夜伽草子・2


 ルルーシュの奇抜な叫び声が予想以上に大きくなってしまったのは、ベッドの中から現れた裸の女に驚いたから・・という理由だけではなかった。
 落ちたのである。腰掛けていたベッドの上から。
 驚いた瞬間に身体を捻りながら背を反らせたのがいけなかった。支えにしていた右手がベッドの縁からすべり落ち、バランスを崩した身体はお約束通り床へと誘われたのだ。
 絨毯が敷かれていたことには感謝するべきだろう。打ったのは背と腰だが、石造りそのままの床にひっくり返っていたらもっと盛大な痣を作っていたに違いなかった     が、今のルルーシュに 陽転思考を求めるのは無理な話だった。

「だれだっ!? ここで何をしている!?」

 変声期を終えたルルーシュの声は低く、怒りを含んでいる分だけ迫力を増す。それに驚いた女はビクリと身体を震わせ、ベッドの上で縮こまってしまった。眼をぎゅっと瞑って首を竦め、顔への 直接的な攻撃を免れるために両腕を翳すしぐさは明らかに怯えた人間のそれで、その姿に余計怒りを煽られたルルーシュは大きく舌打ちをして身体を起こし、追窮のために女へ腕を伸ばした。

「おい、答え   
「ごめんなさ   

「どうなさいましたかっ、ルルーシュ様!」

 だが、扉を開けるけたたましい音と第三者の乱入によってルルーシュの声までもが掻き消されてしまった。
 入ってきたのは先程までルルーシュの後を付いて回っていた従者だ。その顔を見止めた瞬間にルルーシュの怒りの矛先は間の悪い彼へと進路を変えた。鋭い眼光が一直線に飛ぶ。

「説明しろ」
「・・・・・・・・と、申されますと・・?」
「この女は一体何なんだ、と訊いている」

 非常に不本意なことではあったが、するべき仕事や報告を多く抱えていたルルーシュは新政庁入りに関することを暫定従者にすべて一任していた。慣れない雑務だっただろうが幾度も本国に 伺いを立てながら調整していた彼は、現段階ではルルーシュよりも城内の内情を把握しているはずなのだ。だから何かと根拠を明確にしておかなければ気が済まない神経質なルルーシュが、女 から従者へと説明を求める相手を変えたのはごく自然なことだった。
 機嫌が最低ラインまで下がったルルーシュの、地を這うような声は確かに従者を絡めとる。
 しかし、それまでルルーシュに媚び諂っていた男は途端に態度を翻した。
 従者の濁った瞳に嘲りの気配が混じる。母の地位が低い所為で周りからそういう視線を受ける機会が多かったルルーシュは敏感にそれを感じ取った。主の柳眉がピクリと跳ねるのを見たの か、それとも己の立場を思い出しただけなのか、従者は礼の動作をとってから説明を始める。


「かの者は夜伽役にございます」


 夜伽       ・・その言葉を聞いた瞬間、ルルーシュの頭は一時的に思考を放棄した。
 同時に湧き上がる嫌悪感。
 意味を知らないほど幼くもない。

「・・・・・・・この城の警備網は夜伽が要るほど容易に突破される脆いものなのか?」

 だが、ルルーシュは敢えて外した質問をした。
 『夜伽』とは『警護や看護のために夜寝ずに付き添う者』のことを指す場合もあるのだ。ルルーシュが一睨みしただけで震えあがるような女に警護役が務まるとは考え難かったが、それでもそ ちらの意味であればいいとルルーシュは強く思った。
 しかし、この上もなく不可解な貌をする従者が言葉無くして示すのは否定である。
 夜伽という単語がもつ意味を充分に知らないのであろう彼はルルーシュの質問に答えず、女に関する説明を再開した。

「公文書にも名が記されておりませんが、国王の一人娘であることには相違なく   
          待て。王族はすべて・・」
「シュナイゼル殿下のご指示でしたので、そのように」
「・・っ!」

 シュナイゼル・エル・ブリタニタ。本国宰相を務める彼は、第2皇子であるにも関わらず次代皇帝の座に最も近い男と云われている。ルルーシュをいまだに子ども扱いする点を除けば皇族の中で もまだ好感の持てる人物で、それだけに彼が下した指示にルルーシュは顔を歪めた。


