わたしが躊躇った理由 どこか落ち着かない心地で当てもなく歩いていたC.C.は、とある一室の前でふと足を止めた。 栄華を極めたブリタニア皇宮。かつて閑古鳥が鳴く隙さえなかった数々のサロンも、皇帝が代替わりして以降は活用された例がない。それもそのはず、社交界の中心に居た皇族たちは新皇帝の下僕となって労働に精を出し、華を添えていた貴族たちはその特権を根こそぎ奪われて庶民と同列になったのだから。 詩を朗読する声や談笑の声、音楽家たちの軽やかな調べが聞こえなくなった今、サロンはひどく寂しく、がらんどうだ。 開け放たれた扉の外側から室内を眺めていたC.C.は、徐に扉を潜った。 歴史の影に隠れて生きてきたC.C.ではあるが、以前に一度だけこの部屋に入ったことがある。マリアンヌが皇妃になったばかりの頃、「私が行くと嫌な貌をする人がいるの。見物よ」などと云って、嫌がらせを受けに行くのか嫌がらせをしに行くのか判らないマリアンヌに強制連行されたのがこの部屋だった。 清潔なクロスが掛けられたテーブルや上等な椅子、窓際のカウチなどはあの頃と変わらない。それが却って物悲しさを強調しているように思う。 C.C.は持参したワインボトルとグラスを小さなサイドテーブルに置いた。大人数用の円卓にひとりで掛ける気にはなれず、立ったままグラスに深いボルドー色のワインを注ぎ、一口含む。 これは所謂ヤケ酒だ。あるいは景気付けか。とにかく騒ついて落ち着かない胸中を紛らわせるために求めたものである。さすが皇宮のワインセラーの中でも鍵付きの棚から失敬してきただけのことはあって、開けたワインは美味しかった。 渋みの角がとれた、しかし深い味わい。口当たりはまろやかで飲みやすい。 だが、それだけだ。二口目を口に運ぶ気になれなくて、C.C.は途方に暮れた。 やはりピザにすればよかったか。そう考えはしても、普段ピザを無心する相手に会いたくないのだから、考えるだけ無駄な話である。 C.C.はグラスをテーブルに戻し、椅子に腰を下ろした。 背もたれのない角椅子は傍らにあるグランドハープ用の椅子だ。今はグラス置きになっている小テーブルもハープ奏者のためのもの。だから、というわけではないが、C.C.は何となくハープに手を伸ばした。 ピンと張られた弦。爪で弾こうとしたが硬い弦に爪が負けると判断して、指の腹に引っ掛けるように弾いた。 柔らかく優美で、それでいて透き通った音色。奥から手前に指を滑らせると、なめらかに音が連なる。 「・・・・・」 アルコールよりもよほど心が凪ぐ。そのことに気が付いたC.C.は座り直し、ハープに指を滑らせ始めた。 C.C.がハープに初めて触れたのは、ケルティックハープがまだ金属弦だった時代だ。たびたび嚮団を抜け出しては人里を訪れる中で、あるとき放浪のハープ奏者に出会った。気のいい彼はC.C.に弾き方と簡単な曲をいくつか教え、そして旅立っていった。 顔どころか、名前を訊いたかどうかすら憶えていない。 ただ、ギアスを与えていないことと、ハープに関することは薄っすらと憶えている。 彼に教わった爪で弾くやり方はこのハープに合わないようだが、記憶を辿りながら音を紡いでいくうちに習ったメロディをはっきりと思い出す。哀愁漂うノスタルジックな旋律はグランドハープとも相性が良かった。 だから時間を忘れ、騒つく胸の内も意識の外に追いやり、弦を掻き鳴らすことに集中できたのだ。 しばらくして顔を見せたセシルと酒を酌み交わし、そこにジェレミアとロイドが合流して。その時点で離脱すればよかったのだと後悔したのは、ルルーシュとスザクが現れたときだった。 ルルーシュと眼が合う。 それはほんの一瞬で、彼の視線はすぐに隣のセシルへと移ったものの、C.C.を動揺させるには充分だった。 忘れていた不穏な感覚が蘇り、鼓動が早くなる。周囲の意識は新皇帝とその筆頭騎士に集中しているので誰にも気取られてはいないだろうが、C.C.は気が気ではなかった。 