ねぇシロちゃん。潤林安に居たころ、夏になるとふたりでよく外れの清流に蛍を見に行ったよね。 いっぱい蛍が光ってて、きれいきれいってはしゃぐ私が小川に落ちそうになった、あのときから、蛍を見に行くときは必ずシロちゃんから手を繋いで くれたよね。 小さくて、柔らかい、手。 とってもとっても優しくて、あったかい、シロちゃんの手。 13:甘い手 久しぶりに訪れた潤林安はどこも変わっていなくて、なぜか落ち着けた。 潤林安の外れにある林も鬱蒼とした雰囲気は全然変わっていない。子供のころ迷子になりかけた原因の、背の高い雑草もそのまま、だ。 だがあのころはもう少し丈が長かった雑草は、思い描く位置よりも低いところに頭を連ねている。 それは成長したからだ、日番谷も、雛森も。決して高くない身長だけれど、確実にあのころより伸びている。なのに今も変わらず2人で蛍を見に来ていることを考えると、 くすぐったい気持ちになるのは何故だろうか。 でも、2人でいることは変わりなくても、その関係は少しずつ変化している。いい例が、今の日番谷の心境だ。彼は雛森の手を取ろうか迷っていた。 少しゆっくりめに瀞霊廷を抜けてきたため、いくら陽が一番長い時期といっても、林の中は薄暗い。 よく転ぶ桃のことが心配で、昔は気兼ねなく手を繋いで蛍を見に行ったものだ。いや、正確に言うと、あのころは恥ずかしくて嫌だったけれど、それでも 『仕方がない』という心情の方が勝っていて、仕様がないから手を引いていた。 だが今は・・・手を取りたい気持ちはあるのに、恥ずかしくて実行に移せない。自分から手を繋いで、雛森に何か言われるのが嫌だった。雛森は年上振るのが得意で、 「日番谷くん、怖いの?」などと在らぬ疑いを掛けてくるかもしれないのだ。 去年までどうしていたのかを日番谷が思い返せば、道中で雛森が躓くのに見ていられず、無理矢理手を取った記憶しか出てこなかった。つまり、結局は『仕方がない』風を 装っていたのである。 今回は慎重に歩いているのか、雛森は転んでおらず、俯きながら黙々と足を運んでいた。隊葬の参列みたいに言葉もなく、ただ目的地に向かうだけ。 これのどこが楽しいんだ?と、日番谷は眉を顰める。 それでも瀞霊廷では雛森の方から積極的に話しかけてきていたし、潤林安の外れにくるまで会話が途切れることはなかった。それが、日番谷が林に一歩踏み出した瞬間から、 雛森はキュッと力を込めて、口を噤んでしまったのだ。 別に、話が弾まないと気まずい、なんて関係ではない。2人の付き合いは長いから、会話がなくても傍にいるだけで落ち着ける・・・はずだ。普段であれば。 なのに、今この瞬間に漂っているぎこちない雰囲気の正体は何なのか。 護廷十三隊の中で一・二を争う苦労人であろう日番谷は仏頂面を全面に出しながらも、内心かなり悩んでいた。 「・・・・・ねぇ、シロちゃん・・」 口先を尖らせた、不満そうな声で雛森が、不意に日番谷を呼んだ。 思わず『シロちゃん』呼びを指摘しそうになったが、ぐっと我慢し、「何だ」と素っ気なく返す。ちらりと見遣ると、雛森はちょっと恨めしそうな、 困ったような、縋るような顔をしていて、日番谷は驚いた。 「今日は、手・・・・繋いでくれないの?」 「・・・手・・繋ぎたかったのか?」 意外、という表情で日番谷が見遣れば、心外、という表情で雛森は見返す。 「だってシロちゃんの手、安心できるんだもん」 雛森より18cmも背が低いのに、雛森と変わらない大きさの、日番谷の手。それは、いつだって自分を守ってくれている優しい手だ、と雛森は思っている。 「蛍見に行くときは絶対に手繋いでくれるから・・すっごく楽しみにしてたのに・・・」 伏し目がちの視線を横にずらして、雛森は小さくぼやいた。 日番谷は普段人目を憚ってか、雛森に極端に近づくのを避けていた。雛森が手を繋ごうとしては避け、頭を撫でようとしたら身を翻す。 昔からそういう傾向にあったのだが、徹底化されたのは日番谷が真央霊術院に入学してからだった。終いには「シロちゃん」呼びまで断固拒否される始末。 それが雛森にはとても寂しく感じられた。他人になったみたいで、嫌だった。 だから、蛍を見に行くときだけは昔みたいに日番谷が手を引いてくれることを知って、雛森は何度も日番谷を誘うようになったのである。 「なのに、今日は手繋いでくれないし・・・」 悲しい、と雛森は思った。弟であり、兄であり、父であり、母のようでもあった日番谷に見捨てられた感じがして、無意識にいじけた顔をしてしまう。 そんな雛森を目の当たりにして、日番谷は暫く呆けていた。 えー・・・結局、雛森が言いたいのは・・・・・『手を繋いでほしい』・・? とりあえずそこまで理解した日番谷は、己の顔が熱くなるのを感じた。 有り体に言えば、嬉しい。 自分の手を「安心できる」と言ってくれた。それだけで長い片思い人生の半分くらいは報われた気がするのだ。 「・・・行くぞ。遅くなっちまう」 だが、赤く染まった顔や狂喜した心の内を知られたくなくて、日番谷は再び歩き出した。 ただし、今度は迷うことなく雛森の手を握って。 「うん!」 途端に元気な声が背後から聴こえて、日番谷は苦笑する。俺もやっぱ存外楽しみにしてたのかもしれない、なんて考えながら。 日番谷が繋いだ手に少し力を込めると、雛森も嬉しそうに手を握り返した。 fin. 2007/5/29 up |