それを見掛けた瞬間、いいなと思って目が離せなくなった。
 いわゆる一目惚れと云うヤツだ。
 人の理を外れた魔女とはいえ、感情のない人形ではないから好みというものはもちろん在る。しかし人の理を外れた魔女ゆえに、どれだけ拘ったところで死んでいるも同然の生は変わらないと諦めの境地でいたから、流されるままに食べて着て過ごしてきた。ルルーシュとの出会いでその空虚な考え方は改まったけれど、一所に長く留まれない身であることに変わりはないから、余計なものは極力増やさないよう自重する日々は続いている。
 それなのに、どうしても心惹かれる。
 じっくり眺めること10秒間。アイツも絶対に気に入るから、と相方の男を言い訳にして、C.C.は奥に居た店員に声を掛けた。



 自我を取り戻したL.L.との果てなき旅は順調だった。
 たまに口喧嘩はするし、L.L.のコード継承がまだ済んではいないものの、L.L.が仮初と危惧した身体は今のところ問題なく機能している。ジルクスタンからユーロピアまでは陸路で各地を転々とし、とある街に仮住まいを構えてからはそこを拠点として何度かユーロブリタニアにも足を延ばした程である。
 世界中が見つめる中で心臓を貫かれて死んだ所為か、大した変装をしなくてもL.L.の正体に気付く者はまず居ない。
 それはトウキョウに降り立っても同じだった。
 大きい街であればあるほど一時的に居合わせるだけの他人との遭遇が多く、その一人ひとりに対する関心は低くなる。特にトウキョウは租界時代の名残でブリタニア人が多く生活しているから、物珍しさに注視されることもない。
 一方で街の様子は変わったなとC.C.は思う。
 廃墟のまま何年も手付かずだったゲットーは再興が進み、しかしお世辞にも洗練された都市計画とは云い難い大小高低の建物が激しく自己主張している。そんなシンジュクの有り様はブリタニアに屈しなかったニッポン人の姿そのもののようで決して嫌いではなかったが、ごちゃごちゃと雑多な景観の中を歩くのは久しぶりであるため、どこか落ち着かない気分を味わわされたのも確かである。
 ゼロ・レクイエム以降初となるトウキョウ訪問。      その目的は神楽耶との面会だ。ジルクスタンでの情報支援やら事後処理やら隠蔽工作やらの礼がてら、古代遺跡の情報提供を頼もうという腹である。
 しかし神楽耶の連絡先を知らないふたりは、まずシンジュクにある玉城の店に顔を出した。頼られたことが嬉しかったのかテンション爆上がりの店主を冷たくあしらい、何とか扇へ連絡を付けさせた。そこから南に連絡が行き、最終的に神楽耶の耳に入る、という算段だ。そんな回りくどい手順を踏まなくてもL.L.ならばどこへでもハッキングして連絡先から今後3年の予定まで難なく入手できるのだが、表向きは緊急性の欠片もない用事のために下手に警戒心を煽る必要はないだろうと、後々面倒なことにならないためにも今回は『人脈』というものに頼ってみたわけである。
 幸いなことに伝言ゲームは南まで順調に伝わり、神楽耶からの返答は明日改めて玉城の店に行って聞くことになっている。「2号店にも来てくれよな!」とちゃっかり場所を指定されてしまったが、ホテルからはそちらの方が近いので渋々といった風を装いながらも了承してやった。
 玉城の店を辞した後は駅隣接のショッピングモールで久方ぶりの買い物を楽しんだ。
 効率よく回るために別行動をしてよかったと思う。普段ゆっくり見て回れない店に時間を割けたのは僥倖だった。
 ホテルに戻ったのはショッピングを終えてL.L.と合流し、夕食を済ませた後だ。ここから先は寛ぐだけという気安さから、C.C.はとても上機嫌だった。
 ところで、今宵の仮住まいは一等地に建つ、名の通った老舗ホテルである。
 普段は衛生面さえクリアしていれば宿のランクはさほど気にしない。しかしトウキョウはふたりが出会った地であり離別した地でもあり、まぁ他にもいろいろとあった思い出深い場所だから、今日は少し気分を変えて過ごそう、ということでこのホテルに決めた。そんなわけだから部屋のグレードも高めである。
 部屋数こそひとつだが、クイーンサイズ2台分もの大きさがある広々としたベッドや3人掛けのソファーセット、独立したテレビボード等々、見るからに品が良い家具がゆとりある配置で置かれているのに、さらに空間に余裕があるという驚きの広さ。何ならこの中でテントだって張れるし、その隣でカレンが筋トレをしても余裕だし、さらにその隣でスザクと咲世子が組み手を始めたってまだ鬼ごっこをするスペースがある。これでスイートルームではないのだから、世の中の格差というのは本当に容赦がない。
 しかし悪逆皇帝の寝所で寝起きしていたC.C.がいまさら高級ホテルのラグジュアリーな雰囲気に気圧されるわけもなく。
 C.C.は存分に寛いでいたし、楽しんでもいた。
 ホワイトベージュのふかふかとしたカーペット、肌触りの良い清潔なリネン、ローズウッドの家具と同系色で揃えられた布小物類など、女性メインで万人受けしそうなモダンなインテリアも然ることながら、C.C.を一番歓ばせたのはバスタブ付きの広々とした浴室だ。
 ジルクスタンでの一件後、宿屋のハマムがすっかり気に入ったC.C.は風呂の時間を楽しむようになった。それまで1年以上、自我を失くしたルルーシュをひとり部屋に残して長風呂など出来なかったものだから、ゆっくりと湯を浴びる喜びに目覚めたのも理由のひとつであるし、惚れた男と距離がゼロになる機会が増したことで衛生面に一段と気を遣うようになったことも理由のひとつ。
 ともかくこの日、C.C.はすこぶる上機嫌だった。


