名もなき花園の調べ 世界の中心と謳われるブリタニア皇宮の敷地内には、名の知れた庭園が多く存在する。 その中でも一番美しいとされるのはエグゼリカ庭園であるが、本宮から乗馬を楽しむのに丁度よい位置にあるため、ちょっとした息抜きに出掛けるには 少し遠すぎるのが玉に瑕である。 一方、空間を機能的に区分したり効率よく採光するために複数の棟に分かれて建造されている本宮には必然的に内庭も多く、しかし庭園と呼ぶにはあまりに拙いため、 名すら与えられていないところがほとんどだった。 今ルルーシュとC.C.が居るのは、その内庭のひとつだ。 面積こそエグゼリカ庭園に及ぶはずもないが、そもそも比較対象が桁違いに広すぎるのであって、この場所も単なる内庭とはいえ十二分に広い。 きちんと手入れの届いている四季咲きのバラは見事なもので、それが内庭を埋め尽くすように植えられているのものだから、バラ園さながらである。 「“ マリアンヌ ”」 木バラの茂みが目隠しになるような位置。大部分が土と芝で覆われている内庭の中で、そこだけは整然とレンガが敷かれ、ささやかなガーデンテーブルセットが据えられていた。 そこでC.C.の怠惰に付き合わされていたルルーシュは、ふと思い出したようにC.C.が口にした母の名に釣られて、手にしていたティーカップから彼女へと視線を移した。 「・・・・・母さんがどうした?」 当初の予定では、ルルーシュはジェレミアと共に元地方貴族の反乱を平定するため辺境へ向かっているはずだった。 しかし、戦火が下火になりつつあるとの報告を受けて急遽すべてをジェレミアに一任することになったものだから当のルルーシュは時間に余裕ができてしまい、C.C.が どうしても食べたいと譲らなかったイチゴのタルトレットを何故か手ずから焼き上げて、今に至っている。 そんな折に出た、故人の名。 緩く細められた琥珀色の眼がなんとなく夢でも見ているかのような気配を濃厚に漂わせているため、まさか俺を母さんと間違えているってことはないよな・・などと 少しだけ疑いつつ、ルルーシュはC.C.の様子を窺った。 目の前の男が視線を注いでいることに気付いているのか、いないのか。一方のC.C.は優雅にティーカップを傾ける。やがて空になったカップを無言でルルーシュに 差し出した彼女は、やはり無言でおかわりの催促をして、ルルーシュが眉根を寄せながら紅茶を淹れ始めたのを確認してからようやく口を開いた。 「いや、この内庭の名だ」 銀のフォークがイチゴに狙いを定める。瑞々しい果肉にフォークの先を引っかけ、躊躇うことなく口内へ招き入れた瞬間にほんの少しだけ表情が緩んだのは、 ルルーシュの見間違いではないだろう。 「尤も、シャルルがそう呼んでいただけで正式なものではないが」 「・・・・・あの男が・・?」 父の名が出てきた途端に眉を顰める息子。その、なんとも解りやすい反応にクスリと笑んだC.C.はタルトレットを攻略する手を止め、不意に視線を巡らせた。 色も種類も多彩なバラの中、一際鮮やかに咲く深紅のバラに眼を留める。 砂時計を気にしながらも視線を追ってきたルルーシュがその大輪を見止めたことを知った上で、「マリアンヌみたいな花だろう?」とC.C.は続けた。 同時に引き攣る、ルルーシュの口端。大輪を見つめていたはずの瞳は閉ざされ、眉間には手が添えられる。さらには信じられないとでも云いたげな声で「まさか・・」と 呟いたものだから、C.C.は遠慮なく「そのまさかだ」と返した。 マリアンヌをバラに喩えたのは他でもない、シャルルである。 平民出ながら皇帝直属の騎士にまで昇進し、閃光と綽名されたほどの天賦の才。