その妥協時間、1時間と43分


 寝る間も惜しんで・・とは、まさに今のような状況をさすのだろう。黒の騎士団全体がそのような状況だったのだが、特に式根島での失踪事件で数日ほど騎士団を空けていたゼロは仮眠すらままならず、次々と押し寄せる報告書や書類に目を通していた。
 トウキョウ租界や各地ゲットーの動向、コーネリアによるイシカワ制圧の詳細、団員たちの近況報告、キョウトからの手紙、ガウェインの操縦マニュアル、その他ナイトメアの整備状況、etc・・・・読んでも読んでもキリがないのは、黒の騎士団に関することの8割近くをゼロが決定しているからだ。
 絶対に勝つための作戦とは事細かなデータから組み立てられていくもので、ルルーシュは持ち駒となるデータをできるだけ手にしておく必要がある。
 だから、ひたすら書類を捲くっていた。
 自室ではなく共有スペースのソファーで作業しているのは、報告書が上がってくる間隔が非常に短く、ドアを隔てることで生じる遣り取りが面倒になったからだ。ゼロがその場にいることで、幹部を中心とるす主要メンバーもほどよい緊張感を維持しながら仕事をこなしていた。
       そしてまた、ラクシャータからガウェインに関する追加報告が届く。さっと眼を通して、ハドロン砲の収束法はなんとかなりそうか・・・とルルーシュが仮面の内側で密やかな溜息を吐いたとき、なぜか右肩から右腕にかけて不自然な重みが加わるのを感じた。

『・・・・ん?』

 不本意ながらも仮面を巡らせて、狭い視界の端に捉えたのは、共犯者という肩書の居候・・・いや、魔女で。

『・・・・・・・・・』

 C.C.はゼロに身体を預けて睡眠モードに入っていた。ちなみに、「読め、理解しろ」と押しつけたガウェインの操縦マニュアルは卓上に完全放置されている。

『・・・起きろ、C.C.』

 このままでは確実に肩が痛くなるし、身動きが制限されるので書類の受け渡しにも影響が出るだろう。ただでさえ疲れが溜まっていく一方だったルルーシュの眉根に皺が寄る。その不機嫌具合は声にも反映されていて、室内に響き渡った声は普段よりも凄みのある低音だった。
 しかし、その程度でC.C.が目を開けるわけがない。
 C.C.の態度に苛立ちを覚えながらルルーシュが周りに視線を走らせると、その場に居合わせた一同の意識が自分たちの方に向けられていることが確認できた。玉城のように非難めいた眼で睨んでいる者もいれば、関心なしを装いながらしっかりと様子を窺っている者もいる。カレンに至っては怒り爆発の半歩寸前のようで、握りしめた拳がわなわなと震えていた。そうか、カレンも俺と同じでまともに休んでいないからな、堂々とサボタージュされるのは納得できないんだろう ・・というルルーシュの分析はめずらしく的を外したものだったが、本人がそれを知ることはないし、そもそも現実的な問題解決には関係ないことだ。
 今のルルーシュにとっての最優先課題はC.C.を起こしてガウェインの操縦マニュアルを読ませることである。いや、とりあえずマニュアルを読むフリだけでもいい。とにかく、周囲の人間の士気を下げるような行動だけは勘弁願いたいとルルーシュは強く思った。

『C.C. 、いい加減に    
「煩い。私は眠いんだ。邪魔をするな」
『邪魔をしているのは    
「煩い、と言ったのが聞こえなかったのか? お前がどこぞの島で遊んでいた間、私は一睡もできなかったんだぞ。さすがの私も限界だ。というわけで私は寝る。おやすみ、ゼロ」
『・・・・・・』

 確かに式根島でゼロが消えてから一睡もしていないのであれば眠いのは当たり前だろうが、なぜ眠れなかったのかが明かされていない。しかし、理解できるようで理解できない理論を並べるだけ並べて、C.C.は口を噤んでしまった。会話を続ける意思どころか、意識はすでに混沌とした世界に向かっている真っ最中なのだろう。こうなったC.C.が梃子でも動かないのはルルーシュのよく知るところで、彼は周囲の様子に気を配りながら、妥協案を考えるべく思考を一時切り替えた。
 ・・・なんという無駄な時間と労力なのだろう。
 最終的には惰眠を貪る姿が視界に入らないだけでも精神衛生上いいはずだという結論に至り、『寝るのであれば部屋に行け』と溜息混じりでC.C.に囁いたのだが、対する魔女は「動くのも面倒だ」と一言呟いただけで。
 さすがのルルーシュもお手上げ状態だった。
 そうしている間にも団員たちのやる気は減退していく。みんな疲れているのだ、仕方もない。

