思い描いた明日のつづきを


 ここで、お前たちと      ・・・






   おやすみ、よい夢を






 ダイニングテーブルで本を読んでいたルルーシュは、いつのまにか室内が静寂に包まれていることに気がついた。
 幼いわが子がつい先ほどまでぬいぐるみ相手になにやら熱心な様子で話していたはずなのだが、一体どこに行ったのだろうか。
 決して静かではない子どものひとり遊びに多少辟易していたルルーシュではあるけれど、愛おしくもある元気な姿が見えないという状況は これまた不安が募るもので、勝手に外へ出てはいけないと強く云いつけているにも関わらず湧いてくる疑念に我慢がならなくなったルルーシュは、 落ち着かない気分で腰を上げた。そしてまずは屋内を探そうと寝室に向かいかけた、そのとき。
 探していた幼子は意外とあっさり見つかった。
 幼い子どもというのは、ぜんまい仕掛けのおもちゃのようで。
 遊ぶだけ遊んでパタリと眠ってしまったらしい小さな生命をソファーの上に確認して、ルルーシュはそっと息を吐いた。ダイニングテーブルからだとソファーの背もたれが 邪魔をして姿が見えなかっただけ。たったそれだけのことに動転した自身に対する呆れの現れであり、同時に、心配が杞憂に終わった安堵の表れでもある。
 ルルーシュはソファーの隅に腰を下ろし、小さな頭をそっと撫でた。
 チーズ色のぬいぐるみに抱きついて眠るその寝顔が可愛くて、ほんの数秒ほど前まで感じていた焦燥がきれいさっぱり消え去っている自身に 失笑を禁じえない。
 ナナリーに感じていた庇護欲とは少し違う。けれどもそれを何倍も濃縮して、しかし自由意思が損なわれなよう留意して、そこに父親としての尊厳を加えつつもC.C.の独占権を かなり奪われていることに多少妬いたりしながら形成される想いのカタチは、やはり        『愛』だ。
 お前は本当に愛し上手だなぁ、とC.C.に揶揄っぽく云われたのはつい最近のこと。
 ・・・そう云うC.C.もずいぶんと幼子のことを溺愛しているようにルルーシュは感じているけれど。


(例えば、・・)


 例えば、いま幼子がしっかりと抱きしめているぬいぐるみ。
 元から危機管理が甘いC.C.をさらに無茶な行動に走らせる原動力にもなったぬいぐるみは、今ではすっかり幼子のものである。だからといってC.C.が気分を害している 様子はなく、むしろ以前は断りもなく洗濯をしようものなら憤慨していたというのに、幼子がぬいぐるみと戯れるようになってからはC.C.自ら、しかも結構マメに 洗濯するようになったのだ。
 この劇的な変化にはルルーシュも開いた口が塞がらなかったが、C.C.を見ていると『母親になるというのはこういうことなんだろうな』と思える出来事が日ごとに増えていく のだから驚きである。
 他にも、一晩にきっちり5回も空腹を訴えて泣く乳児を放置しなかった辛抱強さだとか、もっとピザを食べたいと強請る幼子に腹が痛くなっても知らないぞと 釘をさしながらも分け与えてやる寛大さだとか、とにかくC.C.を見直す機会が増えたことは確かで。
 成長しないはずの自分たちが幼子に成長させられているような気がして、その不思議な可笑しさからルルーシュの口元は自然と緩んでいく。




「・・・ルルーシュ?」




 なにニヤニヤしているんだ、気持ち悪い。ゆったりとした時間を楽しんでいたルルーシュの頭上かた唐突に響いた涼やかな声に顔を上げると、 大きな籠を抱えたC.C.が目の前に立っていた。外に干していた洗濯物をようやく回収し終えたのだろう、籠からはシーツや衣類の端が覗き、陽光をたっぷり浴びた 洗濯物のやわらかな匂いがふわりと漂ってくる。
 ひどい云われようには正直ムッとしたが、それ以上のものを感じたルルーシュは目を細めた。
 唇からは思いがけなく感慨深い声が零れる。


 嗚呼、本当に       ・・




「母親らしくなったな・・お前」




 それを聞いたC.C.はきょとんとルルーシュを見返した。
 しばらくそうしていたC.C.は、しかし何を思ったのか籠をドサリと床に置き、ソファーの肘掛けに腰を下ろすとルルーシュの頭をよしよしと撫で始める。
 そして終いにはこんなことを云うのだ。


「不安全開だったくせに・・・お前こそ立派に父親をしているじゃないか」


 その言葉が記憶に波紋を投じて、情けなくも懐かしい想い出が呼び覚まされた。
 あれは妊娠が分かったとき       ・・




 『あの男を憎んでいる俺が・・父親として、やっていけるかどうか・・・』




 ルルーシュが真っ先に感じたのが不安だった。
 シャルルと同じ過ちを犯してしまうかもしれない。そんな懸念が頭から離れなかった。
 良き見本はいない。そんなもの、記憶を隅々まで探しても見つからない。兄としてでも、友としてでも、男としてでもない関わり方なんて想像がつかなくて、 結構本気で途方に暮れたものだ。
 ほしかった愛のカタチをそのまま体現してやればいい、とC.C.に云われてからは、ずいぶんと気が楽になったけれど。


