ホワイトノイズ それまで届いていた水音が止んでいることに気付き、ルルーシュは顔を上げた。 パソコン端末画面のバックライトが視界を淡く霞ませる、その先。照明ひとつ灯らないプールに視線を定める。 そこには女が一人居るはずだった。 一部とはいえブリタニア軍に追われる彼女は人目を避ける生活をしている。・・・というよりルルーシュがそうさせている。しかし銃で眉間を撃たれても死なない、延いては怖いものなどない女が さして広くもない私室一室に大人しく留まってくれるはずもなく、非情に不本意ではあるものの、ルルーシュは騎士団の活動の合間を縫ってC.C.を夜のプールに連れてきていた。 これで何度目になるだろうか。 絶対にひとりでどこかに行くなと最初の頃は毎回のように念を押していたから、今さら勝手に部屋へ戻ったとは考えにくいのだが。 溜息をひとつ吐き捨てて、ルルーシュは腰を上げる。 プールから離れたチェアに陣取ったのが災いした。腰を上げただけでは全体を見通せず、C.C.が居るのか居ないのかすら判らない。仕方なくルルーシュはプールへと歩を進めた。 人目を避けるため照明はつけていないが、半開にした天井から注ぐ月の光のおかげで足元が危うくなることはない。むしろ室内のほぼ全体の様子が解る程度には明るいのだ。プールサイドに立って中を眺める。 そこには幻想的とも云える光景が広がっていた。 水面が月の光を返して輝いている。ゆらゆらと細波立つ水面は複雑に形を変え、キラキラと輝く様は万華鏡を覗いているようだ。 その中をひとり漂う女。 美しい髪を背に靡かせながら天井を見上げる形でプールに浮いているソレは、その美貌と均整のとれた肢体から、まるきり腕の良い人形師の最高傑作が浮かんでいるように見えた。 淡い光に溶けてしまうのではないかとさえ感じさせる。 つくづく月が似合う女だとルルーシュは思った。陽の下よりも月の下で見る方が圧倒的に多いからそう感じるのだろう。 そのときふと、ルルーシュはC.C.に親近感を覚えていることに気付いた。 普段ルルーシュ・ランペルージとして生きる自分。陽の下で素を晒せないのはルルーシュも同じだ。 特に用事があったわけでもなく何も云えずに立ち尽くしていると、ルルーシュに気付いた様子など微塵もなかったC.C.が不意に身体を反転させ、プールサードに寄ってきた。 茫然と見つめる男の前でプールから上がる。その動作が優雅だったことなど最早頭から抜け落ちて、ルルーシュはただ女を見ていた。 タオルで髪を拭くC.C.は不思議そうに小首を傾げる。 「戻るのだろう?」 どうやら私室に帰る催促をしにきたと思われたらしい。 咄嗟に何通りか返答を考えて、しかしC.C.の勘違いに便乗するのが一番得策だと結論に至った。 「殊勝な心がけじゃないか」 「お前の言動パターンが単調で読みやすいだけだ」 ああしろこうしろと口煩い。そう、皮肉が過分に含まれた声色でC.C.は続ける。 したり顔の女の鼻をへし折ってやりたい衝動に駆られるが、結局は口を噤んだ。読みが外れていたことを、その内容を伝えてどうするというのか。困るのは確実にルルーシュだというのに。 C.C.に対しては後手に回ることが多く、スマートに巻き返せないことにルルーシュの顔は歪む。その貌をC.C.の前に晒すことすら不愉快で、すぐに踵を返した。 特に気にした様子もなく着いてくる女。振り払いたいような、しかしそこに居るのが至極当然のような、相反する感覚がルルーシュを支配する。 親近感を覚えた途端に甘くなる自身を自覚して、自然と眉根が寄る。パソコン端末を置いたチェアまで戻ってC.C.の方を見遣ると、丁度シャワールームに消えるところだった。 ルルーシュはその場に腰を下ろす。C.C.が出てくるまでの短時間に端末を起動させるのも非効率的な気がして、何をするでもなくプールを眺める。 降り注ぐ月光は薄闇に道を描き、しかし光の帯というよりは塊があるように見えた。 耳鳴りするほどの静寂。 C.C.という存在に関係なく以前からこの静けさはルルーシュと共にあったけれど、彼女がいなければ少なくともこんな場所で味わうことはなかったはずである。 どういう理屈か解らない。 解らないけれど、現状として待っているのはルルーシュだけれど、何故か“ひとりではない”と今この瞬間に強く感じていた。 ナナリーとは兄妹だが、彼女は生命を賭しても護るべき存在であって、ルルーシュの立場が危うくなり万が一にも危険が及ぶようなことがあれば、躊躇うことなくその手を離すだろう。それだけの覚悟はできている。 少なくともルルーシュはそう考えている。反逆を起こしてからは、特に。 綺麗で穏やかなやさしい世界で生きていてほしい。心優しい妹にはそういう世界こそが相応しいとルルーシュは思う。 一方で、C.C.は たとえばルルーシュが手足を削がれ血を吐き息絶える、その瞬間でさえ。 根拠はない。それは信頼の現れなどではなく、ましてや特別な情があるわけでもない。それでも互いに自らの意思で手を差し出し結んだ再契約は、C.C.に対する認識を確実に変えた。 対等であると。ルルーシュが必要としたのはギアスであって、それを与えた女は目障りな存在だという認識を改めた。・・・いや、目障りであることに変わりはないが、あらゆる面において支障が 出ない程度には利用し利用されることを覚えた。 心の支えには全くもってならないが、本心を曝け出せる唯一の相手。 似ているというレベルを超えて、それはある意味、己と同義だ。 遠慮を知らず、傷付けられることもなく。どこまでもどこへでも共に歩くことができる。それがC.C.の望みを叶えるまでの刹那というあたりが、いかにも共犯者らしい。 ルルーシュは瞳を閉じる。 瞼の裏から感じる、朧な明るさ。周囲の闇と曖昧な境界線すら引かないそれは今のふたりの関係性のようであり、ふたりの存在そのものであり。 先程まで否定していた感覚を自然と受け入れることができたルルーシュの口元には、微笑みさえ浮かんでいた。
『ホワイトノイズ』 2013/10/15 up |