花嫁の憂鬱






 お気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら、少女はソファーに沈んでいた。
 琥珀色の瞳が捉えるのは、生涯を共に在ろうと約束してくれた少年    すなわち“夫”の横顔だ。
 しかし、少女の表情はどちらかといえば不機嫌の部類に入る。
 ・・・・・尤も、少年をじっとりと睨みつけている時点で『異常あり』と判断できるのだけれど。


「言いたいことがあるなら、はっきりと言え」


 しかし、少年は動じた様子もなく、涼しい顔でそう告げた。 文字の羅列を追うのに忙しいのか、それとも少女の内心に興味関心がないのか、視線はパソコンの画面に釘付けである。
 だがそれも、ふたりにとっての日常だった。
 少女も急に顔色を変えることはない。
 ただ、数秒間の沈黙の後、彼女は不満そうにぽつりと零した。


          つまらない、と。


「なんだそれは」
「騎士団時の怒涛のような生活も好きではないが、ここ最近の代わり映えしない生活も嫌いだ」
「どちらも好みではないのなら、打つ手がないな」
「抽斗の数が少ないぞ、ルルーシュ」
「今更だ」


 厭味を言われても、少年はさらりと受け流した。
 文書ファイルを最小化して、メールを確認する。舞い込んでくるその量にも彼は動じない。片っ端から読んでいき、必要ないものは削除する。その繰り返しだ。
 しばらく少年を見つめていた少女は、しかし小さな溜息とともに視線を逸らした。


「・・・・・結婚なんて・・・しても・・しなくても・・同じ、だな」


 呟きは、小さく小さく室内に響く。それでも、玲瓏とした声は少年の耳にも届いた。
 これまで一度たりとも少女を顧みなかった少年が、ぱっと顔を上げる。
 ソファーの上で膝を抱える少女は、哀しんでいるようにも、拗ねているようにも見えた。


「どういう意味だ?」
「少しは自分で考えろ。だからお前は鈍いままなんだ」
「・・・考えても分からないから聞いている」


 未熟さを認めることは少年にとって屈辱的なことだった。だが、それを圧してでも少女の意を酌みたいと思ったのだろう。
 先とは打って変わって少女を見つめる少年。そんな彼を少女はちらりと一瞥する。あくまで視線を合わせないのは、彼女なりのささやかな報復だ。
 意外と気が短い少年は、続きを促す。
 それでも優しく甘く、穏やかに。
 室内を満たしたのは        少女の本当の名前。
 途端に眉尻を落とした少女は、もう一度だけ少年へと視線を彷徨わせて、また空虚を睨みつけた。


「・・・・クラブハウスにいたときと・・変わらない」


 それでも、少女は言葉を紡いだ。答えではなく、ヒントだったけれども。
 しかし、与えられたヒントを参考に、少年は考える。


(つまらない・・・・結婚しても同じ?・・・クラブハウス・・変わらない・・代わり映えのしない生活・・・・・)


 先ほどの会話を反芻して、散々反芻して、そして彼はようやく結論に至った。
 なるほど、と少年はひとり納得する。
 この少女も大昔はギアスの所有者だったのだ。愛される、という力の。 結果として愛を見失ったのだとしても、当時は相当ちやほやされていたに違いない。プロポーズされることに飽きるくらいには。
 だが、最終的に少女の伴侶となった少年は、少女ばかりに気を懸けるような男ではなかった。ギアスに踊らされていないことも理由のひとつだが、 彼本来の性格に依るところも大きいだろう。


 事実上の夫婦になったというのに、少女に対する少年の態度は微塵も変わっていないのだ。


 もちろん、寄り添って眠るようになったことや、熱を交わすようになったことなど、以前では考えられもしなかった変化は確かにあった。 当然のことながら、少女も四六時中構ってほしいと思っているわけではない。それはそれで鬱陶しいだけだ。
 だが、利害関係しかなかった頃と扱われ方がまったく一緒ということに、彼女は納得できなかった。
 女としての矜持、そしていまだ愛というものがよく解らない不安が積もり積もって不平へと進化を遂げたのである。


 少年の方には、蔑ろにしているつもりなどないというのに。


 ただ、ふてぶてしい魔女だったときも、記憶を失くしていたときも、ずっと傍にいたから。
 だから、その延長でここまで来てしまった感じが拭えないのかもしれない。


「・・・・意外だな」


 お前がそんなことを気にするなんて、と少年が続けると、少女は眉間にうっすらと皺を刻んだ。
 素直ではない少女の素直な反応に、笑いがこみ上げる。罵りあって、本音をぶつけて、少しずつ理解して、そしてようやく譲歩を覚えた。
 歩み寄って、手を伸ばす。
 少女が流し目程度に視線を寄越したことにも構わず、少年は        ・・・


「痛っ・・!」


 思いきり少女の額を弾いた。


「なにす・・!」
「空気は生きていく上で必要不可欠なものだ」
「はぁ?」
「だが、当たり前のように存在するものに対して、常に感謝することは難しい」
「・・・お前・・」
「それでも俺は必要としている」


 それがこの少女だったことに、彼自身が驚いているのだけれど。その驚きに関しては言及せずに、少年は少女を見下ろした。
 今度こそ交わる、視線。
 互いが無表情ゆえに、感情を読むことは難しい。
 だが・・・


「ふん。甲斐性なしを選んだ私の失策、か」


 鮮やかな光彩を放つ双眸は雄弁だった。
 少年の妹と同程度には大切にされていると思える眼差しに、少女が折れる。口をついて出た皮肉はご愛敬だ。別名、照れ隠しともいう。
 すっかりいつもの調子を取り戻した彼女を目の当たりにして、少年は呆れ顔で溜息を零した。


「おい、自分のことばかり棚に上げるな。少しは捻くれた女の相手をしているこちらの身にもなれ」


 憎まれ口を叩きながら、それでも少年は少女の額に触れる。
 先の攻撃の所為で少し赤くなってはいるが、いたって普通の人間の額だ。そこに、彼女を苦しめた深紅の紋章はない。
 数多の能力と引き換えに、少女が得たもの。
 数えきれない絶望の果てに、少年が得たもの。
 すべては、目の前に在る。


「・・・・・・・・・少しは学べ、ルルーシュ。お前が選んだのはこういう女だ」


 たっぷりと沈黙した末に出た少女の声は、少し硬さを帯びていた。
 しかし、それでも、少女の瞳は柔らかな光を湛えていたから。




 少年はまたひとつ溜息を零して。そして、少女の滑らかな額に、軽い口づけを落とした。












記憶を取り戻したC.C.と、最終決戦を終えたルルーシュが


穏やかに、過ごしてくれれば




2008/ 8/ 4 up