まさかルルーシュ相手に緊張する日が来ようとは。 やはり止めておけばよかったと後悔しても、すでに手遅れである。 「C.C.」 気付けば話は終わっていた。 素っ気なくC.C.を呼んだ男はさっさと行ってしまう。ここで無視するわけにもいかず、サロンを抜け出して後を追うしかなかった。 「お前のだ」 そんな言葉とともに渡された黒のドレス。ルルーシュの皇帝衣やスザクの騎士服と同じく瞳と翼の意匠を取り入れたソレを受け取ったC.C.の心境は複雑だった。 この揃いのデザインを許されるのは共犯者だけだ。 計画の中盤で悪逆皇帝から寝返る予定のロイドやセシル、後の世界でギアス兵をキャンセラーで解放する役割があるジェレミアは、ルルーシュに無理矢理従わされていた人間だと世間に思わせる必要がある。よって印象操作のために揃いの服を着ることは出来ない。しかし計画に欠かせない彼らは、共犯者ではなく協力者と表現するのが適当だろう。 ゼロ・レクエイム しかしルルーシュは悪逆皇帝として英雄ゼロに討たれ、スザクは一生涯を英雄として生きるため世間的には鬼籍に入る。そんなふたりに対し、表舞台に立つこともなければ生命を賭すこともないC.C.が共犯者を気取ってよいのか、後ろめたくもあった。 だから、わざと戯けてみせたのだ。 「女に服を贈るのは、それを脱がせるためなんだろう?」と。 ドレスだからか、これまでの服よりも明らかに胸元が開いたデザイン。縁に指を掛けて妖艶に微笑めば、男なら誰だってドレスを纏った姿で同じ仕草をする女を想像するだろう。そしたら初心なルルーシュは慌てて否定して、軽口の応酬が始まる。 「そうだな」 C.C.は思わず動きを止めた。 ここで肯定を聞く予定はなかった。だって、肯定ということは、つまり。 まじまじとルルーシュの顔を見つめても、男は発言を取り下げるどころか凪いだ表情でC.C.を見つめ返すばかり。 それが、意味するのは。 「・・・・!」 その後どうやってその場をやり過ごしたのか、実のところよく覚えていない。恐らくC.C.の中の魔女補正が正しく発動して、普段通りに振舞えたのだとは思う。 ただ、それからというもの、C.C.はルルーシュが用意したどの服も着ることが出来ず、拘束衣にしか袖を通せなくなっていた。 (こんな予定ではなかったんだがな…) いまC.C.が纏っているのはルルーシュから与えられた黒のドレスだ。 ルルーシュに身を委ねたいと考えたわけでは決してない。だが、揃いの衣装を一度も身に着けないのは共犯関係を否定しているようで、ずっと心苦しく思っていたのは事実である。そこにドレスを着る決定的な理由が出来てしまったものだから、タイミングを見計らって拘束衣から着替え、いつ戻るとも知れない男を躱すために皇宮内を絶えず移動して、目的を完遂しようと手を尽くしたというのに。 どうして今、ルルーシュの後ろ頭を見つめながら廊下を歩いているのだろうか。 踵を返して逃げてしまえ。 そうこうしている間にも歩みは止まらず、いずれ終着する。 ルルーシュの目的地は彼の私室だった。同時にC.C.が普段寝起きし、生活している部屋でもある。 入って、ルルーシュは迷わず奥の寝室に向かった。扉を開け放したまま、奥に消える。一方のC.C.は手前のリビングスペースに足を踏み入れたきり、根が生えたように足が動かなくなってしまった。 正直なところ、 これから身に起こるであろうことも、ルルーシュの読めない本心も。 ルルーシュから催促の声は掛からない。声どころか、物音ひとつ聞こえない。しかしリビングと寝室を繋ぐ扉が開けられたままであることが、ルルーシュがC.C.を招いている何よりの証拠だった。 逃げ出したい。 でも逃げられない。 なぜ逃げられないのか。 拘束されているわけではないのだから、物理的に不可能ではないはずだ。 では心理的な問題か。 逃げられないのではなく、逃げたくないのだろうか。 逃げ出したいのに? 矛盾を抱えて途方に暮れるなんて、血も涙もない魔女らしからぬことだ。