「不安になる暇もなかったからな」


 実際に子どもが生まれてからは毎日が驚きと歓びの連続だったから、些細な不安なんて真面目に考えている時間さえなくて。そして気付けば父親としての自分が確立していた、 というわけだ。
 もちろん、そこに誰の力添えがあったのか、ルルーシュは充分に理解している。
 だからルルーシュはC.C.の腰に腕を絡め、自身の膝の上に導いた。


「・・・なあ、この子に弟か妹をつくってやらないか?」


 穏やかさを保ったままの瞳にほんの少しの熱と甘さを忍ばせて、琥珀色の双眸を覗きこむ。
 しかし蜂蜜が蕩ける気配はなく、C.C.は不思議そうに小首を傾げるだけで。


「うん? この子がほしがってたのは下ではなくて上だろう?」
「・・・それは無理だとふたりで散々説明したはずだ」
「ふふっ、お前にしては諦めが早かったよなぁ」
「茶化すな。・・・大切なのは、上でも下でも、・・とにかくひとりよりも学ぶことが多いってことだろ」


 分かってるクセに。眉根を寄せながら云ってやれば、C.C.はクスリと妖しく笑った。
 確信犯であることを高らかに告げる貌。       その、男を惑わす魔女然とした艶やかな貌は、いまではルルーシュだけに見せる女の貌だ。
 弧を描く薄紅色の唇がゆっくりと寄せられ、細い吐息が耳元をくすぐる。既視感を覚えたので記憶を探ってみれば、遥か昔にアッシュフォード学園の屋上で そっと耳打ちされたことを思い出した。
 そんな感じですっかり油断していたものだから、時間切れだ、と囁かれた瞬間にギクリと鼓動を跳ね上げたルルーシュは、振り返った先に目を擦りながら ムクリと起き上がる幼子を見止めて身体を強張らせた。C.C.を膝にのせたままであることに多少の気まずさを覚えたというのもあるし、 それより何より幼子の昼寝の邪魔をしてしまったことへの焦りが大きい。
 突然、幼子がくしゃりと貌を歪めたのだ。その目には見る見るうちに涙が溜まり、ふぇぇ・・などと泣き声まで漏れる始末。
 眠り足りない子どもほど手に負えないものはない、と。
 子育てが楽しいばかりではないことをしっかりと思い出させてくれた幼子をとりあえず再度寝かしつけるため、ルルーシュが腕を伸ばしかけた、そのとき。


「ほら、おいで」


 ルルーシュの腕の横から白い両腕が伸びた。
 幼子はぬいぐるみを乗り越えて母親の胸に飛び込む。あぁ、こわい夢だったな。落ち着きとやさしさに彩られた声に安心した幼子は、火がついたように泣きじゃくり始めた。
 小さな身体をしっかりと包み、トントンとやさしく背を叩くC.C.。
 そんな、“ 母親 ”の姿を見せつけられるたび、ルルーシュがC.C.に何度敗北感を味わったことか。そもそも何故こわい夢を見たと分かったのか、そのあたりからして ルルーシュには理解不能である。


 それでも        ・・・




 『お前の子が、私のところに来てくれたんだぞ? 愛しくて堪らないに決まっているじゃないか』




 真っ先に不安を感じたルルーシュとは対照的に、C.C.はひどくしあわせそうに微笑んだから。
 幼子に関しては、おそらくルルーシュは一生C.C.に勝てないのだ。


 ルルーシュはめいっぱい腕を伸ばし、C.C.ごと幼子を抱きしめた。
 直接ルルーシュに抱きしめられたC.C.は少し驚いたような貌をして、しかし意図を察したのか、すぐに幼子をぎゅっと抱きしめなおす。そのまま時間は穏やかに過ぎて、 C.C.がルルーシュの肩に頭を凭せ掛けるころには、幼子はすっかり寝息をたてていた。


 守りたい、と思う。
 己のすべてを賭してでも、必ず。
 はじめはナナリーのためだけに動き、次第に友人・仲間のため、世界中の人々のためと拡がってゼロ・レクイエムまで至った、大切なものを守りたい気持ち。 それがいまは幼子とC.C.に集約しているだけの話だ。
 ゼロ・レクイエムによってすべてが贖われたわけでも、犯した罪を忘れたわけでもないけれど・・・。




「おやすみ、ルルーシュ」
「待て、お前まで寝る必要はないだろ。洗濯物を畳むとか、することはまだ残・・」
「だがなぁ・・・・夜は寝かせてくれるのか?」
「は?」
「この子に弟か妹、つくってやるんだろう?」
「・・・、・・だからといって昼寝をする口実に利用するな。それとこれとは話が別だ」






 大切な者たちと共にある明日を
 溢れんばかりの笑顔を
 いまは、        願って止まないのだ。












『おやすみ、よい夢を』




2010/ 5/18 up