旅は順調だった。 ふたりを乗せた長距離鉄道は地中海に達したところで終点となり、そこからはまた歩きだったり乗り合いの車に揺られたり、地方鉄道に乗ったりもした。 はじめて目にする風景。はじめて口にする食べ物。はじめて触れる世界。 だからこそ今回の旅はあえて歩みを早めず、様々な街に寄って見聞を広げているのだ。 無限の時間があるわけではない。L.L.とは名ばかりで、まだ朽ちない身体を手に入れてはいない。それでもかつて生き急いだ分を取り戻すくらいの心持で、C.C.とふたりで見る世界を大切にしたいとL.L.は考えていた。 地中海沿いに北上してイスタンブール発の寝台列車に乗れば、翌朝列車を降りる頃にはすでにユーロピア領内である。ルートとしては長距離鉄道の終着都市から船に乗って越境するのが最短最速かつ一番簡単だったわけだが、ブラックリベリオンの折に危うく土左衛門になりかけたC.C.が船旅に難色を示したため陸路で回り込む形をとった。 まあ内海とはいえ船は小型であるほど波の影響を受けて複雑な揺れ方をするし、フェリーのように個室がない場合はリスクが高まるのは確かだ。正体がバレるようなことがあれば船一隻まるごとギアス案件になるわけで、そんな事態はL.L.としても避けたかったものだから遠いと解っていて尚おとなしく堅実なルートを採用したのである。 そうしてふたりが降り立ったユーロピアの一か所目。エーゲ海に臨むその都市は、同じ港町でもイスタンブールとはやはり違った。 もちろんイスタンブールもユーロピアに隣接しているだけあってそれまでの土地とは一線を画していたが、この街は文化も人々の様子も、空気さえもが明確に異なる。地中海の沿岸都市同士で交易があり、ユーロピア以外の人種も割と見掛けるにも関わらず、だ。金がある観光客向けなのだろう、メインストリートには値が張るような老舗ブランド物の路面店が軒を連ねるエリアまであった。 L.L.とC.C.はこの街に5日ほど滞在する予定だ。 ユーロピアに入ったことで携帯端末が滞りなく電波を受信するようになり、通信速度も上がった。そこで道中は御座なりにしがちだった情報収集を徹底的にやり直し、今後の予定を練り直すこと。それから保存がきく食料の調達やユーロピアに合わせた衣類の入手に要する時間を加味しての日数設定である。 特に衣類は念入りに選ばなければならないとL.L.は考えていた。 その土地に巧く紛れ込むには服が重要な役割を果たす。要は印象の問題で、相手に違和感や不信感を与えなければ存外やり過ごせるものなのだ。バックパッカー自体はめずらしいものではないし、早々に宿をとれば持ち運ぶ必要もなくなる。数日の滞在を考慮して簡易キッチンが付いたアパートメントタイプの宿を借りて身軽になったふたりは、早速街に繰り出した。 今日の主な目的は衣類の下見と視察という名の観光だ。 都市全体の治安や情報拡散力次第ではすぐにでも次の街に発つつもりだったが、今のところ悪意ある視線は感じられず、このまま出歩いても問題はないだろう。そう判断した後はまるきりデートでもしているかのような気分で宿の周辺を中心に散策している。 L.L.は隣を歩く女を横目で見下ろした。 襟が透かしレースになった白のブラウスと緑色のロングスカートに、茶色のブーツを合わせている。たったそれだけのシンプルな装い。ポンチョ風の外套がないのはエーゲ海に面したこの街が暖かいから宿に置いてきたのではなく、イスタンブールの街外れで売ってしまったからだ。 ただでさえ荷物が多い中でこれ以上服は増やせない。だから着回しがきくものやユーロピアで着ても違和感がないもの以外は外套共々すべて手放した。思い入れもあるだろうに、「いいのか」とC.C.に訊いても素っ気なく頷くだけだった。 欲が強いのか弱いのかよく判らない女。 服に対する執着はL.L.も似たようなものだが、女の身の上でここまで頓着しないのはめずらしいと云えよう。