春色の花嫁 黒馬で駆ける女のうしろを追いながら、ルルーシュは風を感じていた。 世界の三分の一を支配する大帝国の副宰相である彼の移動手段はもっぱら皇族専用車であるし、ナイトメアの操縦もできないことはないが、やはり一番風を 感じることができるのは自ら馬を駆るときだとルルーシュは思っている。 愛馬が地面を踏み締める振動と、掻き乱された草花が靡き揺れる音。 眼前に広がる風景。 ルルーシュより前に出て馬を駆るのは後も先も母親か親友くらいだろうと思っていたのに、いま揺れている美しい若草色はそのどちらとも無関係な色彩だ。 陽のひかりをたっぷりと浴びてキラキラ光る許嫁の頭を視界の隅に入れ、ルルーシュは意外と高揚している胸のうちを確かに自覚していた。 かの許嫁に引き合わされたのは、ほんの数日前のことである。 執務のため皇宮へ向かおうとしたルルーシュが、「マリアンヌ様がサロンにてお待ちでございます」と執事に引き留められたところからすべては始まった。 当然ルルーシュは訝しんだが、ここで無視して執事が母親に責められるのは可哀想である。どうせ大した用事でもないだろうと高を括ったルルーシュは仕方なく サロンに向かったのだが、しかし母親から「今日はアリエスで過ごしなさい」と笑顔で命令された時点で、碌でもないことに巻き込まれるのだと悟ってしまった。 嫌なことにその予感は的中し、何でも 『海の向こうから貴方の許嫁やって来るから、今日は離宮で相手を務めなさい』 というのが理由だという。 唐突も唐突すぎる話に、ルルーシュは激昂して抗議した。 許嫁がいるなんて初耳だ。それに、許嫁に限らずだれか来訪の予定がある場合はせめて数日前にそう伝えてもらわなければ困る、と。 しかし今さら何を云ったところで許嫁とやらが来てしまうことに変わりはないし、かなりブッ飛んだ母親の性格も直るはずがないと充分理解していたため、 本日決済の案件のうちのどうしても急ぐ2件については電子メールで自室のパソコンに転送してもらわなければ・・などと、母親に抗議する一方で仕事の予定を立て直していた。 時間的にも精神的にもまったく余裕がなかったルルーシュは、自分の置かれた状況に怒りさえ覚えた。 なのに 癖ひとつない、春の訪れを思わせる若草色の髪。 蜂蜜を溶かし込んだような色合いの、大きな瞳。 ふっくらと柔らかそうな肌は上質な白磁。 通った鼻筋。 ほんのりと薄紅に色づいた頬や果実のような唇は甘やかで。 細い手足が華奢な身体をさらに弱々しく印象づける。 名高い職人が丹精込めて作り上げた人形よりも美しい、少女。 その、振り返った先に見止めた彼女に、ルルーシュは目を奪われてしまったのだ。 「風が気持ちいいなぁ、ルルーシュ」 馬を下りて伸びをする許嫁に倣って、ルルーシュも馬を下りた。 アリエスの離宮に面する森を抜け、やって来た野原。背丈の短い草花が広大な大地を埋め尽くし、右を向いても左を向いても空の青と草花の緑しかない。 正面には湖が広がっているが、湖面が青を映すから、ほぼ空と同化していた。黒馬が寄って、水を飲んでいる。 愛馬の手綱を放し、地面に直接座り込んだ許嫁がしばらくここで休憩するつもりなのだと察したルルーシュも自らの白馬を解放して、無言で女の隣に腰を下ろした。 その、人間らしさの欠片もない文字列が、傍らに居る女の名前だ。 可憐でおとなしそうな外見とは裏腹に、威圧的で遠慮を知らない性格だった彼女。 当然のごとく、ルルーシュは彼女と衝突を繰り返した。 『見惚れて挨拶の言葉ひとつ云えないとは、呆れた坊やだな』 初対面の一言目にこう鼻で笑われたたのだ、負けず嫌いで完璧主義のルルーシュがブチ切れるのも無理はないだろう。 それからは顔を合わせるたびに辛辣な言葉の応酬を繰り返している、というわけだ。 ・・・・・何故か、次第に警戒心だけは薄れていって。 今日は遠乗りまで付き合っているけれど。 「ああ・・・」 昨日、故郷から届けられた愛馬と再会したC.C.は、遠乗りに出掛けたいと突然云い出した。 乗馬は母親の得意分野であるから、てっきり一緒に行くと名乗りを上げると思っていたのに、その母親がルルーシュをお供に指名したのだ。 副宰相という役職は半端なく忙しいというのに、3日置きくらいの間隔でC.C.の暇潰しの相手をさせられるのだから、堪ったものではない。 それでも結局はこうして付き合ってしまうのだから、そんな自分に呆れるしかないのだ。 「ふわぁ・・・眠い・・」 ふと聞こえた呟きに隣を見遣ると、瞳を閉じたC.C.が上体を後ろに倒すところだった。 制止する暇もない。 C.C.はそのまま草の上にごろんと寝転がる。たぶん、汚れるとか虫がいるとか、そんなことは全然考えていないのだろう。 幼いころは妹もお転婆で、よく異母妹と3人で離宮の中庭を走り回ったり寝転がったりしていたけれど、さすがに近年は彼女たちも歳相応のレディとして振舞っている。 それなのに、大公令嬢であるC.C.の、この自由奔放な行動はどういうことだろうか・・・? ルルーシュは、あどけない寝顔と草の上に散る美しい髪を信じられない心境で見下ろす。 そのときC.C.がフフッと柔らかくほほえんだものだから、余計に目が離せなくなってしまった。 「ここはいいところだ。広くて、穏やかで、・・・だれも私を縛りつけない」 眩しそうに薄眼を開けたC.C.が、首をほんの少し回してルルーシュの方を向く。 咄嗟に視線を外した。 しかしずっと寝顔を眺めていたことはバレていたようで、坊やだの何だのと揶揄する声は止む気配がない。 心なしか楽しそうに聞こえるのは気のせいだろうか・・・? 熱が引かない頬を隠すためにルルーシュはグッと耐えて顔を背けていたけれど、肩を押さえ付けられるような感覚に、思わず振り返る。 見れば、ルルーシュの外套を頭の下に敷いてC.C.が寝転がっていた。 しかもうまい具合にルルーシュが陽よけになっている。 C.C.のことだからそう計算して転がり込んできたのだろうが、世界の広さに反して身を寄せ合っているこの状況は何だかひどく滑稽だ。 「・・・・風邪、引くなよ?」 けれど、無理に手を伸ばさなくても触れられるこの距離感は驚くほど自然で。 指に絡ませた前髪は想像よりもずっと柔らかくて。 見上げてきた蜂蜜色に、逆に心を絡め取られたような気がした。
『春色の花嫁』 皇子と姫で許嫁パラレル 2010/10/19 up |