「L.L.というのはどうだ」 そう云われてC.C.は混乱した。 名前はどうする、と訊いたのは確かにC.C.だったが、その返答は予想していなかった。 名前とは、その人物そのものだ。 先人から名前を授かった瞬間からその者は個として認識されるようになり、人としての生が始まる。その者の成長に常に寄り添い、苦楽を共にする唯一の存在。歩んだ歴史そのもので、つまりその人物そのものなのだ。 だからルルーシュは名前を捨てなかった。母を殺され、妹共々人質として他国に捨てられようとも、『ルルーシュ』 を捨てなかった。何故なら彼が覚えた怒りや哀しみや絶望は彼がルルーシュだったからこそ感じ得たものばかりで、それらをバネにして明日を生きるためには、ルルーシュは『ルルーシュ』 で在り続けるしかなかったからである。 そんなルルーシュだからこそ、彼はナリタで云った。C.C.はやり過ぎだ、と。 彼がそう云うのも無理はない。C.C.というのは本当に記号で、名前ではないのだから。 コードの継承者。Cの世界へと繋がる門の番人、あるいは鍵。ギアスを崇め奉る嚮団の象徴にして崇拝の対象 そんなC.C.に、ルルーシュで在り続けた男は云う。L.L.はどうだ、と。 L.L. 「・・・ダメかな」 いや、ダメも何も、どうしてそんなことをC.C.に訊くのだろう。 ルルーシュという男は何でも自分自身で決めないと気が済まない男のはずだ。しかもこんな超重要事項、C.C.へ伺いを立てるなんてルルーシュらしくもない。 「ッ、・・!」 ルルーシュはどこか緊張したような、途方に暮れたような貌をしていた。 耳の縁が赤い。頬にも薄っすらと赤みが差して見える。いつも自信過剰で尊大な態度を取る男にしてはめずらしく、緊張を散らすように後ろ首に触れ続けている。 しかし、その瞳は。彼らしい強い光を宿し、けれど彼らしくない甘い熱を湛えたアメジストの瞳は、一瞬だけ当てもなく彷徨った後、じっとC.C.だけを見つめていて。 ( 〜〜〜〜〜そんなの、好きだと云っているようなものじゃないかッ・・!) C.C.が危惧したこと、あるいはそれ以上のことを考えた上で、それでも一緒に居たい、と。そうルルーシュから望まれていることに、C.C.はようやく思い至ったのである。 嬉しかった。心の底から嬉しかった。 しかしどれだけ嬉しくても涙は出るらしい。いや、感情が高ぶるからこそ涙が出るのか。・・・そんな人体の不思議はともかく、嬉しいし笑えているのに次から次へと溢れる涙が止まらなくて、C.C.が返した笑顔の応えに安堵の表情を見せたはずのルルーシュが慌てた様子で促すまま、その場に腰を下ろした。 背後を過ぎるジルクスタン国民たちの眼を避けるように荷物の影に隠れながら、ルルーシュがシャツの裾で涙を拭ってくれる。すでにかなりの水浸しだ。ここでスマートに胸を貸すのではないあたりが実にルルーシュらしく、そう考えたらまた涙が溢れた。 自身でも呆れるくらい、強がっていたのだと思う。 そうでなければ心を置き去りにしたルルーシュと一年以上も旅をすることなど出来なかった。 本当は、ほんの小さな希望に縋ることでしか前に進めない、弱くてちっぽけな存在が。 だから自分で自分を鼓舞して、強がって、ここまで歩いてきた。その張り詰めた糸が盛大に切れた反動なのだろう、この涙は。 恋愛面では超絶が付くほど初心なルルーシュも、さすがに付き合いの長さに助けられて涙の理由は察しているらしい。彼にしては忍耐強く、・・・いや、これが彼本来の優しさなのだろうが、C.C.の涙が止まるまで付き合ってくれた。 すん、と鳴らした鼻が熱い。涙を流し過ぎた、そして擦られ過ぎた目元が熱い。瞼が厚ぼったく腫れている自覚があったものだから、不細工な顔をあまり見られたくなくてC.C.は瞳を閉じる。労うように触れてきたルルーシュの手が熱を持った目元に心地よくて、擦り寄るように押し付けた。 この手を、どれだけ渇望しただろうか。 過ぎ去った日々にではなく、いまこの瞬間、そしてこの先も変わらず在ることを、どれだけ冀っただろうか。 ゼロ・レクイエムを。出口の見えない一年の旅を。誰にも弱音を吐けずに堪えてきた、そのすべてが救われた、そんな気分だ。 だからこの幸福をもうしばらく味わっていたかったのに、ついに我慢の限界が来たのかルルーシュが「・・・C.C.」と声を掛けてくるものだから、C.C.