それは何と甘美な憂鬱




 無駄に広いベッドから抜け出し、C.C.は裸足のまま部屋を出た。
 時刻はすでに日を跨いでから1時間は経過している。それでも一向に眠気が襲ってこないのは、昼間に惰眠を貪っていたからではなく、ベッドで隣にいるべき男が戻って いないからだ。
 身体が覚えてしまった、ルルーシュの腕の力強さ。
 枕が変わった程度で眠れなくなるほどヤワな神経はしていないけれど、それでも心がざわめいて落ち着かないのは事実だった。
 たぶん、ルルーシュの無事を自身の眼で確認しないと安心できないのだろう。早朝から合衆国中華へ出向いていたルルーシュが2時間前に帰宮していると 知っていても、だ。
 宦官政治の恩恵を受けていた一部の上層階級が合衆国中華の領土内で起こした反乱。我こそが天子だと名乗りを上げた男を中心に、合集国連合からの離脱を宣言した馬鹿な奴ら。 今や世界の支配者として君臨するルルーシュがこれを黙って見過ごすはずもなく、皇帝が直々に反乱鎮圧の指揮を執った結果、憐れな反乱者たちは1日も 耐えきれず徹底的に潰された。指揮官および戦力・兵力の差が初めから歴然とついていたのだから、当然といえば当然の結果である。
 『逆らう者に明日はない』と世界中に知らしめるためのパフォーマンス      そう受け取った人民は多いだろうし、 ルルーシュ自身がそう意図してやっている。しかし真の目的はゼロ・レクイエムが完遂した後に合衆国中華の代表に返り咲く蒋麗華の障害にならないよう駆逐しておく ことだ。
 つくづく損な役回りだな、とベッドの中で見送りながらC.C.が皮肉交じりに云ってやれば、ルルーシュは鼻で笑った。 他者の掌の上で踊らされて貧乏くじを引くのは我慢ならないが、自由意思で選択する道であれば損な役回りも歓迎らしい。
 ・・・・・その最たるものがゼロ・レクイエムなのだが。
 しかしいくらC.C.でもゼロ・レクイエムだけは皮肉や揶揄の対象にできなかった。


「・・・・・・・・」


 ひたひた、と静かな音とともに廊下を進む。
 ここに来てもルルーシュの愛人扱いを受けているC.C.は、ルルーシュが人目に触れさせたがらないこともあって、人が常時居るような場所には あまり出向かないようにしている。だから好んで過ごすのはルルーシュの執務室か庭園か中庭のガゼボか、もしくは温室くらいだ。
 お前がいないと寂しくて眠れないから早く戻ってこい、とは口が裂けても云えないC.C.は、執務室ではなく温室へ向かった。
 陽が沈めば外は冷えるから、温室が丁度いいのだ。
 底が正六角形の巨大な鳥かごを縦半分に切ってテラスに取り付けたような温室。特殊加工済みの一面のガラス壁には存在感を主張する飾り格子が嵌められているが、 それでも圧迫感を感じないのは、尖頭ドーム状の天井が高いためだろうか。
 昼間は麗らかな陽光が差し込むその空間は、この時間ともなれば月の女神を迎えるに相応しいに空間となっていた。
 あえて照明器具を取り付けていない部屋。
 多種多様な花々が咲き乱れる室内は噎せかえるほど花の香りで満たされていて、油断すると酔ってしまいそうだ。




「C.C.?」




 だから、こんなところに人が居ると思わなかったC.C.は驚いた。




「・・・スザク・・?」




 まったく、奇遇にしては出来過ぎているほどいつも意外なところで逢う男である。
 スザクは温室の中央に据えられたカウチに居た。
 カウチ自体がガラス壁の方を向くように置かれているため、そこに寝そべったスザクは背もたれに阻まれて身体が隠れていたようだが、しかしそれでも呼び掛けられるまで 気配を感じなかったのは、スザクが意図して気配を殺していたからなのだろう。C.C.がカウチの傍に来るまで手ぐすね引いて待っていたかのような 行動にC.C.は眉を寄せたものの、スザクが仰向けに横たえていた身体を起こしてカウチにスペースを作ってくれたものだから、仕方なく隣に腰を下ろした。
 一面ガラス張りの壁から入り込んだ月の光がすぐ足元まで照らしている。
 やわらかい蜂蜜色の光の粒がキラキラと輝いて草花の輪郭を甘やかに縁取り、浮かび上がる複雑なシルエットが幻想的な雰囲気を創り出す。
 C.C.はただじっとそれを眺めていた。
 頭の中を真っ白にするというのは意外と難しい。ルルーシュほどではないにしろ、C.C.もどちらかといえば思考を止められないタイプだ。
 それでもC.C.は、努めて何も考えないようにした。
 目に映るものだけ意識するよう専念する。この期に及んで不安定な自分を、隣に居る男に気取られたくなかった。
         なのに。






