Lascia ch'io pianga




 その町の傍を通りかかったのは、正午を少しまわった頃だった。
 丘陵の斜面に沿うようにして広がる町の最奥部には、この町を管理している長の家と思しき立派な館が佇んでいる。民家の数は40軒前後で、くすんだ白色の外壁を 覆う蔦は燃えるような赤に染まり、彩に欠いた小さな町に華やかさを添えているものの、民家の間を縫うように敷かれている道はかろうじて車が通れる程度の幅しかなく、 舗装すらされていない       これらの点に関しては、今まで素通りしてきた村や町と何ら変わらない田舎町であった。
 普段であれば眼もくれずに通り過ぎていたかもしれない、小さな町。
 しかし人の賑わいが尋常ではなく、また、町外れの草地に停められた高級車や町の外にまで並ぶ屋台を見れば、少なからず興味は湧くもので。おまけに チーズ特有の香りがふわりと漂ってきたものだから、C.C.は当然のごとく「寄る」と主張した。
 ルルーシュは半ば呆れながらもぬいぐるみを預かり、ブドウの木の傍に身を隠すように腰を下ろした。もちろん、「早く戻ってこい」と釘をさすことも忘れずに。・・・だが、 本当に5分と経たないうちに戻ってきたら戻ってきたで、ルルーシュは不信感全開の貌でC.C.を迎えた。失礼なやつだな、とはC.C.の第一声だ。それでもC.C.は あまり気にした様子も見せずにルルーシュの腕をとり、町へと促した。
 必要以上に人前に出ることを良しとしないルルーシュは、当然のように怒り混じりで抵抗した。
 ここでルルーシュを見た者が『悪逆皇帝が生きている』などと騒いでは厄介なのだ。その場では他人の空似として誤魔化すことができたとしても、噂が立つだろう。 悪逆皇帝に対する怨恨がいまだ深く根を下ろしているからこそ、その噂が世界中に広まることは必至で、纏まりかけている世界に再び混乱を呼ぶ火種となりかねない。 そうなれば悪逆皇帝を屠ったはずのゼロにも追究が及ぶかもしれないし、ゼロの傍らに立つナナリーや、補佐役のシュナイゼルたちにも何らかの形で影響を 及ぼすかもしれないのである。この大切な時期に、軽率な行動は断じて避けるべきである・・と、ルルーシュは断固として拒否した       はずだったのに、 C.C.が「絶対に大丈夫だ。だれがお前になど興味を示すものか」などと言うものだから、ルルーシュもつい重い腰を上げてしまった。
 C.C.の危機管理能力が欠乏していることは明らかである。しかし、ひとりで勝手にどこへでも行ってしまう行動力がある反面、眼を離せないほど危なっかしい少女が自ら、 ルルーシュも共に、と誘ったのだ。それを断り切れない甘さを悔みながらも、ほっと息を吐くような安堵を覚えているのも確かだったから、ようやく町に足を踏み入れる ことにしたのである。




 町に足を一歩踏み入れた時点で、C.C.は町の浮かれた雰囲気を察していた。
 溢れる人々はワインに夢中になっていて、明らかに部外者であるC.C.に無反応なのである。それでもきちんとした確証がほしいと、ワイングラス片手にふらついていた 青年を捕まえて問いただしたところ、今日はぶどうの収穫祭2日目であり、村の入口から広場を経て村長の館に至るメインストリートの随所でワインの試飲が できるのだという情報を手にした。
 なるほどな、とC.C.は納得する。
 この町の収穫祭はこの地方では有名だそうで、町長が晩餐会に招待した客以外にも多くの人が集まるというのだ。町民以外の人で溢れているのだから、 C.C.だけに対して警戒の眼が向けられるはずがない。それなら、ルルーシュも        ・・・
 納得するや否や、C.C.は来た道を戻っていた。先ほどの青年が後ろから「一緒に廻ろう」としつこく声を掛けてきたけれど、完全に無視して。
         それよりもルルーシュだ。暇を持て余している男はきっと今ごろ、空を見上げているに違いない。想い描くのは遥か彼方で生きる妹か、 それとも親友か・・・・・いずれにせよ、C.C.が干渉できることではなかった。ルルーシュの思考はルルーシュだけのもので、余計な口を挟む隙を彼は与えてはくれない。 でも・・それでも、C.C.の存在すら認識してくれない遠い瞳を見ると、胸が痛むから。心の整理はついていると解っていても、不安になるから。だから、どうしても 声を掛けて、思考を中断させてしまうのだ。
 妙なところで臆病な性質が抜けていないと自嘲することもあるが、それだけでは何も変わらない。
 だから、C.C.はC.C.なりに変わろうと決心したのである。