は渋々ながらもルルーシュの手を離し、瞼を持ち上げた。 「ん?」 「その、・・・一度戻らないか。ここは目立つし、俺も旅支度を整えたい」 どことなく動揺して見える男の視線を追って首を伸ばせば、荷物の向こうから投げられている幾つもの視線とぶつかった。 別に、ルルーシュのことがバレたわけではない。往来の傍に大きな荷物が置いてあれば、誰でも一度は注視するだろう。生命の危険を察知した人々が取り急ぎ必要最低限のものしか持ち出せなかったこの状況下であれば、特に。 荷物からふたりの頭が見え隠れしているから今のところ事なきを得ているものの、最悪の場合、強奪もあり得るのだ。 ルルーシュの言に納得したC.C.は、しかし首を横に振った。 「行ってこい。私は待っているから」 「ッ、ダメだ。お前も来い」 「心配するな。武器はあるし、いざとなれば ショックイメージを使う、と続けようとしたC.C.の手が、不意にルルーシュに掴まれた。 大きな手。その熱。ハッとルルーシュを見遣ると、無意識の行動だったのか気まずそうな表情を見せたルルーシュが、それでも無言でC.C.を見つめ返した。 ひとりで行かせはしない、と声が聞こえるようで、C.C.は苦笑する。 「ちゃんと待っているよ。本当だ」 ルルーシュが一緒にと望んでくれたのだ、ひとりで立ち去る理由はもうない。そう本心で云っているというのに、ルルーシュは頑なに聞き入れない。 しかしC.C.にも戻りたくない理由があった。村を去るとき最後に言葉を交わしたカレンと、どんな貌で会えばいいのか判らないのだ。言外に「ルルーシュはどうするのだ」と含みを持たせたカレンに対し、C.C.はわざと的外れな答えを返してその場から逃げた。それなのに今更「やはりルルーシュと行くことにした」とでも云えというのか。この泣き腫らした顔で。 ・・・冗談ではない。 「カレンに会いたくないんだ。・・だがまあ、世話にはなった。だからカレンによろしく伝 「だったら自分で云いに来なさいよね」 ここで聞く予定のなかった声に驚いて振り向けば、仁王立ちのカレンが村を出たときと変わらない半目でふたりを睨んでいた。 何をどこから見られていたのか。気まずさに自然と眉根が寄る。 しかしそれ以上に不機嫌そうなカレンが遠慮の欠片もなく近づいてきて。 「まったく、何のために私たちがここまで後退してきたと思ってるんだか。見つからないうちにさっさと行きなさいよ!」 云って、カレンが投げて寄越したのはルルーシュの外套だった。旅の途中で買い求めた、C.C.が着ている物と似たデザインの。 それは持っているといつまでも感傷に浸りそうで嫌だったから、ルルーシュが使えばいいと村に残してきたものだ。それをわざわざ届けてくれたのだろうか。お人好しにも程がある。 座ってカレンを見上げるC.C.の隣で、ルルーシュが腰を上げた。 「部隊が動いたのか?」 「まだよ。でもジルクスタン軍の武装解除が終わったから、そろそろ『お迎え』が来るでしょうね」 「では急ぐとしよう。報告ありがとう、カレン」 外套を着終えたルルーシュが荷物を背負う。体力が枯渇した男には負担が大きくよろけるかと思ったが、その足取りは存外しっかりとしたものだった。 ルルーシュを追うためにC.C.もまた立ち上がり、歩き出す。そのとき、カレンに呼ばれた。 「 振り返ると、はやり不機嫌そうな顔をしたカレンがC.C.を見据えていた。 「たまには連絡寄越しなさいよ」 「ああ」 「・・・元気でね」 「 C.C.が不老不死と知るカレンが、それでも「元気で」と云ってくれたことに、少しだけ胸が熱くなった。それを誤魔化すように足早に歩けば、道に上がるための斜面に悪戦苦闘しているもやしっ子になどすぐに追い着く。 追い抜いて、手を引いて、斜面を登りきって。 そして離そうとした手は握り込まれて離せなくなった。一部始終をカレンに見られているのは気恥ずかしかったが、ルルーシュとの関係が確かに変わった今ならそれも受け入れられるのだから不思議なものだ。 避難民の列に加わる。 後にも人、先にも人。少し振り返れば大切な人たちが居る民家がまだ見えるけれど、ルルーシュは振り返らない。だからC.C.もただ前だけを見つめて歩いた。 ふたりの前には道がある。 それは何処かに繋がって、いずれまた旧知の道と交わることもあるだろう。
『求婚の話』 2019/ 2/14 up 2019/ 2/26 加筆up |