人は意外に、図星を指されると憤慨するものだ。 そりゃ、俺だって妙に納得できたし、否定できなかったからな。 ・・・・ただ、揶揄が9割の言葉が癪に障ったんだ。 05:蛍 長かった陽も随分と傾き、今では日番谷の背をじりじりと焼いている。 最近一段と蒸し暑くなってきた、初夏。 日中の暑い盛りはとうに越えたが、背を直接炙られて暑くないはずがない。 執務机の真後ろにある小窓を恨めしく思いながらも、しかし日番谷は書類決裁に勤めていた。 勤勉なのは彼の性格でもあるし、何より今日は外せない用事がある。 「隊長、今晩は雛森と流魂街へ行かれるんでしたよね」 のんびりとした副官の声に、日番谷は手を止めた。が、次の瞬間には何事もなかったかのように筆を走らせ始める。 予想通りの反応に、松本は笑みを浮かべた。子供のような外見に不相応である微妙な反応が、松本のツボを突いて仕方ないのだ。 「一体何しに行くんですか?」 「・・・・・・・・・・・蛍見物」 この季節になると、雛森は必ず日番谷を蛍見物に誘う。流魂街にいたときも、真央霊術院に入学してからも、護廷十三隊に配属されてからも、ずっと。 隊長職・副隊長職に就いてからは忙しくて年に一回程度しか見に行けなかったりするのだが、それでも雛森は日番谷を誘う。 行き先は2人の故郷、西流魂街・潤林安。 街の外れの林に小川が流れており、そこに蛍が生息しているのだ。たくさんの蛍が発光しながら飛び交う様は幻想的で、夏の風物詩と呼ぶに相応しい。 だが、瀞霊廷からの外出には許可が必要である。緊急事態が発生したときに所在不明では困る、というだけの理由なので、申請に許可が下りないことは稀であり、 日番谷自身も幾度となく潤林安に帰省していた。 しかし日番谷は、外出申請書を提出してまで蛍見物に行きたいとはあまり思っていなかった。瀞霊廷は広いのだから、探せば蛍の生息地くらいあるかもしれない。そもそも、 蛍を見て癒されるのはせいぜい気分くらいなもので、日々の疲れは取れないし、腹も満ちない。昼に会ったとき、「楽しみだねぇ」と雛森は笑っていたが、 何が「楽しみ」なのか日番谷にはわからなかった。 それでも、日番谷は毎年一回は必ず蛍見物をしに潤林安へ出かける。それもこれも、すべては雛森のためだ。隣で雛森が楽しそうに笑うから。嬉しそうに笑うから。 だから日番谷は今年も蛍を見に行くのだ。 それを解っているからこそ、松本は揶揄いたくなった。 「いいですねぇ、蛍見物。私も一緒に行こうかしら」 「来るな。大体お前、外出申請してないだろ。もう間に合わねぇよ」 「なるほど、雛森との逢引を邪魔するなってことですね」 「・・・莫迦か、お前」 今日一番の青筋を立てる日番谷の手元には、書類が残すところあと1枚。時刻もあと半刻すれば、本日の業務時間が終わる。 妙に一日が長かった、と日番谷が思うのは、雛森と蛍見物に行くのを案外楽しみにしていたということなのだろうか。 認めたくないようで、やはり事実なんだろうな、との独り言は音にならず、湿り気を含んだ空気に溶けた。 「前々から思ってたんですけど、隊長と雛森って蛍みたいですよね」 自己完結して再び書類に向かっていた日番谷は、思いがけない台詞に顔を上げた。その翡翠の目は真ん丸で、年相応に見える。 松本は「してやったり!」と内心ほくそ笑み、だが表面上は素っ気なく言葉を続けていく。 「蛍って光るじゃないですか。あれは配偶行動なんです」 「・・・で?」 「なんでも、雌より雄の方がよく光るらしいですよ」 「・・・・・だから?」 「つまり、男の方が熱心に求愛してるってことです」 「・・・・・・・・それで?」 「隊長と同じですよね」 ミシッ しかし松本はますます面白がって続ける。 「しかも蛍って、雄より雌の方が大きいんですよ。まさに隊長と雛森みたいじゃないですか」 日番谷の眉間の皺が限界を、超えた。 虚相手でも涼しい表情を浮かべる松本の上司は、ありったけの恨みを込めたような表情で彼女を睨め付ける。 その間にも筆は音を立て続けており、これは新しい筆を調達してこなければ・・と松本は悠長に考えつつ、日番谷の出方を伺った。 「・・・・・松本・・覚悟はいいか」 部屋の隅に置いてある氷輪丸が小刻みにカタカタ震えていることに松本も気付いていたが、まさか斬られるということはないだろう。もっとも、松本だって素直に 斬られるつもりはないが。ただ、どちらにしろ決着がつく前に十番隊の隊舎は全壊するに違いない。 しかし、「なんの覚悟です?」と彼女が突っ込みを入れる前に、十番隊ツートップによる隊舎破壊の危険は過ぎ去った。 桟を遠慮がちに叩く小さな音が、待ち人の到来を知らせたからである。 「雛森です。日番谷くん、いますか」 怒気を多分に含んだ霊圧で日番谷の在室は知れるのに、雛森は確認する。いつもいつも。入室許可の伺いを兼ねているのだ。 だから、日番谷は返事を返してやらなければならない。 少し毒気を抜かれて、日番谷は「入れ」とだけ告げた。 「えへへ、仕事早く終わったから、来ちゃった。こんにちは、乱菊さん。ねぇ日番谷くん、ずいぶん怒ってるみたいだけど、仕事終わりそうにないの?」 眉を八の字に歪めながら雛森は執務室の戸を開ける。すると初夏の風が駆け、日番谷の怒りを浚っていってしまった。 何だ、浄化効果か?それとも精神安定剤? 雛森の顔を見て急に怒りが冷めたことを自覚した日番谷は、そんな自分に少し呆れた。 だが、怒りに任せて雛森に八つ当たりしてしまうよりいいだろう。 「いや、もう終わりだ。松本、後は任せた」 それでも先ほどのお返しに、書類の確認・提出作業は松本にすべて押し付けることにした。・・・・・といっても、本来それは副官の仕事なのだけれど。 「え、いいの?」 「いいんだ。ちょっとは松本にも仕事させるべきだろ」 躊躇いがちな雛森の背を強引に押しながら執務室を出ようとする上司に、松本は手を振る。 「いってらっしゃーい。おみやげ期待してますから」 「あるわけねーだろ」と捨て台詞を残して、執務室の戸は閉まった。派手な音を立てるかと思ったが、予想に反して静かなものだ。雛森は対日番谷限定で怒りの鎮静効果が あるらしい。今度隊長を怒らせたら雛森を連れて来よう、と、心の書付に留めながら、松本は手元の書類に目を落とした。 おそらく流魂街から戻ったら、日番谷は執務室に顔を出すだろう。みやげに団子か饅頭を持って。そのとき雛森と3人でのんびりとお茶ができるように、今は仕事に専念 しよう、と松本は思った。 fin. 2007/5/29 up |