『・・・・・・・・・』

 甘やかすのはよくないことだとルルーシュもよく理解していた。しかも相手がナナリーのような可愛らしさと謙虚さを持ち合わせているのであれば話は別だが、今の相手は無駄に態度が大きい魔女。妥協に妥協を重ねていくと付け上がるのは目に見えている。
 だが、今のルルーシュには場の空気に勝てる自信がなかった。
 自身に対しての批判・非難であればルルーシュはいくらでも受け止める。それが彼の決めた生き方であったし、ゼロという仮面はそれをさらに強固なものにするのだ。
 しかし、心根が優しすぎるルルーシュは身近な存在に対する批判に弱い節があった。枢木スザクがいい例だろう。口では批判に同調しながら、どうしても庇うような行動をしてしまう。
 今のルルーシュの心理状態はそれと同じだった。
 協調性を無視した行動が招いたことなのだから、C.C.がどれだけ白い眼で見られようとルルーシュには何の関係もない。関係ないはずなのだ。なのに、ルルーシュはひどく居た堪らない気分になる。
 心の中でC.C.に悪態を吐いたルルーシュは、皆の士気を下げないためだ、などと自分に言い聞かせながらC.C.を引き剥がした。そしてそのまま抱きあげる。

『すぐに戻る』

 そう周囲に伝えながら足を向けた先は、2階にある自室だ。
 ゼロが視界から消えた途端、静まり返っていた幹部たちが騒ぎ出したことについては知らないふりをした。


 私室にある簡素なベッドにC.C.を下ろしながら、ルルーシュは階下の者たちへの弁明を考えていた。弁明と言えば聞こえはいいが、つまりは言い訳だ。怒りの矛先がC.C.からゼロへとすり替わったことに関しては、おそらく一部の人間しか気付かないだろう。つくづく損な役回りだと思うと、無意識のうちに溜息が出る。
 ルルーシュはC.C.が纏う拘束衣にもちらりと目をやったが、脱がせることはしなかった。後で妙な言いがかりを付けられたくなかったことも理由のひとつだが、寝苦しくないかどうかという問題は、それこそルルーシュにとってどうでもいいことだったからだ。
 弁明のパターンをいくつか考えるついでに、C.C.への効果的な嫌味も思案する。そしてルルーシュが踵を返し、歩き出した瞬間だった。
 ゼロのマントが引っ張られ、結果的に足止めを食ってしまった。
 振り返ると、そこにあったのはマントを掴むC.C.の白い手だ。加えて、その向こうでは先ほどまで頑として姿を見せなかった金色の瞳がじっとルルーシュを見つめている。
 努力と心労を水の泡にする仕打ちに怒りよりも呆れが先行したルルーシュは、計略とは無縁の、心に浮かんだ思いをそのまま言葉にするため口を開く。しかし、先に響いたのはC.C.の声だった。
 曰く、「お前も少し寝ろ」 、と。
 室内が一瞬だけ無音状態となったのは、C.C.の言葉が予想の範疇外の5m先をいくものであったため、ルルーシュの反応が遅れたからだ。

『お前・・・今の状況で俺に休む時間があると本気で思っているのか?』
「思えないな。ゼロはブリタニア崩壊のためだけにある存在。人間らしい行動は求められていないし、認められることもない」
『・・・解っているなら   
「だが、契約を果たしてもらう前に過労死されても困る。確かに、ゼロに休息は必要ないが、お前には必要だろう?」

 「ルルーシュ・・」 と続けられた透明な声に、名を呼ばれた少年の心臓は図らずも小さく跳ねた。騎士団のアジトで真名を言われたからではない。ゼロとしてではなくルルーシュとして扱われたことに不思議な歓びを感じたからだ。違和感が残るほどに、強く。

