今こそ、軌跡を紡ぐとき

act.4 思い出の標本



 9年ぶりに足を踏み入れた元自分の部屋は、あのころと全く変わらずに俺を迎えた。
 カーテンで閉ざされていない大きな格子窓からは月明かりが注ぎ、床にやわらかい模様を描いている。目を惹くのは漆黒のグランドピアノで、その周辺は特に闇を 集めていた。壁際に寄せられたマホガニーのデスクは執務机のように立派な設えであるから、目の前に並べられた辞書の幼さが妙に際立って見える。 書架も大きく高さがあるため、9年前の自分では踏み台がないと上の棚まで手が届かなかった。 暖炉の上のささやかな写真立てと小さなオルゴールはユフィやナナリーからもらった物だが、女の子みたいだと相当恥ずかしい思いをしたことを覚えている。 そのふたりとよく読書をしたソファーも、頬杖をついてチェスについてあれこれ考えたテーブルも、あのころのままだ。
 シンプルな部屋。
 しかし、思い入れがまったくない部屋でもなかった。
 だからこそ俺は驚いている。


 この部屋が風化していなかったことに。


 空気が多少停滞しているのは仕方がないことだろう。なにせ窓がすべて閉め切られているのだ。
 しかし、埃もほとんど積もっていないという状況は些か不自然だった。明らかに人の手が入っているとしか考えられない。
 隣に続く扉を開け放ってみても、結果は同じだった。
 奥の部屋は寝室だ。こちらにはベッドと暖炉、それから小さなローチェストしかないが、同じように埃っぽさはない。 大人が3人同時に眠れるくらい大きなベッドはきちんと整えられていて、そのまま休んでも不快感を感じることはないだろう。
 休むためにこの部屋まで来たというのに、実際すぐ休める状態が保たれていることに動揺するはめになろうとは予想すらしていなかった。
 あの男が・・俺たちを棄てた男が、こんなことに気を配っていたなんて        ・・・


 ベッドに腰を下ろすと、それは軋みもせずに俺の体重を受け止めた。
 ベッドも、この部屋も、何もかもがあの男から与えられたもので。その事実に絶望して、憎んで。そして決着をつけた後になってから、こんな些細なことを知る。
 似たようなことを何度繰り返せばいいのだろうか、俺は。
 ・・・・・・・あの男を葬り去ったことを後悔はしていない。あの男が俺とナナリーを棄てたことに変わりはなく、嘘のない世界とらやに賛同する気もなかったわけだから。
        それでも。
 俺たちのことをどうでもいいと思っていたわけではないということは信じてやってもいいと思った。
 要するに、感覚とやり方が違っていたのだ、俺の求めていたものとは。重要なことだから相容れはしなかったが、多分、そういうことなんだろう。
 じっとこちらを見つめる気配を感じて顔を上げると、扉の前にC.C.が立っていた。そういえばこの女も妙なところで不器用な気遣いをみせる女だったことを 思い出す。俺を庇って額を撃ち抜かれたときも、ナリタでランスロットを足止めしたときも、マオのときも、ユフィをこの手で殺したときも、 神根島まで追ってきたジェレミアを引き受けたときも、V.V.の存在を言い渋ったときも、Cの世界で混乱を極めていた俺をあの男から引き離したときも、 いつだって、お前は・・・・・


「・・・・C.C.・・」


 ただ呼びかけただけなのに、C.C.は僅かだが肩を強張らせる。
 こちらの世界に還ってくる前から様子がおかしかったが、どこか怯えているような、ぎこちない態度はやめてくれ。 お前らしくもない。それともまだ記憶退行の影響が出ているとでも言うのだろうか。


「いい加減・・・」


 疲れた。
 さすがに眠い。
 スザクと話をしていたときは疲れも眠気もまったく感じなかったのに、不思議だ。・・・・・あぁ、こんなところに座った所為か。サロンのソファーは硬かったから、 無理もない。
 ゼロの衣装を脱いでベッドに入ると、急速に意識が遠のいた。ぼやけていく視界の端にC.C.が居て、とりあえず部屋から出て行こうとする気配がないことに安堵する。




 いつまで突っ立っている気だ、という言葉を声にすることはできなかった。












2008/ 9/28 up