外見はおっとりと優しく女性的であるのに、中身は野生の獣並みに気性が激しくて、 しかし神殺し計画に賛同できる超感覚を備えていた。まさに、迂闊に近寄らない方が身のためである女性 今でも単なる呆れで済ませられる。だがその息子はそうでもなかったらしく、ルルーシュはいまだに微妙な表情を浮かべていた。 恐らく、記憶の中で固定されている冷たく険しい父のイメージと、話の中のシャルルとが噛み合わなかったのだろう。 「まぁ、ある意味理想的な関係だよ、あのふたりは」 主従で、同志で、夫婦で しかしそんな夫婦の姿も、子どもには見えにくいのがお決まりで。 「特に坊やのお前には見えてなかった面がたくさんあるのさ」と言外に含ませて、C.C.は揶揄するようにルルーシュを見遣った。 するとどういうわけか皮肉だけは正確に読み取るらしいルルーシュは拗ねたように顔を歪めて、それでもきっちりと時間を計って蒸らした紅茶をカップに注いだ。 やわらかく漂う紅茶の香りは必死にルルーシュを宥める。・・が、効果はあまりなかったようで、音を立てずにカップをソーサーへと戻した彼は無言で 席を立ってしまった。 残されたのはC.C.と淹れたての紅茶、それからルルーシュ手製のタルトレットだけ。 「・・・相変わらず器が小さい坊やだな」 一応黙って背を見送ったC.C.は、思わずぽつりと零した。 催促して淹れさせた紅茶にも手をつける気になれず、フォークを皿に戻して頬杖をつく。 先ほど“ マリアンヌ ”と称した深紅のバラをぼんやりと横目で眺めて、しかし不意に掠めたバラの鮮烈な香りにハッと我に返った。 「なっ、・・ルルーシュ?」 「いいから、じっとしていろ」 いつの間にか戻っていたルルーシュが傍らに立ち、左耳の上あたりの髪を弄り始めたのだ。 痛みを感じるほどではないものの、ツンと引っ張られる感覚が擽ったくて、C.C.はそのままバラを眺めることで遣り過ごす。 やがてルルーシュが離れたのを合図に視線を正面へと戻せば、視界の左端に不自然な物影が映り込んでいた。 「何だ?」 「っ・・おい、触るな!」 パールピンク色のそれに触れた直後にルルーシュがC.C.の手を阻んだため、じっくりと確かめることはできなかったが、指先が感じ取ったそれは幾重に折り重なった 布の断面のようで、しかし独特の硬さとしなやかさと指触りが布ではないことを告げていた。 「・・・・・・バラ・・?」 いまだ手を握ったままのルルーシュに上目遣いで問うと、彼は言葉を詰まらせながらも肯定の意を返した。 なるほど、C.C.の髪にはまったくと云っていいほど癖がないから、髪を一部でも編み込まないとバラを挿せなかったのだろう。 しかし、何故バラを?とC.C.が訝しそうな眼を向けると、しばらくその視線に耐えていたルルーシュは、終いに「お前にはこの色の方が似合う」 などと突拍子もないことを口にしてC.C.を驚かせた。 「・・・・・」 「・・・・・」 まさか、懐古に浸って眺めていただけの深紅のバラを、贈られたいと思って見ていたとでも勘違いされたのだろうか 心が震えるほどの歓喜を、確かに感じているから。 「・・・成長したじゃないか、坊や」 C.C.はフォークに刺したイチゴを「お礼」とばかりにルルーシュへと差し出した。 ありとあらゆる花が咲き乱れる、広大なブリタニア皇宮。 バラを楽しむのであれば此処と云われ、先代からは最愛の皇妃の名を賜った内庭に、ふたり。 眦をほんのり染めたルルーシュの口の中では、さぞかし甘酸っぱい味が広がっているに違いない。
『名もなき花園の調べ』 ふたりだけの時間もあったはず 2009/ 5/ 2 up |