「L.L.〜、風呂に入るぞ〜」


 脱衣スペースからひょっこり顔を出して声を掛けると、ソファーで端末を弄っていたL.L.は目を剥いて振り返った。
 普段は一緒に入りはしない。気持ちの問題だけでなくシャワールームの広さがまず問題である。疲労困憊したC.C.が、それでも身体中に残る残滓を流したくてL.L.に世話を焼かせることはあるものの、こんなにウキウキとした様子で声を掛けることはまずない。

「・・・どういう意味だ」

 だからL.L.が警戒するのも無理はないことだった。
 あるいは『私は風呂に入るからお前は来るな』という牽制の可能性を考慮したのかもしれない。
 しかしC.C.の出方を探る視線に、声に、肘掛を叩く指先に、隠しきれない期待を察知したC.C.は可笑しそうに、しかし艶やかに笑った。

「早く来い。一緒に入ろう」

 そう云い残して壁の奥に引っ込む。
 果たしてL.L.はどんな貌で現れるのか。見物だな、とC.C.は思った。



 いかにもグレードが高い部屋らしく、脱衣スペースと浴室の間仕切りは強化ガラスである。
 ホテルによっては居室から浴室が丸見えの設計もあるのだからまだ良心的な方だろう。
 が、同じ場で同じ動きをしているのならともかく、脱ぎ着している何とも間の抜けた場面をつぶさに観察されるというのは誰しも恥ずかしいものだ。C.C.が洗髪を済ませて身体も洗い終えようかという頃にようやく姿を見せたL.L.は、湯気で曇りもしない透明ガラスに一瞬怯み、それから浴室に背を向けて服を脱ぎ始めた。
 ベッドの上では容赦なく攻め立てるクセに、受け身になると途端に可愛らしくなる男である。
 C.C.はクスッと笑みを零し、シャワーのカランを捻った。
 心地良い湯の粒が肌を叩く。厚みのあった泡がつるりと剥け、C.C.自慢の柔肌が露わになる頃、L.L.が中に入ってきた。

「洗ってやろうか」

 仕上げに頭からシャワーを浴び、髪に付いた泡を洗い流す。そして髪を絞って水分を切りながら問えば、まだ疑念を拭えないらしいL.L.は「・・・結構だ」と素っ気なく答えた。
 C.C.は素直に場所を譲る。ヘアクリップで手早く髪をまとめ上げ、バスタブの中に滑り込んだ。
 並々と張られた湯が何とも贅沢である。
 よく食事や服装に代表される文化の地域差は、もちろん風呂にも顕著に現れる。水資源に乏しい国は水を極力使わずに汚れを落とすためマハムや泡風呂が主流であるし、水資源が豊富な国や治水により水が確保できる地域は浴槽に溜めた湯に浸かることもある。
 ニッポンは後者だ。
 清潔を円滑な人間関係構築の前提条件とするニッポン人は、風呂に対して並々ならぬ情熱を燃やす。入浴時間がリラックスタイムと同義である者が多いからか、バスグッズも豊富だ。入浴剤だけで吃驚するくらい種類があるし、自宅の風呂で名湯気分が味わえるという『温泉の素』なるモノを見掛けたときには「そこまでするか」と笑ってしまった。
 まあ、見ている分には楽しいものだ。
 C.C.は何とも賑やかな陳列棚を思い浮かべて頬を緩める。
 最近、些細なことが楽しいと感じる程には魔女らしさが薄れてきた。浮かれている自覚はある。が、だからといって昔に戻りたいわけではない。真に大切なものを取り零してしまわないように、C.C.は背後に滑り込んできた男に背を預けた。

     で、一体何が目的だ」

 ちゃっかりC.C.の腹まわりに腕を回し、抱き込んだL.L.が問う。
 一方、されるがままのC.C.には大々的に発表するような特別な理由はなく、「別に、・・・風呂が豪華で広かったから、たまには一緒に入るのもいいかと思っただけだ」と答えるより他はない。
 あるいは。
 強いて目的を挙げるのならば。

