心の中では、いつでも




 自室に戻ったナナリーを迎えたのは、意外な人物だった。
 公務はぎっしりと詰まっているけれど、“ただのナナリー”に逢いに来る人はいない・・そんな状況の中で待っていてくれたひと。 その、懐かしささえ感じさせる瞳と目線が合った瞬間に涙が溢れそうになったナナリーは、しかしそれ以上に嬉しくて顔を綻ばせた。


「おかえり、ナナリー」
「・・・・ただいま戻りました、C.C.さん・・」






 皇位に就いたナナリーのプライベートルームに無断で侵入できる者など存在しない。それ以前に皇宮は一般人が簡単に立ち入れるような場所ではないのだが、 C.C.は厳重な警備体制を潜り抜けてナナリーのところまで来たようだった。ナナリーに一報も入っていないのがいい証拠である。
 しかしナナリーは、人間業とは思えないC.C.の出現に言及することもなく彼女にソファーを勧めた。


 大好きな兄の、特別なひと。


 時間を共有したことは何度もあるけれど、実際の姿を眼にするのは2回目だった。
 初めてのときは、彼女が兄の亡骸を引き取りに来たときだ。だれの眼にも触れない、静かな処に葬ってやりたいから・・と彼女はナナリーに云った。 確かに、世界中から憎まれた兄の墓は兄本人に代わって負の感情をぶつけられる恰好の的となるだろう。それも覚悟の中に含まれていたのかもしれない。 だが、生き急ぐようにこの世を去った兄には、静かに眠ってほしいとナナリーは思っていたから。だからナナリーは兄の亡骸をC.C.に託した。
 他のだれに云われても納得しなかっただろうが、C.C.だからこそ託せた。
 兄とC.C.の関係性だけが理由ではない。彼女の頬に残っている雫の痕が、どれだけ兄を想っていたのかを示していたから。その優しさと人柄をナナリーは信じていた から、兄を託せたのだ。
 兄本人の代わりに髪を一筋分けてもらい、冷たくなった頬に一度だけキスをしてからナナリーはC.C.と兄を見送った。スザクが時折さりげなさを装って 親しかった者たちの近況は教えてくれるのだが、C.C.に関することは一切聞いたことがなく、C.C.も元気にしているのだろうかとナナリーは秘かに心配していた。
 しかしどうだろう、C.C.は顔色もよく元気そうである。
 暖かい雰囲気も透明な眼差しも健在で、ナナリーは包み込まれるような安堵感に心が和らいだ。


「今日はどうされたのですか?」


 ソファーに掛ける気配が一向にないC.C.を急かすこともなくナナリーは尋ねた。兄という繋がりを失ったC.C.とはもう逢えないかもしれないと思っていた ナナリーがそんな疑問を抱くのは仕方がないことかもしれない。
 C.C.はふっと表情を緩めると、ナナリーの方へゆっくりと歩み寄ってきた。


「お前にどうしても伝えたいことがあったんだ」
「私に・・・ですか?」


 不思議そうに小首を傾げるナナリーの目の前で膝をついたC.C.は、車椅子の肘掛に置かれていたナナリーの手を取る。それから菫色の瞳をじっと見つめたまま、 言った。


          “誕生日おめでとう” 、と。


 ナナリーはハッと眼を瞠る。部屋の奥にある置時計を見遣ると、午前0時を回っていた。
 10月25日、午前0時03分26秒。
 今日はナナリーの誕生日である。


「・・・・・ありがとう、ございます・・・」


 喜びよりも驚きを露わにしたナナリーがなんとか言葉を返すと、C.C.はふわりと笑った。それはナナリーが自分の誕生日をすっかり忘れていたことに気付いている貌で、 恥ずかしくなったナナリーはますます言葉に迷う。しかしC.C.はそれを揶揄するわけでもなく、ナナリーの頭を優しく撫でながら言葉を続けた。