 渋る男を引きずって戻ったときには、アルコールの作用か、町の空気はまた一段と陽気さを増していた。
 さすがにルルーシュは軽く変装をしていて、グレーのカラーコンタクトを着用している。至上の紫が姿を隠すだけでこれほど印象が変わるとは・・とC.C.はこっそり ルルーシュの様子を窺ったものだが、当の本人は気が気でないらしく、目深に帽子を被っていた。
 北上したことで不釣り合いになったストローとバーターしたばかりの、黒のセンタークリース。ストローの鍔が幅広だっただけに顔隠しとしての効果半減に 難色を示していたルルーシュだったが、C.C.が「チーズくんとお揃いだな」と云った途端、殊更嫌そうな貌をした帽子だ。
 警戒心剥き出しではかえって怪しまれるだろうにと思いながらも、C.C.は口にしなかった。
 不老不死であるが故に護身についてはさして関心する必要がなかったC.C.だが、幾度となく殺されてきたからこそ、害意を持つ人間の気配には聡い。 注意すべきはその一握りだけで、ルルーシュのように無闇に神経を尖らせるのは疲れるだけなのだ。これだから坊やは・・と苦笑して、それでもいつか気付くのを気長に 待てばいいとC.C.は考えた。
 こういうことは身体で覚えるものだからだ。
 頭脳派のルルーシュにとっては苦手分野だろうが、こればかりは言葉を尽くしてどうにかなる問題ではない。たとえC.C.とルルーシュが空気で会話できても、だ。
 だからそれまでは無為に撒き散らされる警戒の尖りによって逆に集めてしまう警戒の眼を去なす役に徹しようとC.C.は決めていた          のであるが・・・・・








 収穫祭で振舞われたワインは美味しかった。若い白はきりっと辛口、赤は思わず顔を歪めてしまうくらい渋かったが、年を重ねたものはそれなりに楽しめたし、 何より醸造したての、濁っているけれどまだジュースのようなワインは美味しい上に呑みやすく、つい多めにいただいてしまったほどである。
 本当に良質のワインを選定するための試飲であれば、舌を鈍らせないためにも飲み下すべきではないのだろう。しかし祭に集まった大半の人間が酔うことを前提で 町に来ているのと同様、C.C.も気の向くままにグラスを空けていった。 屋台に並ぶチーズも種類が豊富で、C.C.は特にエポワスとアフィネ・オ・シャブリが美味しいと思ったのだが、強い香りに中てられたルルーシュが「それだけはやめろ」と 本気で抗議してきたものだから、それ以降は仕方なく香りにクセのないチーズを選んで食べることにした。
 一方、ワインは料理に使う程度、普段は甘めの発泡性ワインを一回にグラス2杯ほどしか呑まないルルーシュの、ワインの嗜好だけはC.C.と似たようなものだったので、 これは呑みやすいだの、これはバニラの香りがいいだのと呑み比べていくうちに、彼もかなりの量を摂取してしまった。
 そして、日が暮れるころにはふたりともしっかりと酔っていて。
 いまだに賑やかなメインストリートから逃れるように逸れ、休める場所を求めて彷徨った末にたどりついたのが、町外れの教会堂だった。
 扉の横に置かれた木箱の中には厚手の毛布が数枚入っていて、自由に使っていいとの張り紙までついていた。おそらくルルーシュたちと同じような 境遇に陥る者が毎年必ず出るのだろう。埃っぽい毛布だったが、キンと冷え切った教会堂内で夜を明かすことを考えれば、非常にありがたい施しだ。それを 1枚借りて木製の扉をそっと押し開くと中にはすでに数人の先客がいて、それぞれ思うように過ごしていることが生き物独特の丸みを帯びたシルエットから窺えた。 ただ、寝ている者が大半のようで、大小の寝息や鼾だけが堂内に響いている。
 扉が開いた瞬間からじっと一点を見つめていたC.C.は、ルルーシュに手を引かれて堂内に足を踏み入れた。ぎしぎしと、いかにも古そうな悲鳴を上げる床は板張りだ。 それでも極力音を立てないように中央の通路を通り、左右に分かれているうちの右手側、10列ほど並んだ長椅子の最後列に、ふたり並んで腰掛ける。
 翼廊も側廊もない、簡素な造りの古い教会堂。
 壁とほぼ一体化した柱が支える交差ヴォールトの天井だけが教会堂らしい修飾性を誇示している。ステンドグラスがないどころか窓自体が極端に少なく、 しかし蝋燭一本灯されていない堂内では、正面突き当たり上部の小さな丸窓から注ぐ月のひかりだけが唯一の光源となっていた。
 そのひかりを受けているのは、故意か偶然か、台に据えられた聖母子の彫像だ。
 背もたれも肘掛けもない椅子に浅く腰かけた若い母親が軽く頬を傾け、左腕に抱いた我が子を見つめている。めずらしいことに、布に包まれた子どもは嬰児ではなく 赤子のようだが、彼女の右手が子どもの顔に触れる直前であるかのような格好で形作られているため、かえって女性の手の繊細な美しさと我が子に対する愛おしさが 感じられた。纏った衣服やマリアベール、赤子を包む布の質感表現や皺の寄り方にも不自然さがなく、今にでも静かに動き出しそうである。
 我が子を抱き、やさしくほほえむ母の姿。
 マーブル独特の白色にやわらかな月光が落ちて、本来であれば冷たいはずの彫像に暖かみが灯っていた。それがまた神秘的で、眼を奪われる。
 寝起きの気だるさにも似た甘やかな疲労感に酔うC.C.には、彫像の聖母が記憶の中のシスターと重なって見えた。
 まだ幼かった少女にとって彼女は良き話相手であり、親身になってくれる姉であり、やさしい母でもあったのだ。 だからこそ、最後に彼女が見せた醜く歪んだ貌を、よく夢に見た。狂喜と嘲りと憐みと・・そして哀しみに満ちた貌は、C.C.にとって真の悪夢のはじまりを 象徴するものだったから。
         恨みがないわけではない。
 身代わりとして生きながらえた数百年を思い返せば、思わず眼を背けたくなるような出来事など、指を何回折っても数え尽くせないだろう。殺し殺され、騙し騙され、 それがどんなに絶望的な明日であっても必ずC.C.を待っているという事実を皮肉に感じて、独り寂しく嗤ったこともあった。
         でも、死にたくない、と・・あのときそう強く願ったのは少女自身だったから。
 一概にシスターばかりを責めることもできないと、今ではC.C.も分かっている。それもこれも、3ヶ月くらい前の出来事がきっかけなのだけれど。


