とある皇子と魔女の物語 Y




         千。


 『セ』は “ 瀬 ”。
 『ン』は “ おわり ”。
 そして、『セン』は “ 線 ”。


 つまり、千とはひとつの境なのだ。
 魔女と千と一夜の契りを交わしたとき、神力は限界を超えて変質し、魔性を帯びる。
 魔王と化した男が操る力は、おそらく誰にも止められないほど強大で異質な力となるだろう。










「また来る」


 夜が明ける前、戸口に立った男は振り返ってそう云った。
 すでに外套を纏い、身支度は万全である。夜更けに訪れたときとの相違点は何ひとつとしてない。
 対する女は細い身体にシーツを巻きつけただけのしどけない格好で眠そうに目を擦っていた。仕草はまるで子どもであるのに、 欠伸のついでに零れた、鼻に掛った息が色っぽい。
 男は女の細腰を抱き、手早く唇を奪った。




「行ってくる」




 云い変えられた言葉に女はほんの少し瞠目し、それから淡く微笑んだ。
 男の頬を両手で挟み、背伸びをしてくちづける。
 羽根で撫でるような感触を残して女は離れた。




「行ってこい」




 女が男を引き留めることはない。いつだって男の背を押し、前に進む手助けをする。
 今はまだ表舞台に立つことはないが、対等なパートナーである女を男は頼もしく思っていた。
 扉を開ければ、向こうは戦場だ。油断など一瞬も見せられない、鬼の住処。それでも男は振り返らずに、女の許を後にする。




 藍色に染まる東の空は、次第に白みを帯び始めていた。












『とある皇子と魔女の物語 Y』




2011/10/24 修正して再up