「ルルーシュから話を聞いたんだ・・毎年あいつが一番に祝いの言葉を伝えると」
「・・・ぇ?」
「だから私はルルーシュの代理だな」


 おめでとう、ナナリー・・と、C.C.はもう一度囁いた。
 心にじわりと響くものがあって、ナナリーの瞳に水の膜が張る。しゃがみ込んでナナリーを見上げる気配が、頭を撫でる手つきが、慈愛に満ちた声が、 なぜか亡き兄と重なった。
 雫が一粒落ちて、スカートに染みを作る。
 C.C.の掌に収められた右手だけでは足りなくて、両手でC.C.の左手を握りしめた。


「どうした? 泣くことなんて何もないだろう?」
「でも私・・・私っ・・」


 ずっと後悔していたことがあった。
 兄が逝くとき、ナナリーは咄嗟に「愛しています」と言ってしまった。絶対唯一だった兄に一番伝えたいことがそれだったからだ。
 しかし、時が経てば経つほどナナリーの中でその言葉は痼と化した。心を痛めながら、それでも悪役を買って出た兄の真意を最期の最後になるまで悟ることができず、 悪魔だとさえ罵ってしまった妹から今更「愛してる」と言われても迷惑なだけだったのではないか。そんなことをふと考えてしまった日から胸の痛みが止まらなくて、 いつしか蓋をするようになっていたことだったというのに。
 今は堰を切ったように、涙が止まらない。


「わた、し・・おめでとう、って・・言ってもらえる・・資格、なんて」


 C.C.は何も言わずに、ナナリーが吐き出すものを聴いていた。
 ブリタニアという国はナナリーひとりの力で成り立っているわけではない。ナナリーが代表者だというだけで、ゼロやシュナイゼル、その他にも有能な者たちが 国をよいものにしようと一緒に奮闘しているからこそ国として纏まっているのだ。しかし、政治を執り行うという面では独りでなくても、 国の代表という立場は確実にナナリーから “ただのナナリー” を奪っていった。選んだ道を後悔するつもりは全くないけれど、 心のどこかで寂しさを感じていたのだろう。そこに現れたC.C.が “ただのナナリー” に逢いに来てくれたひとだったから、溜まっていたいろんなことが流れ出した。
 涙という結晶になって。
 声を抑えながらぽろぽろと涙を零すナナリーの頭を、C.C.は優しく撫で続けた。その琥珀の瞳に憐みの色は皆無で、さらにナナリーを安堵させる。 高ぶった感情が治まるころには目のまわりがじんと痺れるくらい熱を帯びていた。


「・・・・すみませんでした・・」


 取り乱してしまったことにまた羞恥を覚えてナナリーが小さく謝罪すると、C.C.は少しだけ哀しそうな貌を見せた。その姿もまた、記憶の中の兄と重なる。
 しかし、袖を摘んでナナリーの頬を拭うC.C.は無言ではなかった。「ルルーシュは最期、どんな貌をしていた?」 と、まるで天気を訪ねるような声でナナリーに問う。
 その瞬間、ナナリーはハッとした。


「痛みに歪んだ貌だったか? 苦しみに満ちた貌だったか? 死にたくないと、生に執着する浅ましい貌をしていたか?」
         いいえ・・」


 笑顔だった。
 明日という日に希望を託した、優しい笑顔だった。
 18年という短い人生をどこまでも太く生きた、満足そうな笑顔だった。


「・・っ、いいえっ・・!」
「だろう? だから泣くなとは言わないが、いつまでもそんな貌をしているとルルーシュが悲しがるぞ」
「そう・・でしょうか?」
「ああ。あいつは筋金入りのシスコンだからな」


 呆れたように溜息を吐くC.C.を見て、ナナリーから少しだけ笑みが零れる。
 それを見たC.C.はまたふわりと微笑んだ。


「ナナリー・・・ルルーシュは確かにお前のことを愛していた。資格なら妹というだけで十分だ」


 それはルルーシュの傍で彼のすべてを見つめてきたC.C.だからこそ自信を持って言える、嘘偽りなど一切含まない言葉だった。
 かの男は愛に見返りを求めない類稀な男だったけれど、他の者からは得られない生の存立基盤と絶対の安らぎをナナリーに求め、そして得ていたことをC.C.は知っている。
 だから・・・・・