 “C.C.・・・お前がくれたギアスが・・お前がいてくれたから、俺は歩き出すことが出来たんだ。そこから先のことは、全て俺の・・・”


 アヴァロンのナイトメア格納庫でルルーシュがくれたこの言葉に、気付かされることも多かった。
 己が弱さを擦り付けたりしない契約者を無意識に探し求めながらも、C.C.自身はシスターに関することに蓋をして、心の奥底に沈めていたのだ。これは逃げ以外の なにものでもなく、忌まわしい記憶として彼女を見ていることに他ならない。また、コードを継承してから一度もギアス教会に足を運ばなかったことも 臆病な自分を浮き彫りにする要因のひとつとなっていて、大いに悩んだりもした。
         それでもやはり、彼女がいてくれたからこそ、C.C.の今があるから。
 だから・・・・・




 ふと、緩くぬいぐるみを抱きしめていた手に暖かいものが触れて、C.C.は小さく息を呑んだ。
 肩からすっぽりと毛布に包まっている状態で接触できるのは、毛布を共有している隣の男以外にありえない。しかし意味もなくルルーシュの方から接触してくるとは 思えなくて、心臓が疼くような戸惑いを感じた。
 そんなC.C.に構うことなく、暖かくてかたい・・でも気遣いに満ちた感触はC.C.の右手を包み込む。
 まるで、C.C.を安心させるかのように。
 そのやさしさに勇気づけられたC.C.は、ようやく隣にいるルルーシュを見上げた。
 琥珀色の瞳が捉えたのは、彼の横顔だ。ルルーシュはC.C.など見ておらず、先ほどまでのC.C.と同じように、淡く光る聖母子像を見つめていた。C.C.からの視線に 気付いていないわけではないのだろうに、頑として振り返る気配を見せない。
 その姿をぼんやりと眺めていたC.C.は、すぐにすべてを理解した。C.C.が聖母子像を見つめて、何を想っていたのかということも・・・そのとき胸の中で渦巻いていた感情も・・・ 今の情けない貌を見られたくない気持ちも・・・ルルーシュにはすべて伝わってしまったのだと。
 途端に、全身から力が抜けた。
 なにをこんなに緊張していたのかと自問してしまうくらい、肩が楽になる。ぬいぐるみを抱く腕まで弛緩して、ルルーシュの手に包まれた右手までずり落ちそうに なってしまったけれど、とっさに掌の向きを変えて指と指を絡めたために心地よいぬくもりが離れることはなかった。手を繋いだまま、それでもゆっくりと落下して、 C.C.の膝の上ともルルーシュの膝の上ともつかない位置に着地する。
 絡めた手を振りほどかれることはなかった。
 そのすべてが妙にくすぐったくて、自然とC.C.の頬が緩む。
 ルルーシュとC.C.がギアス教会を目指す大きな目的は、コード解明の鍵を探すことだ。だが、それに加えて、シスターが逝った場所で彼女に今までの出来事を報告し、 そしてずっと口にできなかった感謝の意を伝えることもC.C.が抱える目的のひとつで。心境としては久方ぶりに生家へ戻って母と対面する、捨てられた娘のようなもの だが、どこまでも対等な立場の人間として接してくれるルルーシュのことを早くあれこれと話したいという欲求が強いこともまた事実である。
        シスターに逢えてよかった、と。
        不老不死の呪いが消えることがなくても、今の私はとても幸せだ、と。
 自信を持って、そう伝えることができるのだから・・・


 C.C.が再び顔を正面に向けると、永遠のマドンナは変わらずにやさしくほほえんでいた。
 その姿はどうしても、かつてのシスターに繋がっていく。
 おそらく、二度と逢うことはないけれど。
 ・・・・しかし、だからこそ願わずにはいられないのだ。




 Cの世界で、彼女も笑えていればいい・・と       C.C.は心からそう思った。












『Lascia ch'io pianga』


過去との対峙




2009/ 2/25 up