「3時間後に起こしてやるから、早く横になれ」

 従って当然、と言わんばかりの強気なC.C.の態度に、ルルーシュは反論する気も失せた。無言で仮面を外し、マントを脱ぐ。
 簡素なベッド・・しかも二人寝に不満はあるが、それでもソファーよりはマシだろうし、睡眠欲求との連戦に疲れていた身にとっては魅力的な誘いだったりしたのだ。それもそのはず、神根島で意識が戻ってから、ルルーシュもまともに寝ていなかったのだから。
 だが、ルルーシュは己を律することも忘れなかった。C.C.を見下ろしながら、「起こす気があるのなら20分後にしろ」 と高らかと言う。

「3時間も寝る必要性がない。人の脳は15分から30分程度の仮眠で一番活性化するという研究結果を知らないのか?」
「そんな研究は知らんが、それは普通に睡眠をとっている者の場合なのだろう? お前は明らかに睡眠不足。おまけに体力は並以下ときた。20分で脳が活性化するとは到底思えないな」
「では、お前が提示した3時間には有意な根拠があるのか?」

 ルルーシュは一刻も早く雑務を再開するべきだと思っていた。惰眠は絶対に許せない。だから根拠を求めたのであって、そこには他に意図も意味もなかった。
 しかし、それまでじっと紫の瞳を見つめていたC.C.は不意に視線を逸らす。

「そんなものはない。・・・ただの希望だ」

 そう言ったC.C.の声は限りなく透明で、感情はカケラも含まれていなかった。
 しかし、最後の最後で視線は逸らされた。辛辣な批判をも相手の瞳を見ながら聞くのがC.C.という魔女であるのに。
 逸らされた視線の裏に隠れたC.C.の心の内を探っていたルルーシュは、15秒後に眉を顰めた。次の瞬間にはスカーフを外し、ベッドに身を預ける。もちろんC.C.に背を向けて、だ。
 腹立たしいような、自嘲したくなるような、ひどく複雑な気分だった。C.C.が3時間を提示した理由をどれだけ考えても、最終的には 『自分のことを心配したから』などという結論に至ってしまうのだ。そして、それよりもさらに悪いのが、相手は魔女だぞ有り得ない・・と全力で否定する自分とは別に、C.C.から心配されることを許容している自分がいる、という事実だった。
 7年前からずっと、背に妹を庇いながら独りで生きてきたはずなのに。

     間をとって、1時間40分。それ以上は寝ないからな」

 だからこれが、事実を素直に受け入れられないルルーシュにできる譲歩の仕方だった。
 C.C.のことだからあと数分の上乗せはあるかもしれないが、それでも数分程度であれば許せるかもしれないと考えたルルーシュは、苦虫を噛みつぶしたような表情で瞼を下ろす。

「おまけで3分延長してくれ」

 相変わらずC.C.の声は感情の色が見えない。しかし、眼は確実に笑っているのだろう。
 妥協に妥協を重ねないために、ルルーシュは沈黙での肯定を貫き通した。


 そのころ、階下において・・・

「ねぇ、ゼロ遅くない?」
「確かに・・」
「はっ! どうせあの女とお取り込み中なんだろ。愛人じゃねえなんて嘘言いやがってよー」
「でもC.C.は違うって・・!」
「だからそれが嘘なんだよ、嘘」
「でも、    
「だから、    

 C.C.が完膚なきまでに否定したはずの愛人疑惑が再燃し始めることを、色恋沙汰に疎いルルーシュは知る由もない。


 C.C.は軽く上体を起こして、傍らにいるルルーシュの様子を観察した。
 会話が途切れて1分と経っていないが、すでに彼は眠ってしまったらしい。柔らかい黒髪を梳いても文句を言わないのが良い証拠だ。

「おやすみ、ルルーシュ」

 微笑みとともに零れた穏やかな言葉は、寝てしまったルルーシュに届かない。だが、それを承知の上でC.C.はいつも言ってきた。たぶんそれは、人としての彼に必要な言葉だから。

「では1時間と43分後、よろしく頼むぞ」

 独り言の範疇を逸脱している凛とした響きの後ろに、心の中で 『マリアンヌ』と続けて。
 そして、C.C.もゆっくりと瞳を閉じた。






『その妥協時間、1時間と43分』


2008/ 4/ 8 up