「ルルーシュはいつだってお前を見守っているよ、ナナリー」


 これは、どこまでも果てしない真実なのだ。








































































 ナナリーに暇を告げてから数時間後、C.C.は朝焼けに照らされながらひとり悠然と歩いていた。
 「こうも約束をあっさりと破るとは・・・ひどい男だな、ルルーシュ」 、と溜息交じりで呟いた彼女は目的の場所へ漸く着いたことろだ。
 フレイアによって巨大なクレーターと化した旧ペンドラゴンは今、水が溜まって湖となっている。その畔、かつてアリエスの離宮があった場所に一番近い畔に それはあった。
 ナナリーとスザクによってこっそりと建てられた、ルルーシュの墓。
 皇帝であったことを思えば小さな墓だが、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアというひとりの少年としてのそれならば真っ当な大きさだ。 中には遺骸の代わりに遺髪が一筋だけ収められている。その隣にはペンドラゴン消滅とともに失われたユーフェミアの墓が新たに築かれていて、彼女の代わりには スザクが大切に使っていた形見の羽ペンが静かに眠っていた。
 この墓の存在を知る者は少ない。
 世界の大半からは悪だと誤解されたまま逝ったふたりの墓だから、ゼロレクイエムの真相を知る者くらいにしか明かされていなかった。
 しかし・・・・・




「話はしたが、約束した覚えはない」




 C.C.の言に応えたのは、招かれざる客人だった。
 呆れを含んだ声は、若いが深みのあるバリトン。スレンダーな長身に黒衣を纏ったその男の、目深に被った帽子から覗くのはさらりとした長めの黒髪と、 紫水晶のような瞳だ。人目を惹く端整な貌は、しかし今は別の意味で人々を驚愕させるだろう。
 悪逆皇帝。正義によって葬られた大罪人。魔王。
 綽名す言葉を限りなく有する、死んだはずの男がそこに居た。


「先に約束という言葉を持ち出したのはお前のはずだが?」


 しかし彼の生存を唯一知っているC.C.が驚くことはなかった。そもそもふたりはここで落ち合う約束をしていたのだ、驚くはずがない。


「呆れたついでに出た言葉だ、俺は逢いに行くとは言っていない」
「・・・お前も相当意地っ張りだな、ルルーシュ」
「何とでも言え。・・・・・・帰るぞ」


 面白くなさそうに言い置いて、ルルーシュは踵を返す。
 今日ナナリーに逢いに行くことを巡って、数日前からルルーシュとC.C.は盛大に揉めていた。逢いに行こうとC.C.は再三促したのだが、ルルーシュは 「けじめが必要だ」 と頑なに断り続け、結果的にC.C.ひとりでナナリーのところに出向いたのだ。
 そのときルルーシュは日本に渡っていた。ロロに誕生日の祝いを伝えるために。
 それではナナリーが可哀想だとC.C.が抗議したら、ルルーシュは困ったように笑った。遠く離れていてもナナリーのことを想っているからいいんだ、と。 その完全なる自己満足にC.C.がまた抗議したことは言うまでもない。


(『帰るぞ』・・・か・・)


 その場所も、言われる対象もナナリーではなくなってしまったことをC.C.は少し哀しく思う。 ひとりではなくなったことに嬉しさを感じることも事実だが、後ろめたさを感じることも事実なのだ。
 だからC.C.は来年もナナリーに逢いに行こうとルルーシュを促すだろう。
 来年成功しなくても、再来年、その次の年と、いつまでも言い続ける自信がある。


「とりあえずまた来年逢おう、ナナリー」


 だからナナリーの居る新都に向かって呟いて。
 先に行ったルルーシュを追うために、C.C.も潔く踵を返した。






             今日もこの空は、大切な人へと繋がっている。












『心の中では、いつでも』


ナナリー、ロロ、誕生日おめでとう!





2008/10/25 up
2008/10/26 一部改文