※一部残虐的な表現がございます。ご注意下さい。
















   コバルトブルーの向こう




 シスターのことが、大好きだった。
 優しく叱ってくれる母であり、頼れる姉であり、なんでも話せる友人であり、いろんなことを教えてくれる先生であった人。
 生きる力をくれた人。
        名前を、くれた人。
 彼女は私のすべて、とは云わないけれど。でも、彼女以上に信頼できる人はいないし、もし彼女と出会っていなければ今の私がいないことは確かで、 感謝もしているし、やっぱり大好きだった。
 なのに・・・・・








「なん、で・・」




 首に走った、焼け付くような熱。それがナイフで斬られた痛みなのだと理解するのに時間が掛かった。
 昔は馴染みだった、切り傷の感覚。でも、もう何年も味わうことがなかった痛みの感覚。
 いっそ、気を失ってしまえればよかったのに。
 後ろへ倒れ込む私の眼に映る光景がスローモーションで流れていって、ナイフを手にしたシスターの姿が網膜の裏に焼き付いて。
 次の瞬間、全身に痛みが走った。
 身体がバラバラになったのかと思った。
 だけど実際は床に倒れ込んだだけで、身体はバラバラになったわけでもなかったし、気を失うことも叶わなかった。
 痛みで霞む意識の中、視界にシスターが映り込む。
 揺らぎのない水面のように静かで、どこか憂いを含んだいつもの貌と掛け離れた、初めて見るそのシスターの貌は、だけど過去の主人たちが 奴隷を嬲るときの表情によく似ていて、無意識のうちに身体が強張った。




「契約したでしょう? 生き延びる力を授ける代わりに、私の願いをひとつだけ叶えてくれる、と・・」




 そう云いながらシスターは近づいてくる。
 でも私が訊きたかったのはそんなことじゃない。なんで、優しかったシスターがこんなことをするのか・・・殺すのなら、どうしてあのとき私にギアスを授けてくれたのか 答えてほしかったのに。
 おしまいにするって、なにを?
 永遠って、なに?
 身代わりって、私?
 生き続ける地獄って、・・・?


 騙されたって、       どういうこと?


 訊きたいことは次から次へと溢れてくるのに、言葉は全部苦しみに悶えた呻き声に変わる。
 嘘なのだと、夢なのだと思いたかった。でも感じる痛みは本物で、どうにもならない苦しさに喉を掻きむしるけど、そんなことではちっとも楽にならない。


 イタイイタイクルシイイタイクルシイイタイイタイイタイ!
           コワイ・・!
           タスケテッ・・!!


 でも、シスターは何も云わなかった。
 ナイフを掲げて、ただ私を見下ろすだけ。
 その貌が、・・・歓喜と興奮で醜く歪んだ笑みが、まるで泣いているみたいで。


 なにがほんとうか、わからなくなった。


 やさしくしてくれたこと、全部ぜんぶ嘘だったの?
 本当は私のことが嫌いなのに、私にギアスを、名前をくれたの?
 それとも私がいい子じゃなくなったから嫌いになったの?
 ・・・・そんなこと・・ないよね?
 だってシスターは私のこと叱ってくれたもの。
 本当にどうでもいいのなら、叱ってなんてくれないでしょう?
 ねぇ、シスター・・・・・


 私が必死に伸ばした手は、だけどあっけなく振り払われる。
 左の胸に押し当てられた刃物の感触。それが私の中に沈む感覚。凍るように冷たく、焦げ付くように熱い、その刹那。
 コツンとおでこが当てられて、視界がグラスグリーン色の瞳でいっぱいになった。
 後悔も涙もない、シスターの瞳。




「これでやっと、あの方の元に・・」




 震えた声が顔を擽る。でも言葉の意味を理解するより先にグラスグリーンが翳んできた。
 痛くて、息ができなくて・・・苦しいのは全然引かないのに、頭の中はどんどん真っ白になっていく。
 死ぬのかな、と思った。
 シスターの答えを聞きたいと思っているのに、目を開けていることさえできなくなって。




 だけど意識が途切れる寸前、ありがとう、と聴こえた気がした。




















 ぼんやりと瞼を上げると、視界いっぱいに黄色が広がった。
 薄暗い教会の床にシスターの亡骸が横たわっているものだとばかり思っていた私は何度か瞬きを繰り返して、それが抱き枕にしていたチーズ君であることにようやく 気がついた。
 今までの光景はすべて夢だったのだ。過去の出来事そのままの。
 憎らしいことにCの世界で記憶のバックアップが完璧に行われてしまうから、過去の出来事を夢に見ることはよくあった。・・・もっとも、目が覚めるまで夢だと気付かない ことは稀だったが。


 悪夢にもほどがあるだろうと自分で呆れる。特に、        コードを継いだときの記憶なんて。


 だるい身体を起こしてベッドから降りる。
 すでに陽は高く、切り取られた窓枠の向こうには少し彩度が落ちた青空が広がっていた。
 クラブハウスにあるルルーシュの部屋から学校の授業風景は見えない。今は校舎と寮を行き来する生徒やクラブ活動中の生徒の姿も見えないから、 おそらく授業中なのだろう。整然と美しく、しかし人工的な冷たさで固められた建造物の集合体。この中のどこかで現在の契約者も授業を受けているはずだ。
 私は長く生きた。科学の飛躍的な進歩に違和感を感じるくらい、長く生き過ぎた。
 だから、もう充分だろうと思う。
 死ねない身体で数百年足掻いてみたが、今度こそ願いが成就しそうな契約者を見つけた。生きる理由を持ち、私に依存しなくても自我を保っていられる契約者を。
 あとは植えつけたギアスが育つのを待つだけ。一年先になるか十年先になるかは解らないが、そんな時間など、私が生きてきた時間と比べれば 瞬きするのと同じくらい短い。
 最期のときを想って、眼を閉じる。
 現在の契約者は冷淡のように見えて、その実かなりの激情家だ。自分にまったく関わりがない他人には淡白なくせに、少しでも関わりがあった人間には 感情的になれる。特に怒りや恨みといった攻撃的な感情は隠せない坊やだから、ただの共犯者に過ぎない私にも盛大に恨みを向けてくれるのだろう。 それが楽しみ、ということは断じてないが、不老不死の宿業を引き受けてもらうのだから、それくらいは受け止めて然るべきだと覚悟している。
 憐れな、私の可愛い契約者        もしかしたらシスターもこんな風に想っていてくれたのかもしれない。ありがとう、と云い残した彼女だから・・・。
 そんな彼女からコードを継いだ私も、もう少しで彼女の元に逝ける。


 そのとき、私は最期に、ルルーシュへ何を云い残せるだろうか。












『コバルトブルーの向こう』




2011/ 4/ 4 up