「これ、か?」

 C.C.はバスタブの縁に準備しておいた小袋を取り上げた。

「何だそれは」
「ふふ、可愛いだろう?」

 薄紫色のパッケージには何ともメルヘンな絵柄で動物たちが描かれている。パッと見ただけでは食品と勘違いしてしまいそうな商品名だが、最後に付け加えられたバスという単語とバスタブの絵から風呂で使用する物だと窺い知ることが出来る。
 C.C.は嬉々として袋を開けた。
 中身は粒の粗い、紫色の結晶だ。それを躊躇いなくすべて湯に投入する。透明だった湯は商品名通りの甘酸っぱい香りとともに透き通った紫色へと変化した。

「バスソルトだ」

 正体を明かす。せっかく広い風呂なのだから何か楽しめるものを、と探していたときに折よく見つけたソレ。
 C.C.が思った通りのいい色である。

「お前の瞳と同じ色だな」

 別々に入ったらL.L.は湯船の中など気に掛けなかっただろう。あるいは備え付けのサービスだと思うかもしれない。
 それでは何ともつまらない。
 だからこれを入れるところから一緒に楽しみたくてL.L.を誘った、なんて。云ったら当の彼は信じてくれるだろうか。
        などと悠長に考えられたのはそこまでで、次の瞬間には強い力で抱き寄せられ、顎を掴まれて強引に後ろを向かされた。すぐさま唇が塞がれる。
 抗議の一声を上げる隙もない。
 せめてもの抵抗で胸を揉みしだく手に爪を立ててみたが、そんな柔な攻撃で怯むような男であるはずがなく、抵抗は却って煽るだけだと諦めてしばらく好きにさせてやった。
 酸欠で頭がクラクラするほど長かったことは想定外だが。
 それでも向かい合うように身体を回転させられて唇が離れた瞬間を逃さずに酸素を取り込んだ。再び落ちてきたL.L.の口を両手で覆う。

「続きは上がってからだ」
「・・・・・」
「ダメだ。のぼせて後悔するのはお前だぞ」

 ただでさえ湯船に長時間浸かる習慣がないふたりはのぼせやすい。だからそんな恨みがましい眼で見られてもC.C.は流されてやらない。
 それに、別にしたくないとは云ってないのだ。お誂え向きなベッドもあるのだから、時間を掛けて愉しむのなら間違いなくそちらの方がいい。
 L.L.とて理性では解っているのだろう。しばしの膠着状態を保った後、C.C.の腰に回した腕が緩んだ。膝の上からC.C.を降ろし、そのまま湯船から上がる。

「早く上がってこいよ」

 そうしてL.L.は浴室から出て行ってしまった。
 C.C.を残したのは普段から風呂を楽しんでいると知っているからだろう。気遣いはありがたいがひとりポツンと残されては嬉しさも半減で、C.C.はバスタブに凭れて紫色の湯を掬い上げた。
 意味のない行動の裏で必死に思考を切り替える。
 元よりL.L.を先に上がらせるつもりではあったのだ。ネタばらしが早すぎたという反省点はあるものの、無理矢理ベッドに運ばれなかっただけ良しとしようではないか。
 それでも返報返しをしたくて、そこそこ時間を掛けて湯に浸かってから上がる。バスローブ姿のまま髪を乾かし、普段は滅多にしない肌の手入れなんてしてから、C.C.は触れ心地の良いパイル地をするりと床に落とした。
 脱いだ衣類の下に隠していた紙袋から中身を取り出す。薄葉紙を破くと、張りがありつつも肌触りの良い黒のレース地が現れる。いそいそと身に付けて鏡に向かえば、愛らしくも扇情的なランジェリーを纏った女がそこに立っていた。
 ベビードールと、揃いのショーツ      それが、昼間C.C.が一目惚れして衝動買いしたものの正体である。

(・・・買って正解だったな)

 華奢な肩ストラップから続く深いVラインのカップ部分は一重の花柄リバーレース。アンダーバストの切替えから下、Aラインを描いて広がる裾はこれまた上品なレース生地。背面は大きく開いて肩甲骨がすっかり見える反面、丈は丸いヒップが見えるか見えないかの絶妙な長さだが、正面は前開きのため臍は見えるし、ヒラヒラと波打ちながら徐々に丈が長くなる裾は布面積が少ないショーツを隠してはくれない。そしてこのショーツがまた秀逸で、股上深めのTバックの上に両端が紐リボンになったレースのローライズを重ね穿きするダブルタイプは、デザイン的にただ可愛いだけでなく、着用者の気分を昂揚させる秘密兵器でもあるのだ。
 紐リボンに指を絡めてすぐに解けないことを確認したC.C.は、逸る胸を抑えるように一度深呼吸をした。
 風呂で拒んだ理由は推して知るべし。女心に疎いL.L.でも察するだろう。

(さて、アイツはどんな反応をするかな・・)

 まずは驚くに違いない。そして口では無駄遣いとか云いながら、眼の色を変えて喜ぶような気もする。幾つかパターンを想定し、だいたいの対応を固めたC.C.はレースの裾を翻しながら軽やかな足取りで脱衣スペースを出ていった。
 後に残されたのは抜け殻となったバスローブと、バスソルトの甘酸っぱい香りだけである。






『一目惚れの話』

2021/ 4/12 up