「眠れないのかい?」






 ルルーシュがいなくて       そう言外に匂わされ、ムッとしたC.C.は無言の抗議を返した。
 余計なお世話だ。それが事実であるから尚のこと意地を張って是の回答を拒みたくなる。
 肯定と取りたければ勝手にしろ、とC.C.が取り澄ました態度を続けていると、やはり肯定と解釈したらしいスザクが苦笑する気配がして、 しかしそれきり沈黙を貫くものだから、C.C.はチラリと隣の様子を窺った。
 意外にも、スザクは遠くを見つめていた。
 日中に顔を合わせれば何かしら声を掛けてくる程度にはC.C.に対してもお節介な男であるのに、めずらしいこともあるものだ。 予想を裏切る態度に興味をひかれたわけではないが、何となくC.C.も聞いてみたくなる。


「お前こそ、ここで何をしているんだ?」


 スザクには個室が与えられている。こんな時間にこんな場所で、しかも変装を解いた状態で居る必要などないのに。
 しかし、C.C.の耳に届いたのはどこか哀愁を含んだ声だった。


「・・・・宿題、かな」


 落ち着くんだ、この空気が・・と続けたスザクに、C.C.は耳を疑う。
 確かに、貴族趣味的にどこもかしこも格式張った皇宮においては、ここは落ち着ける数少ない場所だろう。だが、脳を痺れさせるくらい花の香りが充満したこの空気が 落ち着くとは、一体どういう感覚をしているのか。てっきり五感すべてが超人並みかと思いきや、意外にそうでもなかったのかと呆れたC.C.はマジマジとスザクを見遣る。 そこで緑柱石色の瞳に宿る想いの一端を見つけたC.C.は絶句した。
 この眼は、死者を深く想う眼だ。
 戦火に揺れた国ゆえに、人の死に目に立ち会う機会は多かっただろう。しかしその中でスザクにこんな眼をさせられる人物は一人しか思い浮かばない。
 ルルーシュが手に掛けた、花のような皇女。
 専任騎士であったスザクが彼女のことをどれだけ大切にしていたか・・・事態が思い通りに運ばずに苛立つルルーシュの傍にいたからこそ、C.C.にも 解る。       永遠に喪われたからこそ、スザクの中で彼女が絶対的な存在になったことも。
 掛ける言葉が見つからないし、声を掛けてやるつもりもなかったC.C.はスザクから視線を外した。
 爪先のほんの先まで届く月の光。くっきりと分かれるその境のこちら側にいる植物は、薄墨を溶いたような闇色の衣を纏っている。光を浴びれば色鮮やかに、生き物特有の ぬくもりを発する草花も、こうして夜の帷の中で見るだけで、どうしてこんなにも冷たく余所余所しい感じがするのだろう。
 無意識的に詰めていた息をそっと吐き出して、それでもC.C.は身じろぎさえしなかった。
 静寂が過ぎて耳鳴りさえしそうな沈黙を苦とも思わないのは、元来の性格か、それとも相手がスザクだからか。
 ゼロ・レクイエム後には私もこの男のようになるのかもしれない、とC.C.が自嘲的な笑みを唇に刻んだところで、頭皮に軽い刺激を感じた。
 見れば、いつの間にかスザクが若草色の髪を一房手に取り、じっとC.C.を見つめている。