ならばせめて好物のひとつでも食べさせてやるかと思い立って、店の目星を付けておくために携帯端末を取り出そうとしたとき、その店はL.L.の眼に飛び込んできた。 小さな宝飾店だ。 先ほど見掛けた世界的なジュエリーブランド店と比べたらささやかな店構えではあるものの、外装は学生でも買えるようなアクセサリーを扱うそれとは明らかに異なっていて、白を基調とした外観が楚々とした印象を与える店だった。ずっと身に着けるならシンプルで飽きのこないデザインがいい L.L.の足は自然と止まる。 服はその土地や季節によって変える必要があるし、着たきり雀というわけにもいかない。有事の際には置き去りにすることもあるだろう。 しかしジュエリーのように肌身離さず着けることが出来るものであればC.C.の手元にずっと残せるのではないか、などと。そんなことを考えてしまったのは、未だコードを継承していない自身の万が一を不安視しているからかもしれない。 あるいは。 「どうした?」 何の前置きもなく足を止めたL.L.を不思議そうに見上げる女へ、淡く微笑みながら問い掛ける。 「欲しいものはあるか」 例えば、指輪とか。 熔ける、燃える、黒ずむ、崩れる しかし自分の女を着飾らせて愛でたいと思うのは男として極自然なことで。 そして然るべき指に嵌められた指輪は女の所有権を明らかにする唯一無二にして最高のアイテムだ。 L.L.は繋いだ右手の親指でC.C.の薬指の付け根をなぞった。この華奢な指に指輪を光らせて屈託なく笑うC.C.を見てみたい。 一方、ハッと目を瞠った彼女は、とても深刻そうな貌で頷いてから唇を開いた。 「ガスボンベの補充をしておきたい」 L.L.は瞠目した。間の抜けた声こそ上げなかったものの、貌を取り繕う余裕はなかった。 ガスボンベ? どうして指輪がガスボンベに置き換わった? 「古くなった油を新しくして、それから塩と石鹸も必要だな。・・・あと、紅茶の茶葉がほしい」 お前が煎れた紅茶を飲みたい、と照れたような笑みを浮かべながらC.C.は云う。それは文句の付けようがなく可愛かったのだが、そういう類の希望を尋ねたのではなかったL.L.は強烈な脱力感に襲われた。 言葉で伝え直すことはいくらでも出来る。しかし普段であればL.L.の意図を正確に汲んでくれるC.C.に説明を重ねるのは決まりが悪く、内容が内容だけに気恥ずかしくもあった。 ついと視線を逸らす。店に恨みがましい眼を向けたつもりはなかったが、不思議そうに後を追ったC.C.がジュエリーショップを見止めて、そこで真意を察したのかハッと驚いたのを視界の端に捉えた。 艶やかな頬が見る見るうちに赤く染まっていく。 やはりこの女は察しが良い。 「・・・見ていくか?」 「・・・・・・・・・本気か?」 C.C.はL.L.のことをどう認識しているのだろうか。思わず溜息が漏れる。 それくらいの甲斐性はある。そう告げれば微妙な貌で首を傾げたC.C.は、しかしふっと目元を和らげた。 「ではその甲斐性とやらを見せてもらおうか」 「・・・何が欲しいんだ?」 「それも含めて甲斐性があるお前が選んでくれるのだろう?」 L.L.の手を引いて店の方へ歩き出したC.C.が悪戯っぽい眼を向けてくる。すべて委ねると云いながらL.L.の力量を試す気満々だ。 デザイン云々はともかく、指輪を選んだらどんな反応をするのだろう。 喜ぶだろうか。驚くだろうか。嫌そうな貌はしないと信じたいし、むしろ指輪を選ばなければ棘のある一言を放ちながらも気落ちした貌を見せるような気もする。 やはり指輪か。 店内に入るまでの刹那の間にそんな考えを巡らせて、L.L.は意気込む。 「私にぴったりの可愛いのを選ぶんだぞ?」 L.L.を見上げてC.C.が笑う。 楽しそうに細められた琥珀色の瞳の中で星のような光がキラキラと瞬くのを、L.L.は確かにその眼で見止めたのだった。
『贈物の話』 2020/ 2/10 up |