 夜伽とは、女が男の、夜の相手をするということだ。


 優秀なシュナイゼルのことだから、『王族を皆殺しにせよ』という命令自体は白紙になるよう取り計らっているのだろう。だが、征服した国の姫を花嫁でもなく臣下でもなく、夜伽をする存在として 扱おうというのは、あまりに被征服国を見下した仕打ちである。
 ルルーシュは弱者に鞭を打つような行為を徹底的に嫌っていた。虐げられる側の苦しみをよく知っているからだ。だからこそ燃えるような怒りと吐き気まで伴う嫌悪感を抱く。
 ぐっと奥歯を噛み締めながら、従者にとりあえず別室を用意するよう指示を出そうとしたルルーシュは、その段になって漸く従者の視線が自身から外れていることに気が付いた。
 眉を顰めてそれを追っていくと、その先に居たのは例の姫君だ。
 ルルーシュと従者の会話をどこまで理解しているのかは判らないが、口元に両手をあててガタガタと震えている彼女の肌は血の気を失って青白くなっている。しかしその腕の間から覗く、程よく 膨らんだ乳房の先端の淡い色づきを見止めた瞬間に、ルルーシュの感情の針は振切れた。
          出ていけ、と。
 女に下卑た視線を注ぐ従者と同じ空間に居ることすら我慢できなくなったルルーシュは、有無を云わせぬ形相で叫んでいた。喉の奥で引き攣った悲鳴を上げながら退室した従者のことなど記憶 の片隅から追い出して、手早く外套を脱ぐ。

「ひゃ、ぁ・・」

 恥ずかしげもなく裸体を晒し続ける女に向かって乱暴に投げつけると、外套を頭から被ることになった彼女は心底驚いたような声を上げた。
 漆黒の外套の中でもぞもぞと動く女の右手首には手錠が填められ、鎖で繋がれている。もがく度にシャラシャラと綺麗な音が鳴るのだが、人としての自由を奪う道具が奏でる音はルルーシュ の神経を逆撫でした。だからつい、声色が怒りを含んでしまう。

「君は本当にこの国の王女なのか?」

 漸く外套から顔を覗かせた女への第一声がこれだ。それに対し、彼女は非常に心細そうな表情を浮かべて、小さく頷くだけ。それを見たルルーシュは、彼女が女というよりはまだ少女と呼ぶに 相応しい年齢であることを知った。格好が格好なだけに正面からまじまじと見るのが躊躇われていたところに『夜伽』などという言葉が出てきたものだから、もう少し歳を重ねている女性なのだと 思い込んでいたのだ。
 琥珀色の大きな瞳が印象的な少女。その瞳が不安そうに揺らめくたびに、なぜかルルーシュは自分が彼女をいじめているような感覚に陥る。
 だから長い溜息をひとつ吐き出して、蓄積してしまった怒気を逃がした。

「俺はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。・・・・・君は?」
「・・・ぇ? あ、・・」

 ルルーシュの声色は妹に話し掛けるときのような穏やかなものだったが、少女は言葉に詰まった。胸元で握りしめた外套を掴む手に力が入ったようで、上質な生地が深い皺を刻む。しかしル ルーシュの眼を惹くのは外套の皺などではなく、やはり少女の右手首に填められた拘束具だった。
 外してやれないだろうかと、ルルーシュはベッドに片膝をついて手を伸ばす。
 だが・・・・・

「・・っ、私に触らないでください!」

 まるで電流が走ったかのように少女はビクリと身体を震わせて、仰け反った。
 これにはルルーシュも驚いて手を止める。しかし次の瞬間には腹の底から怒りが込み上げてきた。
        ただ手錠を外そうとしただけだというのに、まるで汚物との接触を回避するかのような拒絶を受けた。この大人しそうな少女は拘束されているのが好きなのか、とか、そういう趣味でも あるのかとさえ疑ったが、ルルーシュは真相を知る由もなく、落ちるところを見失った怒りばかりが肥大化する。
 今度の怒りは少女自身に起因するためか、それを彼女にぶつけることを我慢できなかった。

「君はこんなものに繋がれたままでいいのか!?」
「だめっ、あのかたが     

 双方の主張は微妙に食い違い、それ故に思わぬ方向へと展開する。
 少女と繋がった鎖をルルーシュが強く引きすぎた所為で、少女の身体はその意思に反してルルーシュの方へと倒れ込んでしまったのだ。
 ふわりと舞う翠色の髪。
 ルルーシュが羽のように軽い少女の身体を胸で抱きとめ、むき出しの肩に置いた手から彼女の暖かさを感じ取った、そのとき。
 頬に衝撃が走った。
 叩かれたのだと悟ったのは、頬にじわじわと広がる熱と痛みをはっきりと知覚してからのことだ。9年ほど前にスザクと取っ組み合いの喧嘩をして以来経験していなかった痛みに、ルルーシュは半ば呆然となる。
 それでも咄嗟の反応で少女に視線を戻すと、琥珀色を湛えた勝気な瞳と正面からぶつかった。


「触るなと云ったのに触るなんて・・・お前は馬鹿か?」






皇子と夜伽パラレル・その2
また続きます


2008/11/ 1 up
2018/ 2/18 一部改変、表公開