イデアの種




 ルルーシュには、別に耽美的な嗜好はない。
 皇族として何一つ不自由しない生活を送っていた時分ならともかく、妹を守りながらその日を生きるだけで精一杯だった日々も経験済みであるルルーシュの 判断は『自分にとって有益かどうか』、もしくは『使えるかどうか』が優先されるのだ。だから、というわけではないが、他人の容姿にもあまり関心がないものだから、 クラスメイトの男子たちが、どのアイドルが可愛いだの、この女優が好みだの、その手の話で盛り上がっているときも輪に加わりたいと思ったことはなかった。
         それなのに、どうしたことだろう。
 差し出された白い手を取ったルルーシュは、その美しさに感動すら覚えていた。










「ルルーシュ、ハサミはどこだ?」


 ベッドに寝転がったC.C.がそんな言葉を投げてきたのが5分ほど前のことである。
 キーボードに走らせる手を止めもせず、そのときルルーシュは「ハサミなんて何に使うんだ」と適当に返した。もちろん頭の中では『どうせ髪でも切るんだろうが・・』と 考えてはいたのだが、しかし予想の斜め上をいく回答が返ってきたものだから驚いた。


「爪を切りたい」
「ッ、・・はぁ?」


          爪・・!?
 仮に爪が軟らかいとしても、まさか赤ん坊並というわけではあるまいし、専用のハサミでもない一般普通のハサミで爪を切ろうとするだろうか。


「・・・・・・・・」


 ・・・いや、C.C.にとっては普通なのかもしれないが、しかしルルーシュは許せなかった。
 ルルーシュは爪切り専用のニッパーを使っている。爪を力任せに『割る』爪切りとは違い、薄い刃で『切る』ニッパーは爪への刺激と負担が少ない上に、 ヤスリがいらないくらい切り口がなめらかなのだ。
 目が見えないナナリーに刃物を持たせるのは危険だからと、彼女の爪はいつもルルーシュが切っている。だから元々はナナリーのためを思って選んだニッパーであり、 管理も手入れもルルーシュが行っていた。それを何が楽しくて居候のピザ女に貸してやらなければならないんだ、と不満に思う一方で、お人好しの世話焼き体質が どうしても発動してしまったルルーシュは、葛藤の末に「俺が切ってやる」と云ってしまったのである。










 云ってしまってから実際にふたり並んでソファーに腰掛けるまでは何とも云えない気まずさを感じていたルルーシュだが、何を云うでもなくC.C.が事務的に差し出してきた 手を取ってからは、別段何とも思わなくなった。
 C.C.の態度が一貫して冷めていたからではない。感じていた気まずさが意識に上らなくなるくらい、ルルーシュがC.C.の手に惹かれたからである。
 ルルーシュの手よりも遥かに小さいそれは、しかし子どもの手ではなく、確かに女性の手だった。
 節のない指は細く、折れそうなほど細い。皮膚はどこもなめらかで、ペン胼胝のように表皮が硬くなった箇所はまったくなかった。爪の形はまるで芸術品。 色はマニキュアなど必要ないくらい色鮮やかな桜色だ。
 苦労など、ひとつも知らないような手だとルルーシュは思った。
 ・・・実際は苦労を知らないどころか、幾度となく死ぬような目にまで遭っているのだが。


(こいつ、は・・)


 C.C.の身体は時を刻まない。それはつまり、自分が生きた証を自分自身に残せないということだ。
 貌同様、手には人の生き様が表れる。
 働き者の手は荒れているかもしれないが、単なる醜美とは次元が異なる美しさがあることをルルーシュは知っている。 だからこそ、芸術品のように美しいと感じ入る一方で、証を刻まないC.C.の手が残念でならなかった。




           終わったぞ」




 爪の断面を指の腹でなぞり、仕上がりをチェックしてから終了を告げる。
 これまで神経が通っていなかった小さな手がルルーシュの掌の上でピクンと反応して、かと思えばC.C.は早々に右手の自由を取り戻した。
 ・・・・・礼のひとつもない。
 丁寧に切りそろえられた両手の爪をまじまじと見つめて、それから一瞬チラッと寄越した視線がその代わりなのか。後始末をしながら様子を探っていたルルーシュは、 腹立たしくも予想通りの結末に、まあそんなものかと早々に匙を投げた。
 中断していた作業を再開するべく、さっさとソファーから腰を上げる。時は金なり、だ。いつまでもC.C.の相手をしている余裕はない。
 それでも静かすぎる女の様子が気になって、横目でさり気なくC.C.を見下ろしたルルーシュは気付いてしまった。いつもより弧を描いた、薄紅色の唇に。


「・・・・・、・・・」


 C.C.の身体は、確かに時を刻まない。それも、半永久的に。
 しかしどういうわけだか代謝は人同様に行われているし、体型はまったくもって変わらないくせに、髪や爪は伸びる。だから、もし        もしもC.C.が 人らしくあることを望むのであれば、変化が見られる部分だけでも、せめて・・・。




        伸びたら云え。また切ってやる」
「・・え?」




 背後でパッと顔を上げた気配がした。しかしルルーシュは振り返らない。気遣いなどではなく、単にその必要を感じなかったからだ。 互いを利用し合うために傍にいる“共犯者”の、感情の機微に敏く反応してやる義理はない。
           それでも、C.C.が独り言のように呟いた、「お前、本当に世話焼きだな」という声が、思いのほか耳に優しく響いたから。
 自然と上がる口角を、ルルーシュは制することができなかった。












『イデアの種』




2011/ 8/31 up