迷いに迷った末、C.C.は静かすぎるルルーシュのことが気になって寝室を確認することにした。 皇帝の居室らしく、たかが寝室であるのに室内は広い。そこに見劣りしないベッドも立派なものだ。以前、中華連邦の天子の寝室でパジャマパーティーをしたときもかなりの人数だったが、ここでも余裕で再現できるくらいの大きさがある。 ルルーシュは天蓋が上げられたベッドの端に座っていた。 几帳面な男にしてはめずらしく、帽子と外套がベッドに無造作に放られている。本人は浅く腰掛け、膝に肘を付き、一見するとうなだれているようにも見える。 それを見たC.C.の胸は疼いた。 切なく、苦しく、しかしどこか甘やかな痛み。 C.C.がその場から動けずにいると、C.C.の方を一瞥もしないルルーシュは、しかしC.C.が室内を伺っていることに気付いているのだろう。床を見つめたままポツリと零した。 「スザクに仮面を託してきた」 ただ、それだけ。 しかしC.C.にはそれで充分だった。 気付けば自然と身体が動き、ルルーシュを正面から抱き締めていた。 既視感に記憶を探れば、行政特区日本の式典会場の一室で気落ちした男の姿に行き当たる。あのときもルルーシュは多くのものを失った。自ら撃った異母妹、ギアスの制御が不能になり会えなくなった実妹と、学友。それはルルーシュの中の『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』と『ルルーシュ・ランペルージ』のほぼ全てを失ったのと同義だ。 そして、今。フレイアによって実妹を喪い、ゼロ・レクイエムに臨む彼は、『ルルーシュ』どころか『ゼロ』まで手放したのである。 この先、世界の人々が記憶するのは『悪逆皇帝』だけ。世界を明日へと導くための舞台装置である彼だけなのだ。 C.C.はそれが悲しかった。間近で生き様を見続け、ルルーシュが誰よりも明日を渇望していることを知っているから、余計に。 「 傍に居る 黒髪をそっと梳く。不摂生をしている割に艶のある髪は、見た目よりもずっとやわらかい。 しばらくそうしていると、ふとルルーシュが零した。 「初めて着たな、それ」 云われた内容と素肌を擽る吐息とで、C.C.は本日の召し物を思い出す。つい先程まであれだけ頭を悩ませていたのに、嘘のように綺麗さっぱり忘れていた。 「気に入らなかったのか?」 「ッち、・・!」 咄嗟に否定しかけて、理由を問われたら困るのは自分自身だと気付いた。だから最小限の発声で止めたつもりであったのに、耳聡い男はあれが否定であったことに気付いたらしい。顔を上げたルルーシュがじっと視線を注いでくる。 触れ合った肌が、息遣いを感じる胸元が、熱を帯びてあつい。 次第に思考回路もおかしくなって、まるでギアスでも掛けられたように言葉がすべり落ちる。 「お前、が、あんなこと・・云うから」 眉ひとつ動かさず聴いていたルルーシュは、少し遅れて納得した貌になった。瞳の幅がやさしく狭まる。 「本気にしたのか?」 「!!」 熱が一気に頬へと溜まるのを感じた。 確かに、その話題を振ったのはC.C.だ。ルルーシュはルルーシュなりに言葉の応酬を楽しむため、ただ話を合わせただけに過ぎなかったのかもしれない。 一方的な空回り。 至近距離で見上げてくる紫の瞳が艶やかに揺らめく。 逃げられない、と本能的に悟った。 「それで、今夜それを着たということは、それなりの理由があるんだろう?」 そうだ。そうでなければこのままお蔵入りだっただろう。 これまでの改革で正義の皇帝とも評されているルルーシュが、これから悪逆皇帝と名を落とす暴挙に出る。その手始めの場として選ばれたのが全世界に同時生中継される超合衆国代表評議会で、アッシュフォード学園で開かれるそれに主席するため、明日にはペンドラゴンを発つ。 そしてこの先、確実に世界を敵に回す。 いつ誰に何が起こるか判らない。 