祝福を、貴方に 記憶の修復と補完とを一通り終えた女は、その場所に戻るとゆっくり瞬きを繰り返した。 Cの世界が始まった場所。この世界の中心とも云える場所。その一際大きな額縁の前に据えられたソファとテーブルのセットは、少し前までこの世界になかったものである。 それを持ち込んだ男は今、ソファに陣取っていた。 一時的とは云え、起源を同じくする存在によって固有世界から追い出されたその男。彼の場合、 固有世界に居なくてもパソコンさえあればどこでも記憶の管理はできる。できるのだが、せめてもの抗議なのかそれとも落ち着く場所がほしいのか、わざわざCの世界にソファセットを運び入れた、というわけである。 Cの世界は広く、別に邪魔にはなっていない。男は以前からCの世界に出入りしていたし、長期間滞在することも稀ではないため、男が居たからといって気になることもない。だから女が瞬きを 繰り返したのは男の存在そのものに気を留めたからではなく、彼が腕と足を組み、瞼を下ろして俯いていたからだ。 記憶の管理者に睡眠は必要ない。 動物に必要な機能を欠いたその身体は睡眠どころかちょっとした休息さえ必要とせず、それゆえCの世界には身体を休める場所も家具も存在しないのである。例の男も人間らしさを多分に残し ているけれど、生命維持に欠かせないアレコレとはすでに無縁の存在であって、実際に休息をとっている姿を見たことはなかった。 その彼が、瞑目して俯いている。 まるでめずらしいものでも見るかのように、女は視線を逸らさず男の方へ近づいた。 ヒールは高らかに靴音を奏でるのに、それでもやはり彼は顔を上げない。身体ひとつ分の間を空けて隣に腰掛けても反応はなく、女は男の肩に手を伸ばした。 もしも、彼が休息を必要とする身体のままだとしたら。 それならば横になった方が身体が休まると、そういった知識はいつ手に入れたものだったか。 今となってはすっかり馴染みとなった膝を貸そうと、白い学生服に包まれた肩に軽く触れた、そのときだった。男の身体が傾き、黒髪の頭が女の膝の上に納まる。力を加えていない女は、男が 自主的に身体を倒したと気付いていた。 それでも言及はせず、やわらかな黒髪を梳く。 膝に預けられた頭部の重みが心地よい。 しばらく続けていると瞼が開き、ロイヤルパープルの瞳が彼女を見上げてきた。 「・・・・・・・・・今日は俺が生まれた日なんだ」 しかし、女は素っ気なく「そう」と返答する他ない。 C系統のコードは時間の制御に長けているが、しかしCの世界は現実世界と異なる時間が流れている。昼夜の区別もない世界には一日という概念もなければ、そもそも時間が進んでいるのか も怪しい。だから特定の時間の集まりを特別に思うことはないし、おまけに現実世界の時間で換算すると確実に何年かは互いの世界を行き来しているわけで、今になって突然そんなことを云い出す理由も解らなかった。 髪を梳く手を止めないまま男を見下ろしていると、伸びてきた大きな手に髪を一房弄られる。 ツン、と軽く引かれる感覚。 「だから 祝福。馴染みが薄くなった単語に、女は極僅かだが目を瞠った。 人であった頃は、一方的に祝福を受ける側であった。それはすべて愛されるギアスが人々に干渉していたからで、ギアスを手に入れる以前は祝福する側でもされる側でもなく、ただ縁のないことだった。 そして今。もはや人ではなくなり、彼が訪れるようになるまで他者との交流がないに等しかった彼女が覚えている、祝福の方法は。 「・・・・・」 女は黒髪を梳く手を止め、身を屈める。 多くを語らないその唇が男の額に触れるか触れないかの接触をして、静かに離れた。 しかし身体を完全に起こす前に後ろ頭を掴まれ、強い力で引き寄せられる。再び接近する顔。女が何かを思う時間すらなく、自らも軽く上体を起こした男の唇に唇が触れた。 ただ重ねるだけのくちづけ。 しかし一瞬では終わらず、女が何度か瞬きを繰り返すだけの時間はあった。そのうち何に満足したのか後ろ頭の拘束が緩み、同時に黒髪が女の膝に戻る。 背を丸めたままの女は男を見下ろしながら、問うた。 「・・・これも祝福だったかしら?」 彼女が保有する記憶では違う。けれど彼女とは違って現実世界は刻々と変化することを彼女は知っている。だから男が生きた時代ではそうだったのかと確認したというのに、男は眉根を寄せた 後、わざとらしく溜息を零した。 厭味な態度をとられたからと云って何を思う女ではない。 ただじっと見下ろしていると再び手が伸びてきて、男にしては綺麗な、しかし彼女と比べれば格段に骨ばっている親指で唇をなぞられた。 「特別、ということだ」 俺から、お前への。声に出して云われなくてもそう伝わってきて、女は小首を傾げる。 云いたいことが何となく伝わる程度には傍に居る時間が長くなったのだろうか。あるいは、現実世界に生きる自分たちがこういう会話を交わしたことがあり、それが何らかの形で管理者に影響 を及ぼしているのか。そんなことを考えた女は、しかし知り得ないことと早々に割り切り、「そう」とだけ答えた。 男は瞼を閉じる。満足しているようにも、不服そうにも見えるその顔。少年と青年の狭間で成長を止めたその頬を一撫でして、女は再び黒髪に指を通し始める。 いつもと変わらない光景。 しかし髪を梳く彼女の手つきは、いつもより幾分優しかった。
『祝福を、貴方に』 『贈る言葉』の管理者サイド 今年も遅刻のルル誕でした 2013/12/ 8 up |