      C.C.」


 変声機越しではない、スザク自身の声。
 青年らしい爽やかさの中に少年らしい甘やかさがほんのりと混じるその声は、いつになく真剣な響きを帯びていた。


「眠れないなら・・僕の部屋に来ないかい?」
「・・・・・・はァ?」


 まるきり情熱的に愛を囁くような誘いに、C.C.は眼を丸くする。
 本気ととるには真意を測りかねるこの状況。しかし冗談と判断するには真面目すぎる表情。
 こんな時間に男の部屋へ誘われれば妙な勘ぐりをして当然だろうが、ルルーシュとC.C.の関係を知っていて尚こんな直球の誘い方をするとも思えない。 というか、これで付いていく尻軽女だと思われているのか、とか、先まで別の女のことを考えていたくせに何を云い出すんだコイツは、 と軽い苛立ちさえ覚えはじめたC.C.は、「人肌が恋しいだけなら別の女を当たれ」とドスを利かせて唸り返した。
 それをどう受け取ったのか、スザクはC.C.の髪を指に絡めて拳一つ分ほど距離を詰める。


「つれないなぁ・・・ルルーシュにはあんなに優しいのに?」
「なッ、・・」
「だったら、ゼロ・レクイエムの後でもいいよ。旅に出るって聞いたけど、僕の傍に居ればいい」


 明日ピクニックに行こうよ、とでも云うような気軽さ。怖気づくどころか全く諦めていない様子で云われ、逆にC.C.の方が動揺した。
 ・・・たぶん、『ゼロ・レクイエムの後』という言葉に心が強く反応してしまったのだろう。
 今はそんな先のこと、考えたくないのに。


「スザク・・・私は、   
「僕は諦めないよ、C.C.。ルルーシュも一度は振られてるみたいだしね」
「・・・ッ、・・!?」


 好意を寄せられてばかりのルルーシュが振られたなどという話は、ついぞ聞いたことがない。彼の中での優先順位は常に妹・ナナリーの幸福であり、 同時にブリタニアへの復讐であったから、恋愛には無関心というか放棄しているものとばかり思っていたのに・・・。
 少なからずショックを受けている事実にまたショックを受けて、C.C.は黙り込む。
 相手が誰か、などということは、この際考えても無駄なことだ。だから意識的に思考を中断しようと試みているのに、ルルーシュが誰かに愛を囁く場面が頭から離れない。




「あれ? 無自覚だった?」




 C.C.はハッと気付いたときには、視界が一変していた。
 ズキズキと痛みを訴えていたはずの心臓は、意図しない体勢の変化に驚いて鼓動を早める。
 突然ソファーに押し倒されたから      端的に表現するなら、それだけだ。その相手がスザクだったことは鼓動を早める理由にならない。 だから平然とスザクを見上げたのだが、C.C.を真上から覗き込むスザクの方こそ完璧に無表情で、恐ろしいことに感情がまったく読めなかった。


「君が、ルルーシュを振ったんだよ」
「・・・なんだそれは。『裏切った』の間違いじゃないのか?」
「想いに応えなかったんでしょ? ルルーシュは必死に手を伸ばしたのに」


 そこまで聞けば、さすがにC.C.もコードを一時的に封印したときの話だと解った。・・・が、同時にC.C.は眉間に皺を刻む。バグダードで腹を割って話し合いをしていたときに そんなことまでスザクに話したのかと思えば、やはりいい気分ではない。
 あからさまな不機嫌な貌を見てどう思ったのか、スザクは緩やかに眼を細め、左手に絡めたままのC.C.の髪にくちづける。
 右手はC.C.の左耳のすぐ脇に、左膝はC.C.の脚を割って間に入り込んでいた。
 スザクも多忙でいろいろと螺旋が飛んでいるのだろうと大目に見てきたけれど、さすがに危険だとC.C.は直感した。あれほど露骨に誘われておいて 警戒すらしなかった結果がこのザマとは情けない限りだが。


「スザク、いい加減に    


 押し退けようと思った。押し退けられると思った。しかし眼の前の男はゆっくりと屈み込んできて、顔が近づく。
 ショックイメージを与えようかと本気で考えて、しかし精神が完全に壊れてしまってはゼロとして使い物にならないと迷いが生じた。その隙を逃さなかったスザクに 両手首を捻り上げられる。それでも最後の抵抗でC.C.は咄嗟に顔を背けた。




「ルルーシュは死ぬ。僕が殺す。だから・・・僕がルルーシュの分まで君をしあわせにしてあげる」




 吐息とともに耳へ直接吹き込まれた、誘惑の言葉。
 ふざけるなッ!と叫ぶ前に今度は耳たぶを甘噛みされて、ゾワッと鳥肌が立った。不快感に伴う、明らかな拒絶反応だ。ルルーシュの力加減との違いに、 舌の感触の違いに、体温の違いに、ここまで敏感になっているとは思いもしなかったC.C.は、完全にルルーシュに慣らされている自身に愕然とする。
 なんだかもう、どうすればいいのか解らなくなっていた。
 魔女の烙印を押され幾度となく処刑されてきたけれど、これもその一種のような気さえする。身を擲って助けようとした男はまもなく眼の前の男に惨殺され、 さらにはその男に自分は蹂躙されようとしているのだから。


