

「私には・・必要のないもの、だから・・・」

 ただ、語尾が消え入るように小さく萎んだ。
 ルルーシュはしばらく無言で少女を見つめ返していたが、彼女がふるりと身を震わせたのを合図に外套を着せ掛け、そっと背に手を添えて城内へと促した。


「名前が必要ないくらい、国民にとって普遍の存在なんだな・・君は」

 そんな言葉が口を吐いて出たのは、部屋の扉をくぐる直前のことだ。
 ルルーシュを見上げてパチクリと瞬きをする少女の幼い仕草に、アリエスに残してきた妹を思い出しながら、ルルーシュは安心させるように少女の濡れた頭をそっと撫でる。


 手套はしっとりと濡れてしまったけれど、少女のぬくもりが移っていて、冷たさは感じなかった。






皇子と夜伽パラレル・その5


2009/10/19 up
2018/ 2/21 一部改変、表公開