「スザクに、着てるのを見たことがないと、云われて・・・」 ゼロ・レクイエムのもうひとりの共犯者は、もちろんこの衣装の存在を知っている。C.C.が一度も着ていないことも。 それはスザクにしてみれば何てことない疑問だったのかもしれない。しかし逃げている自覚のあったC.C.には共犯関係を疑う言葉に聞こえ、たとえ一瞬でもいいから一度はドレス姿をスザクに目撃させなければならないと考えたのだ。 しかし新皇帝に降り掛かる火の粉を払う役目を負った筆頭騎士たる男は、ルルーシュと共に行動しているか、貴族討伐に北へ南へと忙しくて。 そしてルルーシュ抜きでスザクと会する機会がないまま、今日に至ってしまった。 明日から始まる世界規模での破壊と創造の中で、今夜がスザクと見える最後の日になる可能性もある。そう考えたからこそ、C.C.は躊躇いながらも黒衣の礼装を身に纏い、当てもなく皇宮内を彷徨ったのだ。 すべては共犯者としてのけじめ。 そう説明したつもりであったのに、無言で聞いていたルルーシュの口からようやく出たのは、信じられないくらい不機嫌な声だった。 「 次の瞬間、視界が反転する。胸に抱えていたはずのルルーシュの顔が、何故か天蓋の天井を背景にして真正面に見えた。 ベッドの上に寝転がされ、組み敷かれているのだ、と。現状を理解したC.C.は慌てた。 しかしそれ以上にC.C.を慌てさせたのはルルーシュの言葉だ。 「俺が与えた服をスザクのために着るのか」 「ッ!!」 いや待てそれ何か違う絶対違う・・・というか解釈に悪意がないか!? などと混乱しているうちにルルーシュの顔がゆっくりと近づいてきて、焦ったC.C.は咄嗟に目を瞑ってしまった。 バクバクと煩い心臓の音を聞きながら、1秒、2秒・・。しかしどこにも触れる気配がないどころか隣から質量のある揺れを感じたC.C.は、恐るおそる目を開けた。 見ればルルーシュは上に居らず、隣に転がっている。 笑ってはいない。じっとC.C.を見つめるその貌に揶揄の気配は一切なく、むしろ思案しているようにも見える。 しかし。 「今更だからな。・・・俺はどちらでも構わないが」 などとルルーシュが云ったものだから、ほっと一安心するどころかすっかり臍を曲げたC.C.は、その最低な男に背を向けた。 「随分な云い方だな。誠意のない男など論外だ」 この期に及んで女に責任を押し付けてくるとは最低最悪もいいところである。 それに、そういう関係になってもいいと本当に思っているかどうかも判然としない男に進んで身体を差し出すつもりは微塵もない。 C.C.の言は世間一般に照らし合わせても至極真っ当な正論であるのに、背後から「フッ」と笑い声が漏れ聞こえたものだから、いざ迫られたら困る自身のことは棚に上げて、C.C.はますます頑なに背を向け続けた。 ふたりの間に沈黙が落ちる。 ただし表に出した感情とは裏腹に、C.C.は居心地の悪さや気まずさは感じなかった。それもこれも久しぶりに訪れた、何をするわけでもないルルーシュとの時間だからだろう。 ここ最近のルルーシュは以前にも増して昼夜を問わず忙しく、この部屋でまともに顔を見たのは久方ぶりだ。もちろん寝るために戻っては来るが、ふたりで起きている時間にただ隣に居るのは最早めずらしいと云えるレベルだった。 「・・・・・」 しばらくこうして転がっているのに、ルルーシュは部屋を出ていかない。ゼロの仮面もスザクに渡し終えたというから、明日の出立までにするべきことは全て終えたのだろう。 C.C.は唇に弧を描いた。 ルルーシュが女心を解さない野暮天なのは今更過ぎる話なので、怒りなどもちろん長くは続かない。むしろドレスのことが頭を過ぎる度に騒いでいた心に平穏が戻ったからか、ルルーシュの傍に居るのが心地よいとさえ感じた。 (だから、もう少しだけ・・) この穏やかな時間を味わっていたくて、C.C.は不機嫌なフリをしばらく続けることにしたのだ。
『わたしが躊躇った理由』 2018/11/14 up |