「〜〜〜〜〜ルルーシュッ・・」


 それでも身体が絶対的に拒否反応を起こして、助けを求めた。
         そのときだ。






「そこまでだッッ!!!」






 ガァンッと壁を殴る音とともに、制止の声が響いた。
 尖頭アーチ状の天井は高く、元から音が響きやすい空間だったが、怒り任せの叫び声は大音響となって空気を震わせる。C.C.からはカウチの背もたれの所為で 姿が見えないが、ハァハァと荒く息を吐く音が断続的に聞こえるということはおそらく全速力で駆けつけてくれたのだろう。
 ホッと安心して身体中の筋肉が弛緩したC.C.とは裏腹に、スザクは案外あっさりとC.C.の上から退いた。


「遅かったね、ルルーシュ」
「お前ッ、・・・誰に手を出したか解っているのか」
「皇帝陛下の寵妃サマ、かな? 残念ながら未遂で終わったけど」
「当然だ!」


 着衣の乱れを正してC.C.が上体を起こすと、カウチの向こう側で二人の男が対峙していた。
 スザクの胸座を掴み上げて今にも殴りかからんとするルルーシュに対し、スザクは怯えた様子どころか緊迫した素振りも見せない。


「ル、ルルーシュ・・・」


 思わずC.C.が呼ぶと、胸座を掴むルルーシュの手に力が籠もったように見えた。しかしルルーシュが拳を振り上げる前にスザクはルルーシュの手を外し、 ヤレヤレといった表情で溜息混じりに云うのだ。曰く、「はいはい、悪かったよ。今はまだ君の恋人だったね」と。
 その瞬間、ルルーシュがカッと激昂するのが薄闇の中でも解った。
 抑制された所為でかえって底冷えするような、静かな怒り方ではない。感情を露わにして全力で相手に掴みかかる、本気の怒り方だ。
 さすがにこの歳になって取っ組み合いの喧嘩などするつもりはなかったらしいスザクが「もっと早く戻ってあげなきゃだめだよ」と云ってルルーシュをC.C.の方に 押し出さなければ、『私を取り合って争うのはやめて!!』的な状況に陥っていたかもしれない。
 ・・・・・もっとも、この二人の場合はもっと複雑な因縁が絡み合っているため、自意識過剰が過ぎる勘違い女みたいなセリフを口走ることなど冗談でもできないが。
 何事もなかったように温室を出ていくスザクの背を見送っていたら、カウチがギシッと揺れた。
 洗練された所作を良しとするルルーシュにしては荒っぽく腰を下ろしたものだ。      そんなことを考えていたら無遠慮に腕が伸びてきて、身体ごと ルルーシュに抱き寄せられる。加減を忘れた腕にギリギリと締め上げられて、C.C.は背骨が軋む音を聞いた。


「・・痛、ぃ・・・ルル・・シュ」


 しかし苦痛を訴える一方で、C.C.はこのままルルーシュの手に掛かって死んでみるのも一興かと考える自分も存在していることを自覚していた。


         ルルーシュは死ぬ。僕が殺す。


 そんなこと、今さらスザクに宣言されなくても嫌というほど理解している。だからこそルルーシュをもっと独占したくて、しかし悪逆皇帝を演じる男が多忙なことは 重々承知しているから、C.C.の方こそ感情を持て余している。それを表に出さないよう装えるのは年の功であって、ルルーシュに触れているこのひとときは 無意識のうちにルルーシュを誘い込んでいるのだ。
 最早ルルーシュから与えられるものはすべてが快楽でしかない。        たとえそれが一時的な『死』であっても。
 ルルーシュに感化されて変わった部分もあるけれど、相変わらずの魔女ぶりに失笑すら漏れる。
 それでも、C.C.は・・・・・




「馬鹿だな・・お前」




 ルルーシュの脇腹に添えた手を、縋り付く手を、離すことができないのだ。












『それは何と甘美な憂鬱』




2011/ 5/18 up